ショートメッセージ【エレミヤ②】

エレミヤ書7-12章
(民にはびこる偶像礼拝)

1、「主の神殿だ」(7-9章)
2、「とりなしてはならない」(10-11章/7章(一部))
3、「主の名によって預言してはならない」(11-12章)

 今回学ぶエレミヤ書7-12章の預言は、前回、歴代志下で見たヨシヤ王の宮きよめや、ヨシヤ王が律法の書を発見したのちの宗教改革が背景となっています。
 ヨシヤ王は、治世の初期から徹底した宮きよめを行い、偶像を取り除きました。
 歴代志下34章4-5節を読みます。

34:4 もろもろのバアルの祭壇を、自分の前で打ちこわさせ、その上に立っていた香の祭壇を切り倒し、アシラ像、刻んだ像、鋳た像を打ち砕いて粉々にし、これらの像に犠牲をささげた者どもの墓の上にそれをまき散らし、
34:5 祭司らの骨をそのもろもろの祭壇の上で焼き、こうしてユダとエルサレムを清めた。

 また、契約の書の発見によって宗教改革を実行しました。
 歴代志下35章16-18節を読みます。

35:16 このようにその日、主の勤めの事がことごとく備わったので、ヨシヤ王の命に従って過越の祭を行い、主の祭壇に燔祭をささげた。
35:17 ここに来ていたイスラエルの人々は、そのとき過越の祭を行い、また七日の間、種入れぬパンの祭を行った。
35:18 預言者サムエルの日からこのかた、イスラエルでこのような過越の祭を行ったことはなかった。またイスラエルの諸王のうちには、ヨシヤが、祭司、レビびと、ならびにそこに来たユダとイスラエルのすべての人々、およびエルサレムの住民と共に行ったような過越の祭を行った者はひとりもなかった。

 歴代志下35章16-18節よれば、南ユダの国は再び、父祖の神さまへの忠誠を取り戻して、偶像の神々の影響を払いのけたように思われます。

 しかし神さまは、神殿の礼拝に向かう人々に対して、エレミヤに次のように語らせています。

1、「主の神殿だ」(7-9章)
 エレミヤ書7章1-4節を読みます。

7:1 主からエレミヤに臨んだ言葉はこうである。
7:2 「主の家の門に立ち、その所で、この言葉をのべて言え、主を拝むために、この門をはいるユダのすべての人よ、主の言葉を聞け。
7:3 万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、あなたがたの道とあなたがたの行いを改めるならば、わたしはあなたがたをこの所に住まわせる。
7:4 あなたがたは、『これは主の神殿だ、主の神殿だ、主の神殿だ』という偽りの言葉を頼みとしてはならない。

 続けてエレミヤ書7章8-11節を読みます。

7:8 見よ、あなたがたは偽りの言葉を頼みとしているが、それはむだである。
7:9 あなたがたは盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、あなたがたが以前には知らなかった他の神々に従いながら、
7:10 わたしの名をもって、となえられるこの家に来てわたしの前に立ち、『われわれは救われた』と言い、しかもすべてこれら憎むべきことを行うのは、どうしたことか。
7:11 わたしの名をもって、となえられるこの家が、あなたがたの目には盗賊の巣と見えるのか。わたし自身、そう見たと主は言われる。

 7章4節「主の神殿だ」、7章10節「主に救われた」と言う民の心は、神さまから離れ、神さまが憎むべきことを変えることなく行っていました。
 エレミヤ書7章31節を読みます。

7:31 またベンヒンノムの谷にあるトペテの高き所を築いて、むすこ娘を火に焼いた。わたしはそれを命じたことはなく、またそのようなことを考えたこともなかった。

 7章31節では、子供を犠牲にする偶像礼拝をしていたことも記されています。神さまはそれに対して、《わたしはそれを命じたことはなく、またそのようなことを考えたこともなかった。》と言われています。

 8章では、当たり前のことを頑固に拒み続ける彼らの様子が語られています。
 エレミヤ書8章4-5節を読みます。

8:4 あなたは彼らに言わなければならない。主はこう仰せられる、人は倒れたならば、また起きあがらないであろうか。離れていったならば、帰ってこないであろうか。
8:5 それにどうしてこの民は、常にそむいて離れていくのか。彼らは偽りを固くとらえて、帰ってくることを拒んでいる。

