ショートメッセージ【イエス・キリストのご降誕と人々の関心】

マタイによる福音書2章1~11節とルカによる福音書2章10-20節
「イエス・キリストのご降誕と人々の関心」

1、東方の博士
2、ヘロデ
3、祭司長、学者たち
4、星
5、博士たちのささげもの - 礼拝
6、羊飼い

 本日は、12月24日クリスマスですので、ダニエル書をお休みして、世界で最初のクリスマスをマタイによる福音書とルカによる福音書より見ていきたいと思います。

 イエス様の生涯を記している福音書は4つありますが、誕生について記している書簡は、本日学ぶ、マタイによる福音書とルカによる福音書の2書簡です。

 新約聖書では、時かなって、キリスト(救い主)が来られたのは2つの場面に分けられています。
 つまり、この世に肉体をもって訪れた、すなわち誕生したことと、公に人々の前に現れたことに分けられています。マタイによる福音書とルカによる福音書では、本日学ぶ2章に、この地上に現れたキリストについて描かれており、3章以降に、公に現れたキリストが書かれています。

1、東方の博士
 マタイによる福音書2章1-2節を読みます。

2:1 イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、
2:2 「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」

 2節に博士たちが《そのかたを拝みにきました》と言っています。イエス様がこの世界に来られてから、まず、最初に受けられたのが、この礼拝です。ユダヤ人の王として礼拝をお受けになりました。

 では、礼拝をしに来た人物は誰でしょうか。
 1節にある通り、《東から来た博士たち》です。
 その“東”が具体的にどの地域に該当するかは分かっていません。しかし、《ユダヤ人の王》という認識がありますから、ユダヤ人たちが捕囚によって居住していた旧バビロンの地域ではないかという推測は出来ます。
 ここで大切なことは、イスラエルとは、特に深い関係を持っていない国からの人達であるということです。

 彼らはまた、星についての博士なのではないかと言われています。おそらく今でいう天文学者であり、また占星術師※だったと思います。おそらく、聖書とは関係のない分野を研究していた人々でした。国も違うし、文化も違う、人種も違うし、そして宗教も違うにも関わらず、東方の博士たちが、ユダヤ人の王を拝みに来たのです。

 ユダヤ人の離散によって、メシヤ誕生の言い伝えや聖書の預言を知って、詳しく関連性を調べたのだと考えられています。

※占星術(astrology)古代のバビロニア・ペルシア・インド・アラビア・中国などに始まり、中世に盛んに行われた一種の占い。天体、特に惑星の位置や運行によって人や国家の吉凶・運命を占った。近世以前の天文学の形態。[広辞苑 第七版]

 旧約聖書に、ユダヤ人の先祖であるアブラハムの子孫から、すべての民族を祝福するメシヤ、すなわちキリストが来られる事が約束されています。

 そして新約聖書では、今から約2000年前にイスラエルのベツレヘムでお生まれになった“イエス”というお方が、メシヤであるというのです。
 ですから、イエス・キリストによって、ユダヤ人をはじめとして、全ての民族の人達が祝福を受けることが出来ます。端的に言いますと、キリストは私たち日本人を祝福する王でもあるのです。過去、さまざまな国で王や皇帝が、神として崇められていましたが、彼らが単なる人間にすぎないことは証明されました。

 聖書を読むと、実は、キリストこそ本当の王(指導者)であり、本当の神さまなのです。
 神さまは、この地球を創造され、測り知れない宇宙を創造した御方なのです。そこには緻密に計算された法則や物質、細胞があります。そのようなお方に、私たちも、キリストを王(指導者)としてあがめています。
 こうして東方の博士は、イエス様をユダヤ人の王として拝みに来ました。

2、ヘロデ
 2章3節を読みます。

2:3 ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。

 ヘロデは、当時イスラエルの土地を支配していました。
 そのヘロデは、イドマヤ人でユダヤ人ではありませんでした。ローマ帝国の実力者の支持を得て王の地位を獲得しましたが、ユダヤ人の支持を得るためにも大変苦慮しました。イドマヤ出身のため、軽蔑されていたようです。そこでヘロデは、祭司であり当時の王家の家系のマリアンメと婚約し、当時の王朝ハスモン王家の一員となることに成功したのです。結果、ユダヤ人としての名目を得たのです。
 辞典や歴史書によると、ヘロデ王は賢い人であり、神殿をはじめとして、立派な建築物を多く建てました。

