ショートメッセージ【エリヤ①】

列王紀上17章
(預言者エリヤの登場と神さまのご命令)

1、エリヤの登場と干ばつの預言(17:1)
2、アハブ王から身を隠すエリヤ(17:2-6)
3、やもめ家族とエリヤ(17:7-24)

1、エリヤの登場と干ばつの預言

 先週、列王紀の上下巻を概観し、預言者エリヤの名前だけ紹介しましたが、今週から、そのエリヤの生涯を見ていきます。それでは早速、列王紀上17章1節を読みます。

列王紀上17章1節
17:1 ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤはアハブに言った、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」。

 旧約聖書における、代表的な預言者である“エリヤ”が登場です。
 律法の代表はモーセです。
 士師の代表は、士師記の代表的なデボラやギデオン、サムソンという人物もいますが、サムエル記に登場する祭司サムエルもまた代表的な士師です。

 預言者の代表は間違いなく“エリヤ”と言えるでしょう。旧約聖書の最後の書簡マラキ書4章5節には、《見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。》とあり、新約聖書の最初の書簡マタイによる福音書では、イエス・キリストが高い山で栄光の姿になられたとき《すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。》(マタイ17:3)と、モーセとエリヤがイエス・キリストに会われています。

 そのエリヤですが唐突に17章1節で、《ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤ》の紹介しかありません。ですから、どのような背景をもった人物なのかは、聖書に書かれていません。

 次にエリヤはアハブ王に飢饉が起こると告げ(預言)ました。
 そしてその内容は、肥沃の神バアルの権威を失わせるものです。《主は生きておられます。》と証明するものです。逆に言えば宣戦布告です。

 列王紀16章33節に《アハブはまたアシラ像を造った。アハブは彼よりも先にいたイスラエルのすべての王にまさってイスラエルの神、主を怒らせることを行った。》とありますが、干ばつが、北イスラエルへのさばきということがわかります。

 エリヤは、神さまからのお言葉を告げただけでなく、そのお言葉をもとに祈りをささげていることです。
 新約聖書 ヤコブの手紙5章17-18節を読みますと

5:17 エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。
5:18 それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。

 とあります。
 雨が降らないことも、神さまがエリヤに語られただけでなく、エリヤ自身もそのことを祈っていたことがわかります。エリヤは、普通の人です。しかしエリヤは祈ると雨が止みました。
 祈りは大切です。私たちのように小さい者たちであっても、神さまの御心を理解して祈りますと神さまは大いなる力を、祈りをとおしてお働きになります。

 また、この飢饉は、肥沃の神バアルの権威を失わせるものです。また、繰り返しになりますが、《主は生きておられます。》と証明するものです。そして、神さまのお言葉通りとなり、厳しい干ばつが続きました。
 さらに言えば、16章33節に《アハブはまたアシラ像を造った。アハブは彼よりも先にいたイスラエルのすべての王にまさってイスラエルの神、主を怒らせることを行った。》とありますが、干ばつが、北イスラエルへのさばきだということがわかります。

2、アハブ王から身を隠すエリヤ
 列王紀上17章2-6節を読みます。

17:2 主の言葉がエリヤに臨んだ、
17:3 「ここを去って東におもむき、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに身を隠しなさい。
17:4 そしてその川の水を飲みなさい。わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう」。
17:5 エリヤは行って、主の言葉のとおりにした。すなわち行って、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに住んだ。
17:6 すると、からすが朝ごとに彼の所にパンと肉を運び、また夕ごとにパンと肉を運んできた。そして彼はその川の水を飲んだ。

 ヨルダン川の東から、北イスラエルの首都サマリヤに行って、干ばつのことをアハブ王に告げ(預言)たエリヤですが、神さまのご命令により、再びヨルダンの東に戻ってきました。
 それは、神さまがエリヤをアハブ王から守るために身を隠したのでした。またエリヤを飢饉の中でも養うためでした。

 レビ記11章11-13節を見ますと
11:13 鳥のうち、次のものは、あなたがたに忌むべきものとして、食べてはならない。それらは忌むべきものである。すなわち、はげわし、ひげはげわし、みさご、
11:14 とび、はやぶさの類、
11:15 もろもろのからすの類、

 律法では、《からす》は、忌むべきものとして扱われています。その《からす》に食料を運んでもらっています。何か不思議な感じがしますね。
 聖書を人物にフォーカスしますと、神さまによって立てられた人は、神さまから命じられた働きをする時、その前にどうも不思議な体験・経験・訓練を受けさせられます。
 聖書で大きな働きをした人物の一人、モーセですが、エジプトのパロ(ファラオ)の前に出て、イスラエルの民を率いる前の40年間はミデヤン人祭司エテロの娘と結婚し荒野で羊飼いをしていました。
 新約聖書ではパウロですね。彼は、サンヘンドリンに属し、キリスト者を迫害していたのですが、回心して、アラビヤとダマスコで長い間過ごしました。
 神さまは、このような期間(時間と出来事)を通して私たち自分(人間)の弱さを教え、神さまに頼って生きて行くことを教えられるのです。

