ショートメッセージ【イザヤ⑦】
イザヤ書56-66章
(神さまの壮大な愛のご計画を力強く語ったイザヤ)
1、背信の民への神さまからの働きかけ(56-59章)
2、新天新地への希望(60-66章)
1、背信の民への神さまからの働きかけ(56-59章)
イザヤ書56章8節を読みます。
56:8 イスラエルの追いやられた者を集められる/主なる神はこう言われる、「わたしはさらに人を集めて、すでに集められた者に加えよう」と。
ここで神さまの“しもべ” = メシヤによる救いが全世界に広がることを宣べたイザヤは、この後、南ユダの問題点=バビロン捕囚に至る原因を掘り下げていきます。
57章1節を読みます。
57:1 正しい者が滅びても、心にとめる人がなく、神を敬う人々が取り去られても、悟る者はない。正しい者は災の前に取り去られて、
神さまに忠実な数少ない信仰者の歩みに、心を留めようとせず、神さまに対する背信の心が民に蔓延していたことが示されています。
57章9節を読みます。
57:9 あなたは、におい油を携えてモレクに行き、多くのかおり物をささげた。またあなたの使者を遠くにつかわし、陰府の深い所にまでつかわした。
子供を犠牲に献げるアンモン人の偶像モレクに言及し、まことの神さまを認めることができず、心を向けることもなく、偶像とその崇拝行為に心が奪われ、偽りの信仰者と化した民に姿が描かれています。
57章11節を読みます。
57:11 あなたはだれをおじ恐れて、偽りを言い、わたしを覚えず、また心におかなかったのか。わたしが久しく黙っていたために、あなたはわたしを恐れなかったのではなかったか。
そして、神さまの偉大さが分からず、神さまを恐れようとしませんでした。神さまが全く理解できず、自分の置かれている立場もわからず、自分の良いと思うことに従う民たちでした。
57章17-18節を読みます。
57:17 彼のむさぼりの罪のゆえに、わたしは怒って彼を打ち、わが顔をかくして怒った。しかし彼はなおそむいて、おのが心の道へ行った。
57:18 わたしは彼の道を見た。わたしは彼をいやし、また彼を導き、慰めをもって彼に報い、悲しめる者のために、くちびるの実を造ろう。
神さまへの背信、偶像礼拝、神さまを恐れず、自分の良いと思うことをそれぞれが行う民に対して、普通に考えて見放されるような態度をとっているイスラエルの民に対して、憐れみ深い神さまは、イスラエルの民を放置せず、神さまの方から(すでに54-55章でみたように)、働きかけてくださるのです。悔い改めて心を神さまの方へ向ければ、怒りを収め、恵みを与え、神さまを讃美するくちびるの実が出来上がるまで、愛し育ててくださるとまで言われています。
イザヤは、続く58章で、民の見せかけだけの信仰を鋭く指摘し、59章1-8節で民たちの不正を非難しています。
59章1-5節を読みます。
59:1 見よ、主の手が短くて、救い得ないのではない。その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。
59:2 ただ、あなたがたの不義が/あなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。またあなたがたの罪が/主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ。
59:3 あなたがたの手は血で汚れ、あなたがたの指は不義で汚れ、あなたがたのくちびるは偽りを語り、あなたがたの舌は悪をささやき、
59:4 ひとりも正義をもって訴え、真実をもって論争する者がない。彼らはむなしきことを頼み、偽りを語り、害悪をはらみ、不義を産む。
59:5 彼らはまむしの卵をかえし、くもの巣を織る。その卵を食べる者は死ぬ。卵が踏まれると破れて毒蛇を出す。
そして、59章16節です。
59:16 主は人のないのを見られ、仲に立つ者のないのをあやしまれた。それゆえ、ご自分のかいなをもって、勝利を得、その義をもって、おのれをささえられた。
人々の絶望的な状態にもかかわらず、誰一人として神さまと人との間に立って、とりなす人、助けようと思う人がいない、そのことに神さまは驚かれています。
これが、神さまから動いてくださり、働きかけてくださった理由です。
59章20-21節を読みます。
59:20 主は言われる、「主は、あがなう者としてシオンにきたり、ヤコブのうちの、とがを離れる者に至る」と。
59:21 主は言われる、「わたしが彼らと立てる契約はこれである。あなたの上にあるわが霊、あなたの口においたわが言葉は、今から後とこしえに、あなたの口から、あなたの子らの口から、あなたの子らの子の口から離れることはない」と。
「終わりの日」に成就する神さまの契約は、イスラエルの民たちが、“神のしもべ” =メシヤの支配のもとで真の神の民としての回復がなされ、神さまに立ち帰ることが出来ると言われています。
このように民たちの罪の指摘、悔改めの必要、神さまの側から働きかけて下さっているメシヤによる贖い(罪からの買い戻し)が繰り返し語られているのです。
2、新天新地への希望(60-66章)
60章からは預言者イザヤを通して、終末について、そこで成就する「メシヤ王国」の栄光と、「新天新地」における神さまの栄光が預言されています。
すでにイザヤ書52章13節-53章12節で“神のしもべ”イスラエルに代わって役割を果たす1人の神さまの“しもべ”が、エルサレムに遣わされ終末に向かう預言の土台となっていることを見ました。
60章3-12節を読みます。
60:3 もろもろの国は、あなたの光に来、もろもろの王は、のぼるあなたの輝きに来る。
60:4 あなたの目をあげて見まわせ、彼らはみな集まってあなたに来る。あなたの子らは遠くから来、あなたの娘らは、かいなにいだかれて来る。
