ショートメッセージ【中間時代②】
(主の言葉を聞くことのききん)
2、中間時代の概要
2-3中間時代の主な出来事
(3)マカベア時代(ハスモン朝)(BC167‐BC63)
(4)ローマ時代(BC63‐AD135)
3、新約聖書に登場するユダヤ人
4、救い主待望論
5、救い主誕生
(3)マカベア時代(ハスモン朝)(BC167‐BC63)
独立を達成したイスラエルでしたが、歴史を見ると短命で破壊的でした。
ハスモン朝と呼ばれるマカベアの王朝は、「王」「大祭司」の職を兼任しました。そのため、国家は内部抗争となり、サドカイ派が、ハスモンの支配を「王」「大祭司」として支持しましたが、パリサイ派は、真の王はダビデの子孫であり、祭司はアロンの子孫と主張しました。(エッセネ派〈死海文書を後世のために保存した共同体〉の創始者は、ハスモン朝の反発としてクムラン共同体をこの頃に創始したと言われています)
やがて、ハスモン朝による大祭司の世襲に対し、批判勢力が大きくなります。これが後のパリサイ派であり、ハスモン朝を支持するサドカイ派との間に厳しい対立が生じます。さらに、血みどろの権力闘争を重ねたハスモン朝はユダヤ人の支持を失っていきました。
紀元前1世紀の半ば、ローマ帝国によってシリア(セレウコス朝)が滅亡しました。このとき、イドマヤ(エドム)の総督で大祭司ヒルカノス2世の腹心であったアンティパトロスが、ローマ帝国からユダヤの統治代理人に任命されます。
しかし、やがてアンティパトロスは暗殺され、ヒルカノス2世の甥アンティゴノスが大祭司の地位を武力で奪いました。アンティパトロスの息子ヘロデは、その他の理由も重なってローマへ逃亡します。ローマ元老院から「ユダヤの王」の称号を受けた彼は、ユダヤに帰還してアンティゴノスを破ります。ここにハスモン朝は滅亡し、ヘロデ朝が誕生しました。ここからユダヤでは王と大祭司が分離されます。
そして、ヘロデの支配下でイエス様がお生まれになりました。この時に、ベツレヘムにいる2歳以下のユダヤ人の男の子がすべて殺されたのです。
(4)ローマ時代(BC63‐AD135)
ローマ帝国の属州となったユダヤ人は、不本意でしたが礼拝の自由が許され、多くの制限があるものの地方自治は、認められたのです。しかし彼らは、それ以上の自治権や権利を望んでいました。また、旧約聖書の預言から約束されているメシヤ(救世主)が来るのを心待ちにしていました。ご存知の通り、彼らの望んでいたのは、圧倒的な武力を伴った王でした。
しかし、みどり子としてお生まれになったイエス様は、父なる神さまのさばきからの救い主でした。
パリサイ派、サドカイ派、律法学者たちは、イエス様を脅威として見ていました。そこで、最高会議(サンヘンドリン)で協力し、民衆を扇動し、イエス様を十字架につけることをローマ当局に圧力をかけて判決を下させ成功させたのです。
しかし、最終的には神さまのご計画が成りました。イエス様は、私たちの罪の代償として死に渡され、3日後によみがえさせられご栄光をあらわされたのです。
本日の学びで神さまは、旧約聖書と新約聖書の間に政治的、宗教的舞台を整えられたことが少し分かったと思います。
父なる神さまの御子であられるイエス様の地上の働きのため、また、使徒や弟子たちの福音宣教の働きのため、当時、セメントを獲得していたローマ帝国が、政策として実施した主要道路の整備が用いられ、使徒や弟子たちが歩き回り、また、執筆活動(新約聖書)を通して福音が広められました。
ギリシヤ語が、当時のすべての人たちが理解できる言語として福音が宣べ伝えられたのです。さらに言えば、当時、地中海には小麦などの物資を運ぶ航路もあり、それらを使って移動し福音が拡大して行ったのです。
3、新約聖書に登場するユダヤ人
・サドカイ派(人)
当時の合理主義者であり、モーセの律法の逐語的な解釈は信じるが、それが日常生活に大きな影響を与えることはない。と考えていました。超自然と復活を否定し世俗的、政治的関心に集中している。富裕層の支持が多い。祭司が多い。
・パリサイ派(人)
当時の律法尊重主義者。律法を日常生活に適用した。超自然、御使い、復活を信じている。貧困者の支持が多い。民衆の中に入ってモーセの律法の精神を説いていた。
・律法学者=書記
律法を筆写し、注釈した人々が、律法学者という専門家を生み出しました。
BC586年のエルサレム神殿の崩壊と、南王国ユダの滅亡により祖国を離れたユダヤ人は、居留地での宗教生活の中心に律法をおかざるを得なくなりました。やがてシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)が神殿の代わりとなり、ユダヤ人共同体のあらゆる集会、学校にも用いられ、信仰を支えるコミュニティの中心的役割を果すようになりました。
エズラ記に登場するエズラは、学者の中で最も著名な教師です(エズラ記7章6節)。
7:6 このエズラはバビロンから上って来た。彼はイスラエルの神、主がお授けになったモーセの律法に精通した学者であった。その神、主の手が彼の上にあったので、その求めることを王はことごとく許した。
そのエズラは、祭司でもありました。はじめは、祭司が書記を務め、律法を守り、人々にも律法を教えました。その働きの甲斐あって、律法が人々に浸透していき、律法学者も専門化していきました。
祭司と律法学者の分離を促したのはヘレニズム文化なのです。