 9章では、ホセア書同様に、神さまを知ることの大切さが記されています。
 エレミヤ書9章6-8節を読みます。

9:6 しえたげに、しえたげを積み重ね、偽りに偽りを積み重ね、わたしを知ることを拒んでいると、主は言われる。
9:7 それゆえ万軍の主はこう言われる、「見よ、わたしは彼らを溶かし、試みる。このほか、わが民をどうすることができよう。
9:8 彼らの舌は殺す矢のようだ、それは偽りを言う。その口ではおのおの隣り人におだやかに語るが、その心では彼を待ち伏せる計りごとを立てる。

  南ユダ王国の民たちは、自らを神の民と誇りながら、しかし真の神さまの御心を知ろうとせず、また神さまの前に、当たり前(常識的)のことができない彼らには、偽りの言葉しかありませんでした。

 ヨシヤ王の改革にも関わらず、彼らが「主の神殿だ」と言って、ささげる礼拝は、自分の思いや偶像に支配されている、虚しい礼拝でしかなかったことが明らかにされています。

2、「とりなしてはならない」(10-11章/7章(一部))
 10章では、「まことの神さま」が偶像を容赦なく批判しています。
 10章8-11節を読みます。

10:8 彼らは皆、愚かで鈍く、偶像の教は、ただ木にすぎない。
10:9 銀ぱくはタルシシから渡来し、金はウパズから携えてくる。これらは工人と金細工人の工作である。彼らの着物はすみれ色と紫色である。これらはみな巧みな細工人の作った物である。
10:10 しかし主はまことの神である。生きた神であり、永遠の王である。その怒りによって地は震いうごき、万国はその憤りに当ることができない。
10:11 あなたがたは彼らに、こう言わなければならない、「天地を造らなかった神々は地の上、天の下から滅び去る」と。

 そして11章では7章に引き続き、エレミヤは彼らを「とりなすな」と命じられています。
 7章16節と11章14節を続けて読みます。

7:16 あなたはこの民のために祈ってはならない。彼らのために嘆き、祈ってはならない。またわたしに、とりなしをしてはならない。わたしはあなたの求めを聞かない。

11:14 それゆえ、この民のために祈ってはならない。また彼らのために泣き、あるいは祈り求めてはならない。彼らがその災の時に、わたしに呼ばわっても、わたしは彼らに聞くことをしないからだ。

 その理由は、神さまがご自分の民をことごとく、絶ち滅ぼされるご計画であるからです。 

 神さまは、ご自身の民を完全に回復させるために、一度、完全にご自身の家を廃墟とし、国を荒れ果てさせるおつもりなのです。

 バビロン捕囚と言う出来事は、まさに、そのための神さまの最善の方策でした。そこまでの荒療治でなければ、染みわたる偶像礼拝を根絶やしにはできないということなのです。
 11章10-11節を読みます。

11:10 彼らは、わたしの言葉を聞くことを拒んだその先祖たちの罪に立ち返り、またほかの神々に従ってそれに仕えた。イスラエルの家とユダの家とは、わたしがその先祖たちと結んだ契約を破った。
11:11 それゆえ主はこう言われる、見よ、わたしは災を彼らの上に下す。彼らはそれを免れることはできない。彼らがわたしを呼んでも、わたしは聞かない。

3、「主の名によって預言してはならない」(11-12章)
 エレミヤ書11章18-23節を読みます。

11:18 主が知らせてくださったので、わたしはそれを知った。その時、あなたは彼らの悪しきわざを/わたしに示された。
11:19 しかしわたしは、ほふられに行く、おとなしい小羊のようで、彼らがわたしを害しようと、計りごとをめぐらしているのを知らなかった。彼らは言う、「さあ、木とその実を共に滅ぼそう。生ける者の地から彼を絶って、その名を人に忘れさせよう」。
11:20 正しいさばきをし、人の心と思いを探られる万軍の主よ、わたしは自分の訴えをあなたにお任せしました。あなたが彼らにあだをかえされるのを/見させてください。
11:21 それゆえ主はアナトテの人々についてこう言われる、彼らはあなたの命を取ろうと求めて言う、「主の名によって預言してはならない。それをするならば、あなたはわれわれの手にかかって死ぬであろう」。
11:22 それで万軍の主はこう言われる、「見よ、わたしは彼らを罰する。若い人はつるぎで死に、彼らのむすこ娘は、ききんで死に、
11:23 だれも残る者はない。わたしがアナトテの人々に災を下し、彼らを罰する年をこさせるからである」。

