ショートメッセージ【エレミヤ④】

エレミヤ書25章
(バビロンの王に70年仕える民)

1、神さまのことばを語り続けたエレミヤ
2、70年の約束
3、主の激しい怒り

 今回学ぶ25章からは、バビロン捕囚後に関するエレミヤの預言です。
 25章1~14節は、これまでのまとめです。
 15~38節は、南ユダ王国、および周辺諸国に対する主のさばきの宣言についてです。

1、神さまのことばを語り続けたエレミヤ
 エレミヤ書25章2-4節を読みます。

25:2 預言者エレミヤはこの言葉をユダのすべての民とエルサレムに住むすべての人に告げて言った、
25:3 「ユダの王アモンの子ヨシヤの十三年から今日にいたるまで二十三年の間、主の言葉がわたしに臨んだ。わたしはたゆまずにそれをあなたがたに語ってきたが、あなたがたは聞かなかった。
25:4 主はたゆまず、そのしもべである預言者を、あなたがたにつかわされたが、あなたがたは聞かずまた耳を傾けて聞こうともしなかった。

 この預言は2節に記されているように、エルサレムの住民のみならず、すべてのユダヤ人に向けて語られています。
 そしてエレミヤには、23年間神さまの言葉がエレミヤに与え続けられたのです。
 エレミヤは、神さまの御言葉に聞き従い、そして民に寄り添い、民のことを思って涙しつつも、民に迎合することはなかったのです。

 預言者エレミヤは、聞く耳を持たない民たちに、忖度なく神さまの言葉を真っ直ぐに伝え続けたのです。
 神さまの語る言葉を曲げて、エレミヤの語る言葉が、民の耳心地の良いように語ることや、また逆にエレミヤが、聞く耳を持たない民に呆れて、神さま、もう民を見捨てて滅ぼしてください。といった心が少しでもあったなら、神さまの言葉は止まっていたはずです。
 しかし、ここまで23年間エレミヤは神さまに従順であり続けたのです。

 25章4節《主はたゆまず、そのしもべである預言者を、あなたがたにつかわされた》とあるように、エレミヤは、怠ることなく、誠心誠意、本気で預言者としてその役割に徹しました。
 預言者として、エレミヤの神さまへの服従と忍耐は見習うべき素晴らしさです。
 エレミヤ書25章8-10節を読みます。

25:8 それゆえ万軍の主はこう仰せられる、あなたがたがわたしの言葉に聞き従わないゆえ、
25:9 見よ、わたしは北の方のすべての種族と、わたしのしもべであるバビロンの王ネブカデレザルを呼び寄せて、この地とその民と、そのまわりの国々を攻め滅ぼさせ、これを忌みきらわれるものとし、人の笑いものとし、永遠のはずかしめとすると、主は言われる。
25:10 またわたしは喜びの声、楽しみの声、花婿の声、花嫁の声、ひきうすの音、ともしびの光を彼らの中に絶えさせる。

 神さまは、エレミヤを通して神さまの言葉を民に伝え続けましたが、民はそれを聞こうと耳を傾けることがなかったと結論付けています。
 そのために、神さまは神の民の敵国である、バビロンの王ネブカデレザルを神のしもべとして呼び寄せて、南ユダ王国と、その住民と、その回りの国々とを攻めさせ、これを永遠のはずかしめとするというのです。そして、民の日常生活を終わらせ、人生の楽しみのすべて終わらせます。

※9節に注目する言葉があります。
神さまがネブカデレザルのことを《わたしのしもべ》と呼んでおられるところです。イザヤ書45章1節で、ペルシャ王クロスを《わたしはわが受膏者クロス》(受膏者=油注がれたもの)と呼ばれました。《バビロンの王ネブカデレザル》もペルシャ王クロスも異教徒です。信仰心を持って、主である神さまに仕えている王ではありません。しかし、神さまが、エルサレムとユダに対する御心を行なわれるのに重要や役割を果たす人物をこのように呼ばれているのです。

2、70年の約束
 エレミヤ書25章11-12節を読みます。

25:11 この地はみな滅ぼされて荒れ地となる。そしてその国々は七十年の間バビロンの王に仕える。
25:12 主は言われる、七十年の終った後に、わたしはバビロンの王と、その民と、カルデヤびとの地を、その罪のために罰し、永遠の荒れ地とする。

 神さまはバビロンの王ネブカデレザルを神のしもべとして、ユダとイスラエルへの裁きのために用いられました。
 この70年は、BC609年からBC539年と考えられています。

 BC609年はヨシヤ王が不慮の死をとげた年です。
 歴代志下35章20-24節を読みます。

35:20 このようにヨシヤが宮を整えた後、エジプトの王ネコはユフラテ川のほとりにあるカルケミシで戦うために上ってきたので、ヨシヤはこれを防ごうと出て行った。
35:21 しかしネコは彼に使者をつかわして言った、「ユダの王よ、われわれはお互に何のあずかるところがありますか。わたしはきょう、あなたを攻めようとして来たのではありません。わたしの敵の家を攻めようとして来たのです。神がわたしに命じて急がせています。わたしと共におられる神に逆らうことをやめなさい。そうしないと、神はあなたを滅ぼされるでしょう」。
35:22 しかしヨシヤは引き返すことを好まず、かえって彼と戦うために、姿を変え、神の口から出たネコの言葉を聞きいれず、行ってメギドの谷で戦ったが、
35:23 射手の者どもがヨシヤを射あてたので、王はその家来たちに、「わたしを助け出せ。わたしはひどく傷ついた」と言った。
35:24 そこで家来たちは彼を車から助け出し、王のもっていた第二の車に乗せてエルサレムにつれて行ったが、ついに死んだので、その先祖の墓にこれを葬った。そしてユダとエルサレムは皆ヨシヤのために悲しんだ。