ギリシヤ時代に入ると、祭司は異教文化にひかれ、先祖の伝えた律法に対する関心が薄らいだのです。そこで、律法学者の存在感が増してきたのです。彼らは祭司よりも伝承に熱心だったので、民衆に受け入れられて教師となりました。イエス様の時代には、これら2つの階級の区別が明確になっていました。律法に関する周辺の規則の量は、しだいに膨大なものとなり、律法の研究と解釈は、重要な仕事と見なされるようになりました。また、サドカイ派とパリサイ派の分立により、律法学者はパリサイ派に属するようになったのです。
・熱心党
ユダヤ教原理主義者で過激派。異邦人支配者たちへ反乱を起こすことが神さまの御心で、武力蜂起すれば神が必ずや助けてくださるに違いない。と信じていた。
イエス様の弟子の一人のシモンが熱心党(マタイによる福音書10章4節、他)です。
4、救い主待望論
パレスチナを支配したローマ人たちは、神殿で務めをしている最中のユダヤの祭司を殺し、これらのことが、ローマの征服者たちに対するユダヤ人の憎しみを引き起しました。ユダヤ人は、約束された救い主がすぐに来て、彼らをローマの支配から解放してくれることを望んでいたのです。
5、救い主誕生
神さまの沈黙は終わりました。天から来られたイエス様。旧約聖書で何度も預言された通り地上に赤ちゃんとしてお生まれになられたのです。
イザヤ書9章6節
ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。
主のお言葉のききんは過ぎ去りました。
主イエス・キリストは、五千人の給食の時に言われました。
ヨハネによる福音書6章35節です。
6:35 イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。
また、最後の晩餐の時、弟子たちに言われました。
マタイによる福音書26章26節です。
26:26 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。
しかしイザヤ書53章の通り、ユダヤ人は何の罪も持たないイエス様を十字架につけて殺したのです。
人類の罪のために、贖われたイエス様。三日後によみがえられ、500人以上の者に会われ、福音宣教を弟子たちに託して天に上って行かれました。
福音宣教を託された弟子たちの時代は、ローマ帝国が、学問・技術はギリシヤから受け継ぎ、話す言葉はギリシヤ語でした。また、この時代には既にセメントがあり、土木技術も発達していて、驚くほどの道路網を造りました。“すべての道はローマに通ず”という言葉がありますが、ローマ公会所にある黄金の里程標(りていひょう)から放射して帝国の各地に幹線道路が敷かれました。また、世界史で習った、五賢帝時代(1世紀末~2世紀後期)は、パクス・ロマーナ(ローマの平和)とも言われ、戦争が無い平和な時代だとされています。
イエス様が来られ、弟子たちに福音宣教を託せたのは、会話言葉が共通、世界宣教に必要な道路網、戦争のない時代なしには、福音の世界的伝播は不可能だったと言えます。
これらの事もすべてご計画だとわかります。
五賢帝時代で、忘れてならないのは、イエス様を救い主と信じず、別の政治的救い主を待ち望むユダヤ人たちのことです。
ローマ帝国の属州であるユダヤ人たちは、不満が蓄積し西暦66年に反乱を起こしました。そして、70年にエルサレムを破壊されてから、さらに、不満が募り、救世主待望の気運が高まっていきます。
キリスト教の本家本元のルーツを持つユダヤ教の人たちは、イエス様を信じない人々がほとんどでした。そして、政治的指導者が現れ、紀元132年にバル・コクバと言う革命指導者が登場し、自身を救世主と名のりローマに対する反乱を起こしました。しかし、2~3年後に鎮圧されて、ユダヤ人たちは、自分たちの土地から追放され、地名が変わったのです。ローマ統治による反乱で50万人とも60万人とも数えられる人々が戦死しています。
アモス書8章11節の《主の言葉を聞くことのききん》とは、聞こうとしない態度と姿勢が大きな要因の一つだと分かります。その結果、アモス書8章12節。
8:12 彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、しかしこれを得ないであろう。
のようになるのです。つまり、自分たちにとって都合の良い求め方をしても得られないのです。
神さまが、救おうとする者たちは、素直に神さまのお言葉に聞き従う者たちだと言えます。
私たちは、イエス・キリストを神さまとして、父なる神さまのさばきからの救い主として信じるなら御言葉に飢えることはありません。すなわち、イエス・キリストを信じて人生を歩むならば、神さまと自身の関係で、世の中の価値観に惑わされることはないのです。
2024年5月5日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正
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教会は、人がこの世に生まれた時から天に召される時まで、すべての時が神の導きと祝福の内にあることを実感するところです。そして、聖書は人生の処方箋とも言えます。人生に行き詰まりを感じることや、疲れをおぼえる時は、先ず休むことです。明日のことは、明日にならないとわかりません。明日に備えてグッスリ眠るほうが健康的です。
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※当教会は、信仰の有無や長さに関係なく、
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上下関係は無く、フレンドリーで話しやすい教会です。