 その一方で、ヘロデ王は、猜疑心が強く、残酷であったことが知られています。権力志向と数人の妻とその息子たちの思惑が絡み合って、疑心暗鬼となり2人の王子を殺し、その後、長男を処刑してしまいました。その処刑の5日後、ヘロデ大王は国民からも近親からも憎悪され、不信と病苦にさいなまれつつ死にました。 
(ベツレヘムの幼児殺し(マタイ2章16節)は、こういう状況下の事件でした)

 さて、東の博士たちが、ユダヤ人の王を拝みにきました。というヘロデの反応はどうでしょうか。
 《不安を感じた》とあります。自分がユダヤ人の王であるのに、本物の王がお生まれになったことに、とても脅威を感じたのです。自分の立場が脅かされるのを感じたのでしょう。
 ヘロデは、ユダヤ人の王がお生まれになった知らせを聞いて恐れ惑いました。

3、祭司長、学者たち
 では、2章の4-8節を見てみましょう。

2:4 そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。
2:5 彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、
2:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。
2:7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、
2:8 彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。

 ヘロデ王は、祭司長たちと、民の律法学者たちを集め、キリストの生まれる場所を聖書から聞きました。その後、博士たちからキリストの生まれた推定の時期を聞いています。

 ヘロデ王は、ユダヤ人の王が生まれたことを少なくとも真剣になって受けとめていることがわかります。その一方で、祭司長たちと、民の律法学者たちは、どことなく関心は無いようです。彼ら、祭司長たちと民の律法学者たちは、聖書を調べ、聖書に精通している立場の人たちでしたが、ユダヤ人ではない博士たちやヘロデとは違って、特に興味を示さなかったのです。

 祭司長たちと律法学者たちもキリストを待ち望んでいたはずです。ローマ帝国の属州として税金を課され、異教の文化を持ち込まれ、ローマ帝国に勝つ強い救い主を望んでしました。
 ヘロデ同様に自分たちの地位を脅かすと考えたかもしれません。理由は分りませんが、祭司長たち・律法学者たちは、キリストが生まれることを知りながら、東方の博士たちのようにイエス様に会いにいくことはしませんでした。

4、星
 2章9-10節を読みます。

2:9 彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
2:10 彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。

 博士たちが見た星が、博士たちを幼子キリストのところまで先導しました。この星が何の星なのか、いろいろな説があります。
 『これは、星が超自然的に動いたと考えた方がいいでしょう。』と言う方は多いです。この赤ちゃんは、神さまが人間の姿を取って来られた方でです。

 マタイによる福音書1章23節には、《その名はインマヌエルと呼ばれるであろうこれは、「神われらと共にいます」という意味である。(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)》とあります。この聖句は、イエス様がご誕生される約700年前、神さまから預言者イザヤが与えられた御言葉です。イザヤ書7章14節に書いてあります。その預言が成就した聖書の最初の言葉は、《はじめに神は天と地とを創造された。》です。

 宇宙そして、天と地と海とそこにいるすべてのものを造られた方が、一つの星を動かすのは何の困難もありません。
 神学の学びで、自然そのものを見て神さまを感じることや、神さまが、おられると思う事は自然啓示と言います。そして、聖書のことを特別啓示と言います。博士たちを導いた“星”は、自然啓示と聖書の記事に載るわけですから両方だと言えます。

 神さまを信じる者、神さまに期待する者には、両方が与えられ信仰に確信を持つことができ、神さまへ栄光を帰することができるのでしょうね。

 このように、博士たちがキリストを礼拝する時に、星が彼らを先導しました。そして彼らはこの上もなく喜びました。ヘロデが恐れ惑う姿と対象的です。しかし、これがキリストをひれ伏し拝む人々の心の状態です。旧約聖書の詩篇100篇にはこう書かれています。