 ここに書かれているのは、エレミヤの出身地のアナトテの人々が、エレミヤの暗殺計画を立てていることを、神さまがエレミヤに知らせたということです。
 12章1節を読みます。

12:1 主よ、わたしがあなたと論じ争う時、あなたは常に正しい。しかしなお、わたしはあなたの前に、さばきのことを論じてみたい。悪人の道がさかえ、不信実な者がみな繁栄するのはなにゆえですか。

 ここにエレミヤの苦悩があらわされています。

 どこまでも神さまが正しい方であることは承知していても、「なぜ、悪者の道は栄え、裏切りを働く者が、みな安らかなのか」という疑問がエレミヤの心にあり、そのことを神に尋ねています。

12:5 「もしあなたが、徒歩の人と競争して疲れるなら、どうして騎馬の人と競うことができようか。もし安全な地で、あなたが倒れるなら、ヨルダンの密林では、どうするつもりか。

 それに対して、神さまはエレミヤへの質問で答えています。

 これは、同郷の人々の暗殺計画に心悩ましてはならない。との励ましです。
 今は、歩くようなものであるが、この後は、馬に乗る人と争うことになる。また、今は平地だが密林を歩くようになるのだ。

 これは、これから来る試練はこれより大きい者だから、それを覚えて、今、わたしを信頼し、わたしに委ねよと教えているのです。

 神さまは、十分に私たちを備えさせてくださるお方です。
 たとえ、これから大きな試練が来ようとも、神さまは、充分な備えをさせてくださり、試練に対する御恵みで大いに満たしてくださるのです。

 ヨシヤ王をはじめ、周囲の者たちは結束し、偶像を取り除き、宗教改革を断行しました。
 しかし、偶像礼拝は人々の心を捉え、シミのように消えることのない、抜きがたいトゲとなって民の間にはびこっていたのです。そのため、民の多くは、本心から、ヨシヤ王の掲げる厳格で純粋な、まことの神さまに対する礼拝、信仰に戻りたいとは思わなかったのです。

 すでに、私たちはヨナ書で、ニネベの人々の速やかな、徹底した悔い改めを見ました。
 しかし、神の民と言われた彼らは、ヨシヤ王の熱心で真っ直ぐな、宮きよめや宗教改革にもかかわらず、偶像に捉われた心を、あらためて、真の神さまに向けることができませんでした。

 エレミヤは、ヨシヤ王の改革に大いに期待し、希望を持っていたことでしょう。にもかかわらず、多くの民が神さまに背き続け、神さまは、エレミヤにこのように語らせました。
 7章16節を読みます。

7:16 あなたはこの民のために祈ってはならない。彼らのために嘆き、祈ってはならない。またわたしに、とりなしをしてはならない。わたしはあなたの求めを聞かない。

 続けて7章27-28節を読みます。

7:27 たといあなたが彼らにこのすべての言葉を語っても彼らは聞かない。また彼らを呼んでもあなたに答えない。
7:28 それゆえ、あなたはこう彼らに言わなければならない、『これはその神、主の声に聞き従わず、その戒めを受けいれなかった国民である。真実はうせ、彼らの口から絶えた。

 ヨシヤ王の宗教改革への期待が大きかったと考えられるエレミヤ。
 しかし、神さまが彼らを滅ぼすという神さまの言葉を伝えなければなりませんでした。
 そこには、エレミヤの失意とともに悔しくて(良きヨシヤ王がここまでされているのに機会を活かせない民たち)、悲しい(悔い改めることのできない神の民)涙を垣間見るのです。

 しかし捕囚後、これほどはびこった偶像礼拝が、ピッタリと止むことを見れば、私たちは、神さまの御思い、ご計画の深さと完全に驚くばかりです。

 私たちは、「どうして」「なぜ」と、神さまの前に涙することがあったとしても、神さまの憐れみは、どこまでも私たちを追い求め、私たちへの最善が必ずなされるのです。
 エレミヤ書12章15節です。

12:15 わたしは、彼らを抜き出したのちに、また彼らをあわれんで、それぞれその嗣業に導き返し、おのおのを、その地に帰らせる。

2023年10月15日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川尚徳


(Woodcut for Die Bibel in Bildern, 1860. Josiah Hears the Torah)

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