ショートメッセージ【バプテスマのヨハネ①】

マラキ書3章1節、ルカによる福音書1章39-45節
(導きと出会い)

1、動き出すマラキ書預言
2、マリヤとエリサベツ
3、エリサベツとマリヤの出会い
4、預言と成就の出会い

1、動き出すマラキ書預言
マラキ書3章1節を読みます。

3:1 「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。

 マラキ書3章を学んだ箇所です。
 3章1節は、《「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。》の部分は、本日から4回にわたって学ぶ“バプテスマのヨハネ”を指しています。そして、《またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。》の部分は、イエス・キリストです。

 福音書では、バプテスマのヨハネの登場と働きが、このマラキ書3章1節の《見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。》の預言が成就したことが書かれています。
 この箇所が引用され、マルコによる福音書1章4節では、《バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。》とあります。
 そういうことから、福音書はマラキ書の続きと言えます。その福音書は、マラキが書いてから、四百年経っての出来事なのですが、神さまがバプテスマのヨハネを遣わされ、ようやく預言者たちが、語っていた時代がやってきたのです。

 そして、もう一人の使者がいます。この方は、イスラエルの神さまであられるイエス・キリストご自身です。そして主が《その宮に来る。》というのは、イエス様が神殿で宮清めを行われた時に実現しました。(ルカによる福音書19章45-46節)
 
 それでは、バプテスマのヨハネを学んでいきたいと思います。
 バプテスマのヨハネのことは、旧約聖書のイザヤ書40章3節に《呼ばわる者の声がする、「荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。》と預言されていましたが、具体的には、荒野で質素な生活をしながら《「悔い改めよ、天国は近づいた」。》(マタイによる福音書3章2節)と言ってユダヤの人々の心を、来たる救い主に心を向ける準備をしていました。

 そのバプテスマのヨハネですが、ルカによる福音書に誕生の告知が書かれています。
 マラキ書と中間時代の学びをしてきて、美しいと言いますか、麗しいと言いますか、そのような場面が無かったので、本日は、バプテスマのヨハネのお母さんとイエス様のお母さんの出会いの感動する美しい場面をお話ししたいと思います。

 ルカによる福音書の1章5-38節は、バプテスマのヨハネの母エリサベツとイエス様の母マリヤの受胎告知は、時間の都合上、終わってから各自で読んでいただくとして、ルカによる福音書1章39-45節を読みます。

1:39 そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、
1:40 ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。
1:41 エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、
1:42 声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。
1:43 主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。
1:44 ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。
1:45 主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。

 この箇所は2人の婦人の出会いの場面が描かれています。神さまの特別な恵みによって、神さまの奇跡によって、やがて母となろうとしている2人の婦人、年老いたエリサベツと若いおとめマリヤが、ここで出会っています。
 これは、感動的で美しい出会いの場面です。この場面を何人かの画家が描いています。

 ルカによる福音書の冒頭、この出会いが美しく、感動的であるのはどうしてなのでしょうか。

 わたしたちも人生の中で様々な出会いを経験します。良い出会いもあれば、そうでない出会いもあるでしょうし、すぐに忘れてしまう通りすがりの出会いもあれば、生涯忘れられない出会い、人生を大きく変える出会いもあります。
 良い出会い、真実の出会いは、わたしの人生を豊かにします。そのような出会いを多く経験したいと誰もが願っています。そのような願いを持ちながら、きょうの聖書の御言葉で語られているマリヤとエリサベツの出会い、人間と人間との出会いでの中で、美しく、感動的で、また救いの大きな基礎となる偉大なこの出会いの場面を、学んでいきましょう。

2、マリヤとエリサベツ
 少し戻り繰り返しますが、ルカによる福音書1章39-40節と26節を読みます。

1:39 そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、
1:40 ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。

1:26 六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。

 39節の《そのころ》とは、26節の《六か月目に》と関連しています。

 つまり、バプテスマのヨハネの両親に選ばれた年老いた祭司ザカリヤが、ルカによる福音書1章13節で、《「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。》という、神さまの約束の御言葉を聞いて、妻エリザベツが身ごもってから6か月目に、今度は、ガリラヤ地方のナザレの町に住む、おとめマリヤが、ルカによる福音書1章31節で、《見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。》という、神さまの約束の御言葉を聞いて、その胎内に新しい命を宿し始めたそのころに、このようなことが起こったというのです。