100:1 全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。
100:2 喜びをもって主に仕えよ。歌いつつ、そのみ前にきたれ。
100:3 主こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である。
100:4 感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。
100:5 主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく、そのまことはよろず代に及ぶからである。

 詩篇95~100篇は、紀元前516年の第2神殿奉献の時に歌われたと考えられています。
 100篇は、その締めくくりの歌です。1節の《全地よ》とありますが、96篇にも同じ言葉が使われています。その《全地》ですが、ヘブル語で〈ハーアレス〉と言うのですが、地球、土地(の人々)、地球の表面、などを指します。つまり、この100篇は、礼拝の招きの歌なのですが、地球全体レベルの招きであり、その理由は5節で、イスラエルに対して明示された神さまの憐れみと恵み、愛が、喜びと感謝にあることを示していて、ご自身が全世界の神であり、全ての民が礼拝すべき御方であることを明らかに示しているのです。

5、博士たちのささげもの – 礼拝
 2章11節を読みます。

2:11 そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。

 博士たちは、ひれ伏して礼拝をしました。その博士たちの礼拝は、ささげた宝の中に意味が示されています。この3つはいずれも王を王として認める贈り物です。
 《黄金》は、王の輝かしい栄光が示されています。世界中のどのような素晴らしいものでも、キリストの素晴らしさに比べれば小さなものです。
 《乳香》は、神さまへの祈りにささげられる香りです。キリストは神さまであり、聖徒たちの祈りを聞かれます。
 《没薬》は、死体の防腐剤として使われますが、なぜユダヤ人の王に対してそのような物がささげられたのでしょうか。聖書には、キリストが、イスラエルの民の罪のため、また、イスラエルの民以外、異邦人の罪のために、身代わりとなって裁きを受け死なれることが預言されています。そして、イエス様は30代の時に、十字架につけられて死なれました。そのため、没薬がささげられたのです。そして、この方こそ、全人類の罪の供え物となってくださった救い主であり、この方を信頼することによって罪の赦しを得ることが出来ます。

 すべての人は罪を犯し、《一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まってい》ます。(新約聖書 ヘブル人への手紙9章27節)。しかし神さまは、ひとり子のキリストをこの世に遣わし、この方を通して救われる計画をつくってくださいました。

 11節で、博士たちがキリストを礼拝するとき、黄金と乳香と没薬を贈り物としてささげました。これが、博士たちの礼拝でした。

6、羊飼い ルカによる福音書2章10-20節
 最後に、ルカによる福音書2章ある羊飼いたちですが、ベツレヘム地方で夜、野宿しながら羊の番をしていた時に、御使い(天使)が現れ、恐れている羊飼いたちに言いました。
 ルカによる福音書2章10-12節です。

2:10 御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。
2:11 きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。
2:12 あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。

 そして、2章13-14節です。

2:13 するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、
2:14 「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。

 と賛美しているのです。16節《そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。》とあり。羊飼いたちは、イエス様の事について告げ知らされたことを人々に伝えました。そして、2章20節です。

2:20 羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。

 御使いに救い主がお生まれになることを知らされた羊飼いたちは、イエス様を探しだし、イエス様のご降誕と自分たちに起こった出来事を人々に告げ知らせ、そして、《神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。》のです。
 救い主を求め、神さまをあがめ、賛美することは、神さまを信じる者の自然な行動ですね。

 英語の「Christmas」は「Christ(キリスト)」と「mass(ミサ)」を組み合わせた言葉で、「キリストのミサ」という意味です。ですから、クリスマスとは、キリストの降誕をお祝いし礼拝する日です。

 冬の街のイルミネーション、綺麗ですね。
 約2000年前、神さまは、私たち人の心を灯すためにイエス様をこの世界へ“人の子”としてお遣わしになられました。私たちの心は、イエス様によって灯されています。
 東の博士たちや羊飼いたちのように、こうして、皆さんとイエス様のご降誕をお祝いする礼拝を持つことができ心から感謝いたします。

2023年12月24日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

870919516

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