ショートメッセージ【ハスモン家とヘロデ家】

1、ハスモン家
2、ヘロデが王となる経緯
 (1)ヘロデ家の出身
 (2)ヘロデ大王がユダヤの王になった経緯
3、新約聖書に登場する主要なヘロデ一族

 前回のメッセージで、2、中間時代の概要の(3)マカベア時代(前165‐後63年)を学びましたが、本日は、少し掘り下げてみたいと思います。
 
1、ハスモン家
 ハスモン家は、旧新約中間時代の後半、前2世紀の半ばから約120年間、パレスチナでユダヤ人を支配した祭司の家系です。
 マカベアという名前は、指導者ユダの別名。ヨハネ・ヒルカノス以後、ハスモン王朝(マカベア王朝)とも呼ばれます。この一族の中には、王の称号を受けた者もいます。

 前回、学びましたが、当時のユダヤ人は、シリヤのセレウコス王朝の支配を受けてました。アンティオコス・エピファネスは、〈 第百四十五年(前168年)、キスレウの月(現在の11-12月)の十五日には、王は祭壇の上に「憎むべき破壊者」を建てた。人々は周囲のユダの町々に異教の祭壇を築き〉ました。(新共同訳Ⅰマカバイ1章54節)。

 祭司であったマタティアは、エルサレムを逃れ、モデインという地方に定住しました。
 そこで、偶像礼拝を強制されたため、一人のユダヤ人が、その場にいる全員の前に進み出て、王の命令に従いモデインの異教の祭壇に、いけにえを捧げようとしたので、その男を切り、王の役人も殺し、祭壇を打ち壊しました。

 マタティアは、「律法に情熱を燃やす者、契約を固く守る者はわたしに続け。」と、呼びかけを残し、5人の息子(ガディと呼ばれるヨハネ、タシと呼ばれるシモン、マカバイと呼ばれるユダ、アワランと呼ばれるエレアザル、アフスと呼ばれるヨナタン)と共に山へ逃れ、反シリア(セレウコス朝)のゲリラ戦争を開始したのです。

 マタティアは遺言を残して約1年後に死に、マタティアの三男、マカバイと呼ばれるユダが戦いを引き継ぎ、シリヤのセレウコス軍を破り、イスラエルとシリヤは和解しました。
 そして紀元前165年にエルサレムを奪回し、キスレウの月(現在の11-12月)の25日に、シリヤの偶像や豚のいけにえによって汚された神殿をきよめたのです。

 このことを記念して行う“宮きよめの祭(ハヌカの祭)”は、ヨハネによる福音書10章22節に《そのころ、エルサレムで宮きよめの祭が行われた。時は冬であった。》書かれている通りイエス様の時代を経て、ユダヤ人の間で今日まで続いています。
 反乱を強く支持したのは、ハシディーム(敬虔な者)と呼ばれた、律法に身をささげた者たちでした。しかし、彼らは、純粋に宗教上の自由を目標としていたので、政治的独立を目指すマカベア家から離れていきました。

 ユダ(マカバイ)の戦死後、アフスと呼ばれる“ヨナタン”は戦いを進め、シリヤとの交渉で成果をあげ、ローマ帝国の元老院に使者を送ることによって、マカベア家の指導体制を固めました。

 “ヨナタン”の権力の強大を恐れたシリヤ(セレウコス朝)は、前142年ヨナタンを騙して殺害しました。
 タシと呼ばれるシモンは、“ヨナタン”の後継者となり、シモンは、シリヤの内紛に乗じて、シリヤに税金の免除を認めさせ、ユダヤは独立しました。

 シモンは、海岸地方を占領し、交易による繁栄を目指しました。Ⅰマカベア13章41‐42節に、〈第百七十年、イスラエルは異邦人の軛(くびき)から解放された。イスラエルの民は公文書や契約書に、「偉大なる大祭司、ユダヤ人の総司令官、指導者であるシモンの第一年」と、記し始めた。〉とあります。しかしシモンは、娘の夫によって暗殺され、実子ヨハネ・ヒルカノスが実権を握り、以後この家系は「王朝」と呼ばれるようになりました。

 ヨハネ・ヒルカノスの時に、シリヤのセレウコス王朝から完全に独立し、周辺のサマリヤ、イドマヤにも進出しました。そのヨハネ・ヒルカノスの政策は、宗教上の精神性・伝統に立つパリサイ派等との争いを起すことになりました。

 ユダ王国ハスモン朝のユダヤ国家は、アレクサンドロス=ヤンナイオス(在位紀元前103-76)のときに、かつてのイスラエル王国のダビデやソロモンの支配領域を回復したのですが、その後内紛が続き、ローマ帝国の介入を受けることとなってしまいます。