 アッシリヤ王とその軍隊はバビロン軍に追われていました。このアッシリヤへの援軍のためにエジプトの王ネコが北上してきます。それを阻止しようとしたユダの王ヨシヤは、軍を率いてメギドの平地でエジプト軍に戦いを挑みます。ネコは「ユダを攻めるのではないから、軍を引け」と忠告しましたが、ヨシヤは聞き入れず、この戦いで彼は不慮の死を遂げました。

 同時にヨシヤ王の死によって、サムエルが制定したイスラエルの王制の理念が終わりを告げます。その理念とは、“まことの神さまこそが王”であり、人間の王は、あくまでも神さまの代理者であり、民を神さまに導く存在であり、異国の民に神さまの存在を示すのがイスラエルの王の役割でした。ヨシヤが、その最後の良い王さまでした。

 そして70年後のBC539年は、ペルシャ王クロスによるバビロン捕囚からの解放の年です。
 歴代志下36章21-23節を読みます。

36:21 これはエレミヤの口によって伝えられた主の言葉の成就するためであった。こうして国はついにその安息をうけた。すなわちこれはその荒れている間、安息して、ついに七十年が満ちた。
36:22 ペルシャ王クロスの元年に当り、主はエレミヤの口によって伝えた主の言葉を成就するため、ペルシャ王クロスの霊を感動されたので、王はあまねく国中にふれ示し、またそれを書き示して言った、
36:23 「ペルシャの王クロスはこう言う、『天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに賜わって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。あなたがたのうち、その民である者は皆、その神、主の助けを得て上って行きなさい』」。

 ちなみに
 BC597が、バビロンによる一次捕囚。
 BC587が二次捕囚で、この時エルサレムは完全に破壊されます。

 また、民の70年というほかに、国としての70年という見方もあります。
 BC587年に国が滅ぼされ、ハガイ書2章18に見る神の家の再建されたBC515年までです。

 神さまのすべての戒めに従うときに、国もまた民も賑わい栄え、喜びに満ちます。
 しかし、神さまに従わないときは、国は滅び、民はその地を追われるのです。
 このことは、神さまと共にあること、神さまと共に歩むことが人にとって何よりも幸いなことだと、ユダの民たちの歴史を通して私たちに明確に示されているメッセージなのです。

3、主の激しい怒り
 エレミヤ書25章37-38節を読みます。

25:37 主の激しい怒りによって、平和な牧場は荒れていく。
25:38 ししのように彼はその巣を出た。主のつるぎと、その激しい怒りによって、彼らの地は荒れ地となった」。

 主の激しい怒りによって平和な牧場=エルサレムは滅ぼされます。
 38節は、その激しい怒りに満ちた神さまの裁きの恐ろしい様子が表されています。

 ユダが滅びることを周りの国は喜んで見ていました。しかし、エレミヤは、神さまの秩序に外れた周りの国々も裁かれることを預言しています。
 25章29節を読みます。

25:29 見よ、わたしの名をもって呼ばれるこの町にさえ災を下すのだ。どうしてあなたがたが罰を免れることができようか。あなたがたは罰を免れることはできない。わたしがつるぎを呼び寄せて、地に住むすべての者を攻めるからであると、万軍の主は仰せられる』。

 これは、裁きの恐ろしさを示しながら脅そうとしているのではないでしょう。
 このことをふまえて、神さまを信じるようにという異邦人への招きでもあり、また、神の民のあなたがたも、神の民と言うだけで、心からの信仰がないなら、周りの国々への神さまの怒りの裁きと同様の裁きを受けることになるとの、南ユダの人々への警告なのです。
 そこにある神さまの深い意図は、1人でも多くの残りの者が、神さまを信じて人生を歩むことを望まれている。ということなのです。
 25章17-18節を読みます。

25:17 こうしてわたしは主の手から杯を受け、主がわたしをつかわされた国々の民に飲ませた。
25:18 すなわちエルサレムとユダのすべての町と、その王たちおよびそのつかさたちに飲ませて、それらを滅ぼし、荒れ地とし、人の笑いものとし、のろわれるものとした。今日のとおりである。

 南ユダ王国と周辺諸国に神さまの激しい怒りの杯を飲ませるという大変な役目を負ったエレミヤでしたが、恐れずに神さまよりいただいた激しい怒りの杯を国々の民に飲ませる働きを忠実に務めたのでした。

 神さまの大いなる信頼を得たエレミヤは、その期待通りに与えられた使命を果たしたのです。神さまと共にあること、神さまと共に歩むことが人にとって何よりも幸いなことだとユダの民たち、また私たちにエレミヤは自らの信仰と行動で示しているのです。

2023年10月29日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川尚徳

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