3、やもめ家族とエリヤ
 列王紀上17章7節を読みます。

17:7 しかし国に雨がなかったので、しばらくしてその川はかれた。

 新たな試練です。続けて8-9節を読みます。

17:8 その時、主の言葉が彼に臨んで言った、
17:9 「立ってシドンに属するザレパテへ行って、そこに住みなさい。わたしはそのところのやもめ女に命じてあなたを養わせよう」。

 ここでは2つの注目すべき点があります。一つ目は《やもめ》のところで養わせるという点です。福祉制度がある現代社会と異なり、働き頭である夫のいない《やもめ》は経済的に厳しい存在でした。
 最後の1点は、《シドン》の地です。 エリヤにとって宿敵イゼベルの出身地、異邦人の町です。からすからの養いと言い、異邦人の地と《やもめ》からの養い。どうも神さまは、エリヤを特別に扱ってイスラエルの枠から外しておられます。
 列王記上17章10-16節を読みます。

17:10 そこで彼は立ってザレパテへ行ったが、町の門に着いたとき、ひとりのやもめ女が、その所でたきぎを拾っていた。彼はその女に声をかけて言った、「器に水を少し持ってきて、わたしに飲ませてください」。
17:11 彼女が行って、それを持ってこようとした時、彼は彼女を呼んで言った、「手に一口のパンを持ってきてください」。
17:12 彼女は言った、「あなたの神、主は生きておられます。わたしにはパンはありません。ただ、かめに一握りの粉と、びんに少しの油があるだけです。今わたしはたきぎ二、三本を拾い、うちへ帰って、わたしと子供のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです」。
17:13 エリヤは彼女に言った、「恐れるにはおよばない。行って、あなたが言ったとおりにしなさい。しかしまず、それでわたしのために小さいパンを、一つ作って持ってきなさい。その後、あなたと、あなたの子供のために作りなさい。
17:14 『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです」。
17:15 彼女は行って、エリヤが言ったとおりにした。彼女と彼および彼女の家族は久しく食べた。
17:16 主がエリヤによって言われた言葉のように、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えなかった。

 神さまは、このように、貧困のあまり一家心中をしようとしている女やもめのところへ行かせました。神さまは、この女やもめ家族を通してエリヤを養い、結果的に女やもめと子どもが助けられたのです。
 しかし、さらに問題が起きます。17-24節を読みます。

17:17 これらの事の後、その家の主婦であるこの女の男の子が病気になった。その病気はたいそう重く、息が絶えたので、
17:18 彼女はエリヤに言った、「神の人よ、あなたはわたしに、何の恨みがあるのですか。あなたはわたしの罪を思い出させるため、またわたしの子を死なせるためにおいでになったのですか」。
17:19 エリヤは彼女に言った、「子をわたしによこしなさい」。そして彼女のふところから子供を取り、自分のいる屋上のへやへかかえて上り、自分の寝台に寝かせ、
17:20 主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、あなたはわたしが宿っている家のやもめにさえ災をくだして、子供を殺されるのですか」。
17:21 そして三度その子供の上に身を伸ばし、主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、この子供の魂をもとに帰らせてください」。
17:22 主はエリヤの声を聞きいれられたので、その子供の魂はもとに帰って、彼は生きかえった。
17:23 エリヤはその子供を取って屋上のへやから家の中につれて降り、その母にわたして言った、「ごらんなさい。あなたの子は生きかえりました」。
17:24 女はエリヤに言った、「今わたしはあなたが神の人であることと、あなたの口にある主の言葉が真実であることを知りました」。

 一度、母親と一緒に死ぬことを免れた息子が、病気になって死んでしまう。この母親にとって息子はすべてだったでしょう。《「神の人よ、あなたはわたしに、何の恨みがあるのですか。あなたはわたしの罪を思い出させるため、またわたしの子を死なせるためにおいでになったのですか」。》と息子が死んだ理由がエリヤにあるように訴えます。ただ、ここで注意すべきは、《わたしの罪を思い出させるため、またわたしの子を死なせるため》ですが、母親に罪の意識があり、子に影響したと思っていることです。

 しかし、エリヤは子が死んだことを見て、母親の言葉に返答せず、子を預かり屋上の寝台に寝かせ、自分の思いと願いを、神さまに訴えました。《「わが神、主よ、あなたはわたしが宿っている家のやもめにさえ災をくだして、子供を殺されるのですか」。》と率直に訴えています。また、《「わが神、主よ、この子供の魂をもとに帰らせてください」。》三度も祈っています。神さまはその願いを聞いてくださいました。

 人は、不幸なことが起こると、自分に何か過ちがあるかのように因果関係を探ります。また、クリスチャンは罪があるからというように考えるのではないでしょうか。実際それもあるでしょうけど、今回のケースは違うようです。

 エリヤは自分の思いと願いを神さまに訴えるように祈りました。祈りが必要だと神さまも著者も伝えたかったのでしょう。
 異邦人の女性一人が、“エリヤ”をとおして、まことの神さまのことを知ることができたのです。神さまは、このように人と人を結び付け、一対一の証しや伝道をさせることがあります。

2023年5月7日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正


「エリヤ」(Elijah), 1638,ホセ・デ・リベーラ作

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