 1章39節の《マリヤは立って、大急ぎで》とは、マリヤの固い決断と即座に行動したことを表しています。なぜ、彼女はこんなにも急いでいるのでしょうか。

 それは、神さまがお示しくださった“しるし”を見るためです。ルカによる福音書1章36-37節に、次のように書かれています。

1:36 あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。
1:37 神には、なんでもできないことはありません」。

 この御使いの言ったこと(しるし)を見るために、そして、1章32-33節

1:32 彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、
1:33 彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。

 と、自分に語られた神さまの御言葉を信じられるようにマリヤは急いでいるのです。

 祭司ザカリヤの家は、エルサレムの郊外の山里にありました。祭司の務めがあるときには、そこからエルサレムの神殿まで出かけて行きます。マリヤが住むガリラヤのナザレからエルサレムまでは、直線で結んでも100キロメートル以上あり、ヨルダン川の東側を迂回する通常の経路だと、どんなに急いでも3~4日はかかると思われます。

 マリヤにとっては大変な旅だったに違いありません。しかし、マリヤは迷うことなく、すぐに決断して立ち上がり、大急ぎで目的地へと向かいます。神さまが彼女をそこへとお招きになるからです。そこに、彼女が見るべきもう一つの神さまのしるし(奇跡)があるからです。そして、そのしるしを見ることによって、神さまが彼女に語られた、彼女の身に起ころうとしている神さまの奇跡を、確かに信じるようになるためなのです。
 ルカによる福音書1章40節を読みます。

1:40 ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。

 マリヤは、ザカリヤの家に入りエリサベツに挨拶をしました。
 彼女たちの出会いと挨拶は、単に親戚同士だという理由によるのではありません。それ以上に2人を強く結びつけているものがあります。

 それは、共に神さまからの特別な恵みをいただき、共に神さまの奇跡によって母になることを約束され、共にその約束の御言葉の成就を待ち望んでいるという、この二人の共通した境遇が、マリヤとエリサベツとを強く結びつけているのです。
 著者ルカは、神さまがこの二人の婦人を結びつけ、麗しい感動的な出会いがあったことを丁寧に書いているのです。

3、エリサベツとマリヤの出会い
 では次に、この二人の出会いの意味を、ルカによる福音書が、本日読んできた物語全体の中で考えてみましょう。わたしたちはこれまで二人の人物の誕生予告について聞いてきました。5-25節では、バプテスマのヨハネの誕生予告が、そして26-38節では主イエス様の誕生予告が語られていました。この二つの誕生予告が本日の39節以下に記されているエリザベツとマリヤの、二人の母となるべき二人の婦人の出会いによって、ここで一つに結び合わされているということに、わたしたちは気づかされます。

 この二つの誕生予告は、一つは、エルサレム郊外の山里に住む、長い間、子どもが与えられなかった年老いた夫婦に約束されたことです。
 もう一つは、ガリラヤのナザレに住む、まだ一緒になっていない婚約者、ヨセフとマリヤという、若い二人に約束されたことです。
 エリサベツとマリヤが親戚関係にあったということも不思議ですが、二つの別々の誕生予告が、共に神さまの救いのみわざの開始を告げているということが、今この、二人の母となろうとしている二人の婦人の出会いによって、目に見える形で明らかにされているのです。
 
 すなわち、神さまが、わたしたち人間を罪から救い出すために、この世にお遣わしになる救い主イエス様の先駆者として、その道を備える務めを託されたバプテスマのヨハネの誕生予告と、その先駆者によって整えられた道を通ってこの世においでになり、神さまの永遠の救いのみわざを実際に行われる救い主なる主イエス様の誕生予告とが、ここで一つに結ばれて、神さまの一つの救いの御業の開始が告げられているのです。

 二人の母となるべく選ばれたエリサベツとマリヤは、共にこの神さまの救いのみわざのために用いられ仕えています。そのことが、この2人の婦人を結びつけ、ここで美しい出会いを経験させている理由なのでしょう。