60:5 その時あなたは見て、喜びに輝き、あなたの心はどよめき、かつ喜ぶ。海の富が移ってあなたに来、もろもろの国の宝が、あなたに来るからである。
60:6 多くのらくだ、ミデアンおよびエパの若きらくだは/あなたをおおい、シバの人々はみな黄金、乳香を携えてきて、主の誉を宣べ伝える。
60:7 ケダルの羊の群れはみなあなたに集まって来、ネバヨテの雄羊はあなたに仕え、わが祭壇の上にのぼって受けいれられる。こうして、わたしはわが栄光の家を輝かす。
60:8 雲のように飛び、はとがその小屋に/飛び帰るようにして来る者はだれか。
60:9 海沿いの国々はわたしを待ち望み、タルシシの船はいや先に/あなたの子らを遠くから載せて来、また彼らの金銀を共に載せて来て、あなたの神、主の名にささげ、イスラエルの聖者にささげる。主があなたを輝かされたからである。
60:10 異邦人はあなたの城壁を築き、彼らの王たちはあなたに仕える。わたしは怒りをもってあなたを打ったけれども、また恵みをもってあなたをあわれんだからである。
60:11 あなたの門は常に開いて、昼も夜も閉ざすことはない。これは人々が国々の宝をあなたに携えて来、その王たちを率いて来るためである。
60:12 あなたに仕えない国と民とは滅び、その国々は全く荒れすたれる。
その終りの時代において、主の贖い(あがない)の恵みを受けた者が、主の光を反映する者とされ、その光を見て、光を慕って、多くの国民が集まってくる。しかも、異邦の民もそのうわさを聞きつけてやってくると言われています。
60章16節を読みます。
60:16 あなたはまた、もろもろの国の乳を吸い、王たちの乳ぶさを吸い、そして主なるわたしが、あなたの救主、また、あなたのあがない主、ヤコブの全能者であることを知るにいたる。
そして人々は、主の光に輝いている民の姿を見て、それは神さまが救い主となり、あがない主となり、全能の力を持って愛し、働いておられる結果だと知るようになるのです。
そして、すべての民は光を喜び、多くの祝い物をたずさえてきて、主の民は繁栄します(5-11節)。しかし主の光を喜ばず、光のもとにやってこない国や民は滅び、荒れはてるのです。
そして終末がきて、世の一切の光は不要となり、神さまが永遠の光の源となり、主の民はそのもとで悲しみがぬぐい去られ、永遠に生きる者となるのです(19-22 節)。
60章19-22節を読みます。
そのあとの61章においては、メシヤの姿が描かれます。
それは、
①悲しんでいる者を、慰め、
②無価値な者を有益な者とし、
③悲しむ者を、霊的に喜ぶ者にし、
④弱った霊を、神をあがめ、賛美する者とし、
⑤主の誉れを受け、主の栄光を現す者にするメシヤということです。
そして62章でその結果が記されています。
罪が赦され、神さまに義とされて、神さまに受け入れられた真のイスラエルが、朝日の輝きのように、燃える松明のように、遠くから見ても分かるような輝きが反映するまで、主は沈黙されずに新しいエルサレムのために働き続けられるのです。
イザヤが、40章から示してきたことは、“残りの民”への預言でした。そして、ここまで神さまの約束の中心として、“神のしもべ”、メシヤであるイエス・キリストによる救いの恵みが示されてきました。
更にそのはるか先の終末についても示し、その日、完全な勝利を得る、驚くべき神さまの深く壮大なご計画も明確にされてきたのです。
63章7節-64章では、わずかな“残りの民”の立場に立って、どのような祈りの心を持って向かっていく必要があるのか、イザヤが“残りの民”に代わって祈っています。しかし64章8-12節の最後の所で、不信仰をいつまでも咎められないようにと願い、エルサレムが荒れ果てた町になることが見える現状から、本当に希望があるのですか。という問いで、祈りが閉じられていました。
イザヤ書65-66章には、その問いに対する神さまからの答えがあります。
65章8節から残りの者への期待が記され、65章17節以降には「新しい天と新しい地」新しいエルサレムの祝福が希望として置かれています。これは回復されたエデンの園とみることができます。
66章1-4節では、民たちの形ばかりの礼拝や信仰態度への厳しい指摘があります。しかし66章5-17節では、残りの民に語りかけて、同胞から憎まれることになるが、恥をかくのは彼らだと言われます。また異邦人も同じ信仰で恵みに与ることが語られます。
66章18-21節、神さまは、終りの日に、残りの民と、“神のしもべ”、メシヤであるイエス・キリストによる救いの恵みに与る異邦の民(キリスト者)を集め、ご自身の栄光を見させられるのです。
66章22-24節、そして教会での礼拝を中心とする時代が長く続いていく中で、この世は永遠の滅びに向かっていくと言われます。
南ユダ王国のこれまでの酷い背信と言う現状の中で、イザヤは、民の問題をどこまでも指摘し、しかし、その中でも“残りの者”すなわち神さまを愛する信仰者が残されること、彼ら神の民の代わりに役割を果たす、神さまの“しもべ”=メシヤ=救い主なるイエス・キリストが立てられて、異邦人もふくめて贖い(罪が赦されてイエス・キリストへ信仰をもつこと)に導かれ、新しいエルサレム=新天新地に入れられる。という力強い希望が語られています。
これがイザヤ書であり、この壮大な神さまのご計画を語り続けたのが、預言者イザヤでした。
私たちは、預言者イザヤの語る神さまの壮大な愛のご計画に組み入れられていることを喜び、感謝して、その立ち位置を確認し、ユダヤの残りの民とともに大いなる祝福をいただく歩みをする者でありたいと教えられるのです。
2023年10月1日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川尚徳
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