ショートメッセージ【エレミヤ⑤】

エレミヤ書26-45章
(民への裁きと希望)

1、イスラエルの指導者に拒否されたエレミヤ(26-29章)
2、イスラエルの将来の希望(30-33章)
3、エルサレムの包囲と陥落(34-45章)

 本日学ぶエレミヤ書26-45章は、民への裁きと希望が語られています。
 そのうち、26-29章はイスラエルの指導者に拒否されたエレミヤの姿。
 30-33章はイスラエルの将来の希望。そして34-45章はエルサレムの包囲と陥落について記されています。

1、イスラエルの指導者に拒否されたエレミヤ(26-29章)
 エレミヤ書26章1-3節を読みます。

26:1 ユダの王ヨシヤの子エホヤキムが世を治めた初めのころ、主からこの言葉があった、
26:2 「主はこう仰せられる、主の宮の庭に立ち、わたしがあなたに命じて言わせるすべての言葉を、主の宮で礼拝するために来ているユダの町々の人々に告げなさい。ひと言をも言い残しておいてはならない。
26:3 彼らが聞いて、おのおのその悪い道を離れることがあるかも知れない。そのとき、わたしは彼らの行いの悪いために、災を彼らに下そうとしたのを思いなおす。

 ヨシヤ王が不慮の死を遂げてから、その息子エホヤキムが王となって間もなく、エレミヤは、神さまの神殿で神さまの告げられたお言葉を語りました。
 エホヤキム王は、完全にエジプトのあやつり人形となり、自分の身を守るために公正と正義のない政治を行ない、バアル礼拝を復活させました。そんな状況下でエレミヤが語った神さまの言葉に対する反応が記されています。

 ここで、エルサレムの民たち、とくに指導者である祭司と預言者らは、全く聞く耳を持たずに、エレミヤを殺そうとします。
 26章11節を読みます。

26:11 祭司と預言者らは、つかさたちとすべての民に訴えて言った、「この人は死刑に処すべき者です。あなたがたが自分の耳で聞かれたように、この町に逆らう預言をしたのです」。

 ただ、《つかさたち》(町の首長)や民たちは、「神さまの言葉を語る預言者を死刑にすべきではない。」と言い、また長老たちは、預言者ミカの預言を思い出して、エレミヤが伝える神さまの言葉を聞いて、自ら災いを避けるべきだと言います。
 26章17-19節を読みます。

26:17 その時この地の長老たち数人が立って、そこに集まっているすべての者に告げて言った、
26:18 「ユダの王ヒゼキヤの世に、モレシテびとミカはユダのすべての民に預言して言った、『万軍の主はこう仰せられる、シオンは畑のように耕され、エルサレムは石塚となり、宮の山は木のおい茂る高い所となる』。
26:19 ユダの王ヒゼキヤと、すべてのユダの人は彼を殺そうとしたことがあろうか。ヒゼキヤは主を恐れ、主の恵みを求めたので、主は彼らに災を下すとお告げになったのを思いなおされたではないか。しかし、われわれは、自分の身に大きな災を招こうとしている」。

 しかし、エホヤキム王は、エレミヤと同じように神さまの言葉を語った預言者ウリヤを殺してしまいます。本来、民たちを神さまに導くはずの王が、神さまの言葉を聞かず、封印してしまいました。

 エレミヤの言葉に耳を傾けて、神さまに従おうとする声がある中で、そこに導くはずの王が、それを抹殺してしまったのです。ここでもエレミヤの悲しみと涙が見えるようです。

 エレミヤが殺されなかったのは、シャパンの子アヒカムの擁護があったからです。
 アヒカムの父シャパンは、ヨシヤ王の書記官で、「主の宮で律法の書が見つかった」ときに、それを実際に読んでから、王のもとに行って報告し、王の前で律法の書を読んだ人でした(列王紀下22章3-13節)。

 続く27章では、南ユダ王国の周辺諸国が、すべてバビロンの王ネブカデネザルの支配下に置かれることが預言されています。

 28章は、エルサレムの人々に偽りの希望と安心を与えようとし、バビロン捕囚からすぐに解放されるとする、偽(にせ)預言者ハナヌヤに対抗するエレミヤ。
 そして29章では、同様にバビロンにおいても偽預言者が早期の解放の預言をします。
 29章10-14節を読みます。

