ショートメッセージ【ペテロ②】
マタイによる福音書16章13-23節
マルコによる福音書9章2-10節
(主にほめられ、そして、しかられた人)
1、ほめられた人ペテロ
2、しかられた人ペテロ
3、神に愛された人
1、ほめられた人ペテロ
前回のメッセージでは、漁師であるペテロが素直にイエス様のご命令を聞き、網を捨てて従っていった話をしました。
ペテロの評価として、素直に見聞きした事実を受け入れて、すぐに判断ができる人と言えるでしょう。それは現代の様々な分野においても同様で重要なことと言えます。
福音書を読みますと、ペテロは、イエス様の弟子として従っていく中で、イエス様が多くの人の病人を癒し、人に巣くう悪霊を追い出す姿を見ていきます。また、イエス様の教えを聞き、少しずつイエス様の人格や真実な姿を学んでいくわけです。
そして、本日の個所になります。マタイによる福音書16章13-20節を見ます。
16:13 イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。
16:14 彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。
16:15 そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
16:17 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
16:18 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
16:19 わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。
16:20 そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。
イエス様は、13節で弟子たちに《「人々は人の子をだれと言っているか」。》と聞きました。つまり、人々は私を何者だと言っていますか。と尋ねました。弟子たちは、人々の発するイエス様の人物像を話したあと、次に、イエス様は弟子たちに《「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。》と尋ねると、ペテロは、16節で《「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。》と躊躇なく返答しました。
今回、冒頭にペテロは、素直に見聞きした事実を受け入れて、すぐに判断ができる人と言いました。
ペテロは、イエス様と一緒に過ごす中で、素直にキリストであることを悟ることができたのです。イエス様は、ペテロのことを《あなたはさいわいである。》(17節)と評価しました。そして、それだけでなく、ペテロの素直な神さまとイエス様への信頼の上に、イエス様は、教会を建てると約束してくださいました。このイエス様と弟子たちとのやり取りから、現代に至る教会は、このニホン・ネットキリスト教会も含めて、ペテロが《「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。》と神さまへ信頼する心を継承していかなければいけないことがわかります。
このマタイによる福音書16章13-19節を見るだけでも、ペテロのように素直に等身大の主イエス様から学び、自分の人生に直ちに適用していく姿勢が問われます。
2、しかられた人ペテロ
マタイによる福音書16章21-23節を読みます。
16:21 この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。
16:22 すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。
16:23 イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。
イエス様からほめていただいたペテロですが、23節では、《「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。》と言われています。
イエス様は21節で、ご自身をキリストであると認める者に対して、預言通りに死んでいくことを伝えています。しかし、ペテロは22節で、そんなことはあるはずがないとイエス様をいさめるのです。ペテロの行動は、その場において容易に理解できますし、私もその場にいれば同じだったかもしれません。ペテロは、素直でイエス様の語られるお言葉に、素早く適用して行動できるのですが、もう一方で、知識不足なのか、思慮に欠けるところも見受けられます。
事例を挙げますと、この出来事の後にペテロを含む弟子3人と山に登って家イエス様とモーセとエリヤが輝いて話している記事があります。マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書に同じ時系列で書かれている記事です。
マルコによる福音書9章2-10節を読みます。
9:2 六日の後、イエスは、ただペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、
9:3 その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、それほどに白くすることはできないくらいになった。
9:4 すると、エリヤがモーセと共に彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
9:5 ペテロはイエスにむかって言った、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
9:6 そう言ったのは、みんなの者が非常に恐れていたので、ペテロは何を言ってよいか、わからなかったからである。
9:7 すると、雲がわき起って彼らをおおった。そして、その雲の中から声があった、「これはわたしの愛する子である。これに聞け」。
9:8 彼らは急いで見まわしたが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが、自分たちと一緒におられた。
9:9 一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」と、彼らに命じられた。
9:10 彼らはこの言葉を心にとめ、死人の中からよみがえるとはどういうことかと、互に論じ合った。
このようにペテロをはじめ、未熟な弟子たちは、様々な体験を重ねながらイエス様から学んでいくのです。
3、神に愛された人
ペテロはイエス様の死後、大胆にキリストの証し人として生きるのですが、無学であったと評価されています。使徒行伝章4章13節には、
4:13 人々はペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時に、ふたりが無学な、ただの人たちであることを知って、不思議に思った。そして彼らがイエスと共にいた者であることを認め、
と書かれており、さらにペテロ自身は、無学のゆえにパウロの手紙において理解ができないところがあるとも言っています。ペテロ第2の手紙3章15-16節では、
3:15 また、わたしたちの主の寛容は救のためであると思いなさい。このことは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵によって、あなたがたに書きおくったとおりである。
3:16 彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。
と書いてあります。ペテロは終生、無学ではありましたが、 それを認めてパウロをはじめ多くの同労者たちとチームを組んで自分の足りなさや思慮を補い、伝道活動をしたのです。
ペテロのイエス様に対する信頼が、ペテロ自身のアイデンティティであり、原動力となって教会は現代にも継承され立ち続けているのです。私たちがペテロから学ぶべきところはは多いのではないでしょうか。
ペテロは約3年間イエス様に弟子として聖書を学び、神さまへの信頼と信仰について学びました。
私たちは、当時のサンヘンドリン(最高議会)を構成する人たちにくらべ、聖書に関して素人であっても、イエス様を信じています。また、聖書を読むことはできますし、お祈りすることもできます。また、罪を悔い改めイエス様を信じることによって、内に働いてくださるご聖霊が聖書の理解を助けます。
最後に、ヨハネの黙示録3章19節のイエス様の御言葉を開いて終わります。
3:19 すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。
2025年1月5日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治
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