ショートメッセージ【ネヘミヤ④】

ネヘミヤ記7-12章
(祭司職の復興を通して)

1、祭司職の再編(7章)
2、律法に耳を傾ける民(8章)
3、神への心からの信頼の背景には(9-12章)

1、祭司職の再編(7章)
 ネヘミヤ記7章1-2節を読みます。

7:1 城壁が築かれて、とびらを設け、さらに門衛、歌うたう者およびレビびとを任命したので、
7:2 わたしは、わたしの兄弟ハナニと、城のつかさハナニヤに命じて、エルサレムを治めさせた。彼は多くの者にまさって忠信な、神を恐れる者であったからである。

 城壁が完成した後に、ネヘミヤはすぐに祭司の体制を編成するように命じます。
 7章5-7節読みます。

7:5 時に神はわたしの心に、尊い人々、つかさおよび民を集めて、家系によってその名簿をしらべようとの思いを起された。わたしは最初に上って来た人々の系図を発見し、その中にこのようにしるしてあるのを見いだした。
7:6 バビロンの王ネブカデネザルが捕え移した捕囚のうち、ゆるされてエルサレムおよびユダに上り、おのおの自分の町に帰ったこの州の人々は次のとおりである。
7:7 彼らはゼルバベル、エシュア、ネヘミヤ、アザリヤ、ラアミヤ、ナハマニ、モルデカイ、ビルシャン、ミスペレテ、ビグワイ、ネホム、バアナと一緒に帰ってきた者たちである。そのイスラエルの民の人数は次のとおりである。

 この8節以降、子孫の人数が記されています。
 まだ、神殿と城壁以外は町と呼ぶことのできないような状況の中で、まず神さまとの関係を正すことを優先するために祭司職を再編したということです。
 ネヘミヤをはじめ、離散し帰ってきた民が、真っ先に神さまを求める姿勢がありました。捕囚される前の祖先たちが、神さまを後回しにし、油断し、侮った姿とは明らかに変わりました。

 捕囚の出来事は、あまりにも悲惨なものでしたが、そのことを通して子孫たちは神さまへの信頼を取り戻しました。
 神殿や城壁が回復したのだから、次に自分たちの家やインフラ整備と考えるのが普通でしょう。しかし、もっと大切なことは、自分たちの国やアイデンティティは何なのか。
 そのことは、当時のイスラエルの民たちにとって必要不可欠なものだったのです。

 貧しい国では、自分たちの生活がままならない状況であっても、子どもたちのために青空学校を作り、教会やモスク、寺院を建てるのだそうです。どんなに生活が苦しくても、自分たちのこれからの希望や目的がなければ人は生きられないということなのでしょう。
 今は何ももたないように見えるイスラエル人たちですが、神さまへの信頼という大きな尊いものをもっているのです。

2、律法に耳を傾ける民(8章)
 8章1-3節を読みます。

8:1 その時民は皆ひとりのようになって水の門の前の広場に集まり、主がイスラエルに与えられたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに求めた。
8:2 祭司エズラは七月の一日に律法を携えて来て、男女の会衆およびすべて聞いて悟ることのできる人々の前にあらわれ、
8:3 水の門の前にある広場で、あけぼのから正午まで、男女および悟ることのできる人々の前でこれを読んだ。民はみな律法の書に耳を傾けた。

 祭司という神さまとのつながりを形式的に再編したのち、ネヘミヤは、祭司エズラにモーセ五書を民たちに聞かせるように求めました。神殿や城壁、そして祭司の再編という形だけが整ってもそれを実行する決まりや服従する心がなければなりません。
 8章7-8節を読みます。

8:7 エシュア、バニ、セレビヤ、ヤミン、アックブ、シャベタイ、ホデヤ、マアセヤ、ケリタ、アザリヤ、ヨザバデ、ハナン、ペラヤおよびレビびとたちは民に律法を悟らせた。民はその所に立っていた。
8:8 彼らはその書、すなわち神の律法をめいりょうに読み、その意味を解き明かしてその読むところを悟らせた。

 と書かれていますので、民は余すところなくモーセ五書から自分たちの神について、ルーツや歴史、神さまとの関係の在り方を知ったことでしょう。
 次に8章9-12節を読みます。

8:9 総督であるネヘミヤと、祭司であり、学者であるエズラと、民を教えるレビびとたちはすべての民に向かって「この日はあなたがたの神、主の聖なる日です。嘆いたり、泣いたりしてはならない」と言った。すべての民が律法の言葉を聞いて泣いたからである。
8:10 そして彼らに言った、「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です」。
8:11 レビびともまたすべての民を静めて、「泣くことをやめなさい。この日は聖なる日です。憂えてはならない」と言った。
8:12 すべての民は去って食い飲みし、また分け与えて、大いに喜んだ。これは彼らが読み聞かされた言葉を悟ったからである。

 8章9節で、《すべての民が律法の言葉を聞いて泣いた》と書いてあります。それぞれが先祖から自分に至るまで神さまへの不敬や非礼、不従順を嘆いたということです。
 現代で言えば、聖書の御言葉より自分の過ちに気付き、ただ祈りとも許しを請うとも言えないような心持ちでいる状態と言えばよいでしょうか。
 そのような心に、神さまは顧みられます。
 イザヤ書66章2節を読みます。

66:2 主は言われる、「わが手はすべてこれらの物を造った。これらの物はことごとくわたしのものである。しかし、わたしが顧みる人はこれである。すなわち、へりくだって心悔い、わが言葉に恐れおののく者である。

 イザヤの時代は、神を神としない民たちがほとんどでした。しかし今、その子孫はへりくだって心悔いて、神さまのお言葉に恐れおののく者たちとなりました。
 
3、神への心からの信頼の背景には(9-12章)
 ネヘミヤ記9章1-3節を読みます。

9:1 その月の二十四日にイスラエルの人々は集まって断食し、荒布をまとい、土をかぶった。
9:2 そしてイスラエルの子孫は、すべての異邦人を離れ、立って自分の罪と先祖の不義とをざんげした。
9:3 彼らはその所に立って、その日の四分の一をもってその神、主の律法の書を読み、他の四分の一をもってざんげをなし、その神、主を拝した。

 神さまに対して民全体が、これまでの自分と先祖の罪を悔いたということです。そしてエズラは、これまでのイスラエルの歴史を紐解きながら、神さまへの悔い改めと感謝をしました。
 10-12章では、祭司が職を全うするための道具や制度を再興し、それぞれの部族ごとに住む場所を決めてその場所ごとに祭司やレビ人を配置していったことが書かれてます。
 これで、イスラエルは実質的に神さまとのつながりを、再度もつことができるようになり、安定した生活ができるようになっていったのです。

 今回、学ぶべきポイントは、新約聖書マタイによる福音書6章33節前半の《まず神の国と神の義とを求めなさい。》ということでしょう。何よりも、神さまとの関係を保てなければ希望や目的はありません。
 そして次は、早く神さまの前に過ちや不敬を告白し、悔い改めることです。
 神さまは、私たちの心や姿勢・態度を見ておられます。そして、求められます。
 捕囚前の民と帰ってきた民の違いから、私自身の心は、一体どちらかなのかと考えて適用しないのであれば、それは彼らから何も学んでいないということです。聖書は今日に至るまで、変わらず私たちに語りかけているのですから。

2024年3月10日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治

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