29:10 主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る。
29:11 主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。
29:12 その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈を聞く。
29:13 あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、
29:14 わたしはあなたがたに会うと主は言われる。わたしはあなたがたの繁栄を回復し、あなたがたを万国から、すべてわたしがあなたがたを追いやった所から集め、かつ、わたしがあなたがたを捕われ離れさせたそのもとの所に、あなたがたを導き帰ろうと主は言われる。

 そのような中でエレミヤは、正確な神さまのご計画について、また、心を尽くして神さまを尋ね求める者には必ず、回復の希望があることを伝えます。

 私たちは自分中心の自分の思いではなく、神さまのご計画と御心を受け入れて歩むことが人としての幸いであることを教えられています。

2、イスラエルの将来の希望(30-33章)
 申命記30章20節を読みます。

30:20 すなわちあなたの神、主を愛して、その声を聞き、主につき従わなければならない。そうすればあなたは命を得、かつ長く命を保つことができ、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地に住むことができるであろう」。

 この箇所は、かつて、モーセが伝えた神さまの御言葉です。これに従わなかった民を神さまは、お見捨てにはならず、新しい契約を立てて、南ユダだけでなく全イスラエルを、必ず回復させるとエレミヤは語ります。
 エレミヤ書30章3節、30章22節、31章1節を続けて読みます。

30:3 主は言われる、見よ、わたしがわが民イスラエルとユダの繁栄を回復する日が来る。主がこれを言われる。わたしは彼らを、その先祖に与えた地に帰らせ、彼らにこれを保たせる」。

30:22 あなたがたは、わたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる」。

31:1 「主は言われる、その時わたしはイスラエルの全部族の神となり、彼らはわたしの民となる」。

 これが神さまのご計画であり、目的なのです。
 エレミヤ書31章32-34節を読みます。

31:32 この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。
31:33 しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。
31:34 人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。

 この箇所は、メシヤである救い主イエス・キリストを通して、私たちにも与えられる恵みのことです。

 32章では、エレミヤがユダの王ゼデキヤによって監禁されます。バビロンに反旗を翻した王に対し、エレミヤは、バビロンに勝つことができない。それが神さまの御心だと告げたからです。
 エレミヤのおじシャルムの子ハナメルが、監禁されているエレミヤの所にやって来て、「アナトテにある土地を買い取ってほしい」と頼みます。
 エレミヤはこの土地を買い戻します。これは、この先、民が捕囚から解放されて、再びこの地に連れ戻され、土地が買われるようになるという預言を裏付ける象徴でした。

 そして33章で再び全イスラエルの回復が語られます。
 エレミヤ書33章7-8節を読みます。

33:7 わたしはユダとイスラエルを再び栄えさせ、彼らを建てて、もとのようにする。
33:8 わたしは彼らがわたしに向かって犯した罪のすべてのとがを清め、彼らがわたしに向かって犯した罪と反逆のすべてのとがをゆるす。

 そして、全イスラエルの回復を実現するのはダビデの家(子孫)から出る「若枝」(ひこばえ)によると言われています。
 エレミヤ書33章15-16節を読みます。

33:15 その日、その時になるならば、わたしはダビデのために一つの正しい枝を生じさせよう。彼は公平と正義を地に行う。
33:16 その日、ユダは救を得、エルサレムは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。

 そして、この《一つの正しい枝》がメシヤ=救い主であるイエス・キリストです。

3、エルサレムの包囲と陥落(34-45章)
 このうち、34-36章はエルサレム陥落直前の様子、37-39章はまさにエルサレムの包囲と陥落について、そして40-44章は陥落後とエジプトでの出来事が記されています。

 34章では、ユダの民がつるぎと、疫病と、飢饉に見舞われる理由が記されています。自分たちから神の律法に従い、奴隷を解放することを宣言し、契約を結んだにもかかわらず、政治的状況が変ったことで心変わりして、契約破棄して奴隷を連れ戻したことで、神さまの怒りをひき起こしたからです。

