ショートメッセージ【ヨナ④】
ヨナ書4章
(神の民とは)
1、ひねくれるヨナから
2、ヨナに寄り添う神さまから
3、神の民とは何か
1、ひねくれるヨナから
これまでヨナ書を1章から3章まで見ました。
イスラエル人であり預言者であるヨナは、神さまからアッシリア王国の首都ニネベに行って預言を語るように命じられます。
ところが、イスラエル人であり神の預言者であるヨナは、神さまの命令を無視して職務放棄をして逃げます。そのことを軽んじられない神さまは大風を起こしてヨナを海の中に放りこむようにされます。
神さまは、大きな魚を備えて腹の中で三日三晩ヨナの様子を見ますが、彼は全く反省せず、仕方なく陸地に戻し、再びニネベに行くように命じました。
そして言われた通りに預言をします。《「四十日を経たらニネベは滅びる」》といった預言を、ニネベの人たちはしっかり受け入れ、悔い改めることにより、神さまはニネベを滅ぼすことを思い留まられたのでした。
ここで終われば、めでたしめでたしと善い昔話として終わるのですが、そうはいきませんでした。それが4章に書かれています。
4:1 ところがヨナはこれを非常に不快として、激しく怒り、
4:2 主に祈って言った、「主よ、わたしがなお国におりました時、この事を申したではありませんか。それでこそわたしは、急いでタルシシにのがれようとしたのです。なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。
4:3 それで主よ、どうぞ今わたしの命をとってください。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです」。
なぜか、ヨナはすごく怒ってひねくれています。それはヨナが思っていた結果ではなかったからです。
アッシリア帝国は、イスラエル人にとって経済面や外交面で国家を脅かし、大きな被害を受ける憎い敵だったからです。神さまのその憎い敵を助けたいという、憐れみもわかっていたから、ニネベに行きたくなかったのだと言っています。
それに対して神さまはこのように話されました。4節です。
4:4 主は言われた、「あなたの怒るのは、よいことであろうか」。
ここで大事なポイントは、まずヨナは自分が預言者であるということを忘れています。
この“ヨナ”シリーズで何度かお伝えしていますように、預言者の仕事は神の言葉を預かり、語るべき対象者に神さまの言葉とともにその意図を伝えることが仕事です。
3章4節でヨナは、《「四十日を経たらニネベは滅びる」》とだけ、ニネベの人たちに伝えています。
神さまのニネベの人たちを助けたいという意図がわかっていたにもかかわらず、仕事としてはあまりにもレベルが低いものです。もちろん神さまは、それも解かってのことなのですが。
預言者としての資質が、あまりにも欠落しているヨナの姿が見えてくるでしょう。
そして、何度もお伝えしましたが、ヨナが自分の感情や価値観が先に立ち行動することは、自らの預言者としての仕事・職務を放棄しているのです。
ヨナによってニネベの町の人たちへ、神さまの意図(御心)を伝えること、そして神さまのニネベの人たちへの愛をも無にしてしまっているということです。
2、ヨナに寄り添う神さまから
5-8節を読みます。
4:5 そこでヨナは町から出て、町の東の方に座し、そこに自分のために一つの小屋を造り、町のなりゆきを見きわめようと、その下の日陰にすわっていた。
4:6 時に主なる神は、ヨナを暑さの苦痛から救うために、とうごまを備えて、それを育て、ヨナの頭の上に日陰を設けた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。
4:7 ところが神は翌日の夜明けに虫を備えて、そのとうごまをかませられたので、それは枯れた。
4:8 やがて太陽が出たとき、神が暑い東風を備え、また太陽がヨナの頭を照したので、ヨナは弱りはて、死ぬことを願って言った、「生きるよりも死ぬ方がわたしにはましだ」。
神さまは、そのようなヨナに対して憐みの心をもって接します。
ヨナは、神さまのその本来の意図するところまではわからなかったようですが、自分のために備えてくれた“とうごま”を喜んでいます。しかし、“とうごま”は、すぐに枯れて、またヨナは怒ってひねくれています。
何度も恐縮ですが、これが当時の預言者、もっと言えばイスラエルの現状と言えるのでしょう。敵国であるニネベの町の人のほうが、神の民イスラエルよりも神の前に恐れ、また、反省する心があったという何とも皮肉な現実です。その後を最後まで読みましょう。
9-11節です。
4:9 しかし神はヨナに言われた、「とうごまのためにあなたの怒るのはよくない」。ヨナは言った、「わたしは怒りのあまり狂い死にそうです」。
4:10 主は言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。
4:11 ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。
神さまは、ふてくされて、やけになっているヨナをも愛しているように、神を恐れ、過ちを認め反省に早いニネベの人をも愛していることを伝えます。
神さまから見ると、1章で登場する水夫や3章のニネベの人たちのほうが、ご自身の心に適っていました。
一方のヨナは、自分の考えや選民意識しかないような情況でした。しかし神さまは、そのような者もお見捨てにならず、導こうとしていること。また、ニネベの人をも大切に思っていることを告げてこの物語は終わります。
3、神の民とは何か
ご存知の通り、この当時のイスラエルは北と南に分かれていました。信仰に立たない王たちが多いなか、預言者ヨナは、イスラエル人たちの代表のような人と言えるでしょう。
ヨナは、神さまの御心や御言葉を軽視し、自らの感情や価値観で生きていました。
おそらくヨナ書はヨナ自身、もしくは、ヨナの監修によって書かれたものでしょう。
魚の中で三日三晩祈った記事などは、本人以外にはわかりえませんから。ヨナは、この経験を残し、イスラエルの罪を伝えるとともに、悔い改めを求めたのではないでしょうか。残念ながらこの後に、イスラエルは捕囚されることになります。
さて、この物語は神さまの御言葉で終わり、続きが気になるように書かれています。それはイスラエルに、そして現在を生きる私たちに、「どのような物語を神さまは望んでおられると思いますか。」と問われているように見えます。
ヨナはイスラエル人であり、預言者でした。しかし神々を信じる水夫や敵国の首都であるニネベの町の人々のほうが神さまを恐れ、神さまの御言葉を受け入れ、さらに隣人を思いやる気持ちがありました。ヨナはそのような中、学習するかのように神さまに導かれたにもかかわらず、悟りに遅く、ますます頑なになりました。
近年では、愛国とは似て非なる国粋の思想が各国で見られるような時代だと感じます。
自分の国ファーストはシンプルで愛国心のように言われますが、果たしてそうでしょうか。
国粋的という意味では、ヨナは立派な国粋主義者でした。しかし、自らが悔い改めに早く、味方ではなく敵国であっても相手を思いやり、敵国が反省するときには、赦す心によって愛を示すことが神さまの願いでありました。神の国の住人として生きるとは何なのかを教えられます。
2023年8月13日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治
(とうごま)
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