 その後の後継者は、マカベア反乱の初期の宗教的伝統からはずれ、後継者問題で骨肉の争いを起こし、宗教紛争を起し続けました。そして、内部紛争に、イドマヤ(エドム:主にエサウの子孫)、ナバテヤ王国、ローマ帝国が干渉したため、指導体制が混乱しました。

 ハスモン朝の支配はローマ帝国の影響力により、名前だけのものになっていました。
 ヨハネ・ヒルカノス2世は、ローマ帝国の後ろ盾によって王位に就いていることができたました(在位:紀元前63年-紀元前40年)。
 そのヨハネ・ヒルカノス2世は、そのころ東から進出してきたパルティア(イラン系遊牧民が、セレウコス朝シリヤから自立し、イラン高原に建国した国家。)と組んだアリストブロス2世の遺児アンティゴノスによって捕らえられ、王位を奪われました。

 そのアンティゴノスは、パルティアの支援によって、父の仇を討って王と大祭司の地位を手にいれることに成功しました。紀元前40年から紀元前37年まで在位したアンティゴノスは大祭司にして王というユダヤの二大称号を保持した最後の人物となりました。

 ヨハネ・ヒルカノス2世を支えた武将アンティパテル2世の息子ヘロデ(ヘロデ大王)もアンティゴノスに命を狙われたのですが、辛うじてその手を逃れ、ローマに渡り、元老院から支持を得ることに成功し、ユダヤの王として承認されたのです。

 ヘロデは、マルクス・アントニウスが率いたローマ軍と共にユダヤに戻り、パルティア軍を追い払い、後ろ盾を失ったアンティゴノスを破って紀元前37年にユダヤの王となりました。ローマ軍の捕虜となったアンティゴノスは斬首されてハスモン朝は滅亡、ローマ帝国の公認のヘロデ朝が成立したのです。

2、ヘロデが王となる経緯
 (1)ヘロデ家の出身
 ヨシュア記15章1節と21節を読みます。 

15:1 ユダの人々の部族が、その家族にしたがって、くじで獲た地は、南の方では、エドムの境に達し、南のはてにあるチンの荒野に及んでいた。

15:21 ユダの人々の部族が、南でエドムの境の方にもっていた遠くの町々は、カブジエル、エデル、ヤグル、

 “イドマヤ”という地名が、マルコによる福音書3章8節に書かれているのですが、旧約聖書で「エドム」と呼ばれていた地域をギリシヤ語に音訳した地名です。ユダヤおよび死海の南方、主としてエサウの子孫であるエドム人が居住した山岳地帯を指します。当時、イエス様の周囲に集まった求道者は、ユダヤ人だけでなく、近隣諸国からの人々も含まれ、その中にイドマヤ出身者もいました。
 マルコによる福音書3章8節を読みます。

3:8 エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた。

 その“イドマヤ”出身がヘロデ家です。

(2)ヘロデ大王がユダヤの王になった経緯
 ヘロデの祖父は、イドマヤ人で、アンティパテル1世と言います。ユダヤの支配者ハスモン王家に支持され将軍になりました。ハスモン家は、マカベア戦争でユダヤの指導者となったマタティアの子孫の家系で、前2世紀以後、“王権”と祭司職とを合わせ持ちました。

 ヘロデの父アンティパテル2世は、ハスモン家の内紛に乗じて巧みに権力を握りました。
 アンティパテル1世を登用したアレクサンドロス・ヤンナイオス王の死後、その妃で後継者となったサロメ・アレクサンドラが女性なので、大祭司に就けないため、王位のみ継いで女王となり、長男ヒルカノス2世が大祭司に就きました。

 女王の死後(紀元前63年)、次男アリストブロスが反乱を起し、兄を退けて “王”と“大祭司”職を奪いました。
 兄ヒルカノス2世を支援したのがヘロデの父アンティパテルで、アリストブロスと戦わせ、またローマの将軍ポンペイウスの支持を得てヒルカノス2世を復位させることに成功したのです。

 のちに、ユリウス・カイザルがライバルのポンペイウスを倒してローマ帝国の実権を握ると、アンティパテルはカイザルに仕え忠誠を示しました。カイザルはヒルカノス2世の地位を保証する一方、アンティパテルを厚遇して実権を(ユダヤの徴税官という形で)彼に与えたのです。