 35章では、レカブ人の従順さが神さまに認められています。レカブ人はケニ人の子孫で半遊牧生活をしていた人々です。彼らは先祖ヨナタブの教えに従って、酒を飲まず、不動産を持たず、天幕に住んでいました。これは、先祖の教えに従えない、また預言者を通して神さまの声を聞き悔い改めることのない不従順なユダの民との対比となっています。

 36章では、神さまがユダの民を悔い改めに導こうと語った言葉をエレミヤの弟子バルクが書き記した巻物をユダの王エホヤキムが燃やしてしまいます。
 このユダヤの民の不従順によって、いよいよ、エルサレムの陥落に向かって彼らは転がり落ちていきます。

 37章は、バビロンとエジプトの動きに翻弄され、エルサレム陥落の危機におびえて、神さまからの御言葉を願いながら、自分に都合の悪い言葉であれば、一切耳を傾けようとしないユダの王と民たちが描かれています。それでも38章では、なお神さまは、憐れみをもってエレミヤを通して王を導いています。

 そして39章、いよいよエルサレムが陥落します。
 エレミヤ書39章7-8節と39章11-12節を続けて読みます。

39:7 王はまたゼデキヤの目をつぶさせ、彼をバビロンに引いて行くために、鎖につないだ。
39:8 またカルデヤびとは王宮と民家を火で焼き、エルサレムの城壁を破壊した。

39:11 さてバビロンの王ネブカデレザルはエレミヤの事について侍衛の長ネブザラダンに命じて言った、
39:12 「彼をとり、よく世話をせよ。害を加えることなく、彼があなたに言うようにしてやりなさい」。

 ここでは、神さまに従わなかったセデキヤ王と、従い続けたエレミヤの神さまの取り扱いの違いが明確にされています。神さまに従う者、従おうとする者は、神さまが助け、守りを与えてくださるのです。

 ここまでの結論は、すでに37章1-2節に記されていました。

37:1 ヨシヤの子ゼデキヤはエホヤキムの子コニヤに代って王となった。バビロンの王ネブカデレザルが彼をユダの地の王としたのである。
37:2 彼もその家来たちも、その地の人々も、主が預言者エレミヤによって語られた言葉に聞き従わなかった。

 40-41章では、陥落後、捕囚でバビロンに連れて行かれずに、ユダに残った人々の混乱が描かれています。バヒロンの王は、残りの民たちのために、ゲダリヤを総督として任命します。しかし、そのゲダリヤは、残った者たちに暗殺されるという事件が起きます。
 彼らは報復を恐れ、エレミヤに神さまの言葉を求めます。

 42-43章では、この地にとどまればバビロンから守る。という、エレミヤを通して語られた神さまの言葉に従わず、エジプトに逃れていく人々の姿があります。
 エレミヤ書44章27-28節を読みます。

44:27 見よ、わたしは彼らを見守っている、それは幸を与えるためではなく、災を下すためである。エジプトの地にいるユダの人々は、つるぎとききんによって滅び絶える。
44:28 しかし、つるぎをのがれるわずかの者はエジプトの地を出てユダの地に帰る。そしてユダの残っている民でエジプトに来て住んだ者は、わたしの言葉が立つか、彼らの言葉が立つか、いずれであるかを知るようになる。

 ここでも、イザヤ書で見たのと同じように「残りの者」について語られています。
 神さまは、神さまに従順に従う者、従おうとする者を必ず守られます。それは歴史が証明しています。そして、今私たちイエス・キリストを信じた者も神さまは漏らさず、残りの者に数えてくださっています。

 本日見てきた、自分の思いを神さまの言葉として聞こうとした、ユダヤの王や民のようにではなく、神さまの御心とご計画を素直に受け入れていく信仰者となるように、神さまは望まれておられます。

 自分中心の生き方から、神さまの御心を中心にする歩みが信仰の歩みであり、私たちは、自分中心の思いを、神さま中心に変えることができるように試練が与えられます。

 しかし、神さまは憐れみ深いお方ですから、どこまでも立ち帰ってご自身の方へ向くことができるように、神さまのフォローが必ずあります。
 そこで、自分で頑張ろうとしないで、握りしめているものを手放して、神さまに預けていくようにと教えられているのです。

2023年11月5日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川尚徳

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