 これは、神さまの恵みと恵みとが出会っている、神さまの奇跡と奇跡とが出会っているのだといえます。

 人間同士の祝福された出会い、感動的な美しい出会いは、このようにして起こりますね。
 共に神さまの恵みと祝福とを受けている者同士の出会い、共に神さまの奇跡を体験している者同士の出会い、共に神さまの救いの御業のために仕えている者同士の出会い、そして、共に約束のみ言葉の成就を待ち望み、神さまを信じている者同士の出会い、ここにこそ、人間として最も美しく感動的で、真実な出会いがあるのです。

 そのような出会いは何よりもまず、礼拝を原点としているということを、わたしたちは認識したいと思います。わたしたちは、一人ひとりこの世から導き出され、この礼拝に集められ、礼拝の民の中に加えられました。

 共に神さまの招きを受け、神さまの恵みを与えられ、神さまの憐れみによって罪ゆるされた者としてここに集まっています。神さまの憐れみによって罪ゆるされた者として、共に主を賛美し、神さまのみ言葉を聞き、祈りをささげています。礼拝をおささげすることは、聖別することです。
 つまり、時間、空間、交わりにおいて主との交わりに聖別する。この礼拝で、主なる神さまと出会うこと、わたしたちの唯一の救い主であられる主イエス・キリストと出会うこと、それがわたしたちのすべての出会いの原点です。

4、預言と成就の出会い
 マリヤとエリサベツの出会いのさらに大きな意味、最も重要な意味は、ここでは、神さまの奇跡によって母になろうとしている二人の婦人が出会っているだけではなく、二人の胎内に宿っている主イエスとバプテスマのヨハネとが出会っているということです。その不思議な出会いについて1章41節でこのように語られています。

1:41a エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。

 このとき、エリサベツの胎内の子どもは6カ月になっていますから、胎動が感じられる、おなかの中の赤ちゃんが動くということはわたしたちもよく知っています。ここで、エリサベツの胎内で子どもがおどったのは、一般的な胎動ではもちろんありません。マリヤの挨拶の言葉を聞いたからにほかなりません。そのことについてエリサベツは更に詳しく説明しています。
 次の1章41b-44節を読みます。

1:41b エリサベツは聖霊に満たされ、
1:42 声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。
1:43 主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。
1:44 ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。

 ここでは確かに、エリサベツの胎内にいるバプテスマのヨハネと、マリヤの胎内におられるイエス・キリストとが出会っています。神さまが旧約聖書の民イスラエルに約束された全世界の救い主の到来を、最も近くで預言し、その救い主のために道を備えるバプテスマのヨハネと、長く待ち望まれていた救い主なるイエス様とが、ここでは出会っているのです。もしくは、こう言い換えることができます。この場面では、預言と成就とが出会っている。旧約聖書と新約聖書とが出会っている。エリサベツの胎内でその子が喜びおどったのはその理由によるのです。

 エリサベツは、ご聖霊に満たされてマリヤを祝福する言葉を語ります。エリサベツはマリヤよりもずっと年上ですが、彼女は最大級の言葉でマリヤをほめたたえています。
 42節の《声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。」》と書かれているように、マリヤが女性の中で祝福されたのは、マリヤ自身の、特別な行いや祈りによるのではなく、神さまのご主権によるのです。

 マリヤの胎の実は、主イエス様が祝福されたお方であるからにほかなりません。
 1章45節を読みます。

1:45 主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。

 この1章45節に書かれているように、マリヤが幸いな人であるのは、マリヤ自身に何らかの優れた点があったからでは全くなく、マリヤが神さまの御言葉を信じ、従順に従ったからです。

 この感動的な麗しいお話は、エリサベツとマリヤに限ったことでしょうか。

 ここで学ぶところは、わたしたちも神さまのお導きによって出会う兄弟姉妹や人々がいます。ここに集われているお一人おひとりもそうです。
 わたしたちが本当に幸いな人間となり、幸いな人生を歩むことができるのは、主なる神さまの御言葉を聞き、その成就を信じつつ、主イエス様が再び来られる日を待ち望むことによってです。

2024年5月19日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正


レオナルド・ダ・ヴィンチ 「受胎告知」 (1472–1473)

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