 アンティパテル2世は、とても賢く雄弁で行動力があり、政治的手腕を発揮しました。
 アンティパテル2世は表面上あくまでもヒルカノスを王として立て、自らはユダヤ全土の代官に任じられる一方、長男ファサエルをエルサレムと周辺の知事に、次男ヘロデをガリラヤの知事に就任させたのです(紀元前47年)。当時ヘロデは25歳くらいであったと言われています。紀元前43年、アンティパテル2世は家来のマリクスに毒殺されています。

 ヘロデの政治的立ち位置に関する感覚は、父並みに鋭かったと言えます。
 ヘロデは、ローマの実力者の抗争に当たっては、的確に身を処して勝者の側についたようです。

 ユリウス・カイザルを暗殺(紀元前44年)した、カッシウスがシリヤを押えた時、ヘロデは徴税において有能ぶりを示してカッシウスに気に入られ、シリヤの総督に任命されました。しかしカッシウスが、アントニウスとオクタヴィアヌス(後のアウグストゥス)の連合軍に破られると、ヘロデは巨額の賄賂をアントニウスに贈り、ガリラヤ分封の領主の地位を得たのです。

 ヘロデは、ローマ帝国の実力者の支持を得る工作をする一方、ユダヤ人の支持を得るためにも注力しました。アンティパテル2世も同じ目的からユダヤ教に改宗したようですが、イドマヤ出身のゆえに白眼視されることは続いたようです。そこでヘロデはヒルカノス2世の孫娘マリアンメ1世と婚約し、ハスモン王家の一員となることに成功したのです。
 あとは、『1、ハスモン家』の最後に述べた通りです。

 ヘロデ大王は紀元前37年-紀元4年まで、ローマ帝国の属州ユダヤの王として在位しまし、70歳くらいまで生きたと言われています。

3、新約聖書に登場する主要なヘロデ一族

■ヘロデ大王
 マタイ2章1-19節に、ヘロデが登場します。また、ルカ1章5節に《ユダヤの王ヘロデの世に》と、統治する王の名前として記述されています。
 マタイ2章16節を読みます。

2:16 さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。

■ヘロデ・ピリポ2世(イツリヤ、テラコニテの領主)
 ルカ3章1節

3:1 皇帝テベリオ在位の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイツリヤ・テラコニテ地方の領主、ルサニヤがアビレネの領主、

■アルケラオ(ユダヤ、サマリヤ、イドマヤの総督)
 マタイ2章19-23節(ヨセフとマリアはエジプトを発つとユダヤを避けてナザレに住む)

2:22 しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、

■ヘロデ・アンティパス(ガリラヤ、ペレアの領主)(へロデアの2度目の夫)
 マルコ6章14-29節(バプテスマのヨハネ処刑)
 マルコ6章17節と29節を続けて読みます。

6:17 このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、ヨハネを捕えて獄につないだ。

6:29 ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死体を引き取りにきて、墓に納めた。

■ヘロデ・ピリポ1世(統治せず)(へロデアの最初の夫)

■ヘロデ・アグリッパ1世(ヤコブを殺し、ペテロを投獄し、主の使いに打ち倒される)
 使徒行伝12章1-24節

12:23 するとたちまち、主の使が彼を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えてしまった

■ヘロデ・アグリッパ2世(ユダヤの王)(パウロは彼の前で弁明を行う。使徒行伝25章13節-26章32節)
 使徒行伝26章1-2節

26:1 アグリッパはパウロに、「おまえ自身のことを話してもよい」と言った。そこでパウロは、手をさし伸べて、弁明をし始めた。
26:2 「アグリッパ王よ、ユダヤ人たちから訴えられているすべての事に関して、きょう、あなたの前で弁明することになったのは、わたしのしあわせに思うところであります。

 ヘロデ家は、イエス様が生まれる前からユダヤの真ん中に座し、そしてローマ帝国と上手く付き合って、聖徒たちを苦しめてきました。しかし神さまは、要所要所でご介入され、また、弟子たちは、恐れずに、聖徒たちを励まし福音は拡大して行きました。
 その秘密は、次回からはじまる、新約聖書の登場人物を見ていくとわかります。

 マタイによる福音書1章1節
1:1 アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。

 マルコによる福音書1章1節
1:1 神の子イエス・キリストの福音のはじめ。

 ルカによる福音書1章1-3節
1:1 わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、
1:2 御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、
1:3 テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。

 ヨハネによる福音書1章1節
1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

 4つの福音書のどの書き出しも、期待に満ちるワクワクする書き出しです。では、次回から新約聖書の登場人物のはじまりです。

2024年5月12日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

【気が楽な教会を探しておられる兄弟姉妹へ】
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※当教会は、信仰の有無や長さに関係なく、
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