ショートメッセージ【バプテスマのヨハネ】

マルコによる福音書1章1-15節、
ルカによる福音書1章8-17節、3章7-20節

(その役割に生きた人)

1、キリストの先備えとして
2、悔い改めのバプテスマとその教え
3、バプテスマのヨハネが大きな役割を果たせた理由

1、キリストの先備えとして
 マルコによる福音書1章1-4節を読みます。

1:1 神の子イエス・キリストの福音のはじめ。
1:2 預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。
1:3 荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてあるように、
1:4 バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。
1:5 そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。

 このように、バプテスマのヨハネは、旧約聖書でもその登場が預言されていた人物です。
 彼の大切な役割は、これからイエス・キリストが福音を語られる前に、人々の心を神さまに向けさせる「道備え」をすることでした。
 当時、キリストが人々に語っても、心の準備ができていなければ、素直に聞き入れることはできません。私たちがどこかに向かうときも、まず道がなければ目的地にはたどり着けません。それと同じように、ヨハネは人々の心に “神の道”を開くために遣わされたのです。

 ヨハネの人生は、生まれる前から神さまによって計画されていました。ルカによる福音書1章8-14節にこう書かれています。

1:8 さてザカリヤは、その組が当番になり神のみまえに祭司の務をしていたとき、
1:9 祭司職の慣例に従ってくじを引いたところ、主の聖所にはいって香をたくことになった。
1:10 香をたいている間、多くの民衆はみな外で祈っていた。
1:11 すると主の御使が現れて、香壇の右に立った。
1:12 ザカリヤはこれを見て、おじ惑い、恐怖の念に襲われた。
1:13 そこで御使が彼に言った、「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。
1:14 彼はあなたに喜びと楽しみとをもたらし、多くの人々もその誕生を喜ぶであろう。

 ザカリヤは代々続く祭司の家系の人物で、神殿での重要な務めを担っていました。その職務中に、神さまの使いから子どもの誕生が告げられたのです。ヨハネの誕生は、家族だけでなく、多くの人々にとって喜びとなるものでした。
 イエス様の誕生はしばらく秘密にされていましたが、ヨハネの場合は誕生の前から広く知られ、祝福された、いわば “神さまに選ばれた使命を持つ人物”としての出発でした。
 さらに、ヨハネの生き方についても次のように記されています。続けてルカによる福音書1章15-17節です。

1:15 彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、
1:16 そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。
1:17 彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」。

 つまり、ヨハネは生まれる前から「どのように生きるか」が定められていた、特別な存在だったのです。祭司の家に生まれ、ご聖霊に満たされ、特別な使命をもって生涯を捧げる――そうした存在として、神さまによって立てられていました。

 聖書では、神さまが特別にご介入されるとき、預言者のような人物が送られます。しかしそれは、多くの場合、人々が神さまから離れてしまい、信仰がゆらいでいるような、困難な時代に起こります。預言者が活躍する時代というのは、決して平穏な時ではなく、むしろ神さまの助けが強く求められている「霊的な危機の時」であることを私たちは心に留めておきたいと思います。

2、悔い改めのバプテスマとその教え
 マルコによる福音書1章5-8節を読みます。

1:5 そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。
1:6 このヨハネは、らくだの毛ごろもを身にまとい、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。
1:7 彼は宣べ伝えて言った、「わたしよりも力のあるかたが、あとからおいでになる。わたしはかがんで、そのくつのひもを解く値うちもない。
1:8 わたしは水でバプテスマを授けたが、このかたは、聖霊によってバプテスマをお授けになるであろう」。

 ヨハネは、後にイエス様ご自身からも高く評価されました。ルカによる福音書7章28節では、イエス様はこう言われています。

7:28 あなたがたに言っておく。女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。

 《女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。》と言われる人です。それほどヨハネが優れた人物だったのは、彼の出自や教育だけでなく、自分の使命を自覚し、そのための生活を自ら選び取っていたからです。ヨハネは神さまへの従順と悔い改めの重要性を語り、また人々に互いに愛し合い、正しく生きるよう教えていました。

 ルカによる福音書3章7-18節には、ヨハネの教えの具体的な内容が記されています。要点を整理すると、以下のようになります。

 ①神さまの怒りは近い。自分の血筋や立場に頼るのではなく、悔い改めとその実を伴う生き方が必要(7~9節)。
 ②衣服や食べ物を持っている人は、必要としている人と分かち合うこと(10~11節)。
 ③取税人は、定められた額以上を取り立ててはならない(12~13節)。
 ④兵士は力で人を脅したり、強引に何かを奪ったりしてはならない(14節)。
 ⑤自分はキリストではなく、後に来られるキリストに希望を向けるように(15~17節)。

 こうしたヨハネの教えと姿勢に人々は心を打たれ、冒頭にお読みしたマルコによる福音書1章5節にあるように、ユダヤ全土やエルサレム中から彼のもとに来てバプテスマを受けるようになったのです。

 バプテスマとは、簡単に言えば、「自分には罪がある」と神さまの前で認め、「これからは悔い改めて生きていきます」と宣言する、信仰と新しい生き方のスタートを示すものです。
 ヨハネは、イスラエルの民がもう一度神さまに立ち返り、「神に従う民」としてのアイデンティティを取り戻すよう導いたのです。

 このように、ヨハネの働きは、キリストが公生涯で宣教に出られる前の大きな準備の一つでした。まさに預言にあった通りの「主の道を備える者」として、モーセやダビデ王、預言者エリヤでも果たせなかった重要な役割を担ったと言えるでしょう。

3、ヨハネが大きな役割を果たせた理由
 これまで見てきたバプテスマのヨハネについて、あらためて要点を整理すると、次の3つにまとめることができます。

 ① ヨハネは、生まれる前から神さまによって使命が与えられ、信仰的な家庭と教育の中で育てられました。
 ② 自分に与えられた使命をしっかりと自覚し、その道を歩もうと努力しました。
 ③ その信仰的な環境と、自覚した生き方の中で、人を愛する心を身につけ、それを語り、多くの人をバプテスマ(悔い改め)へと導いていきました。

 このヨハネの姿から、私たちが学べることもあります。それは、まず「自分自身の心と生活を整えること」です。
 聖書を読み、祈りながら、神さまが喜ばれること、悲しまれることを知り、それに応じて自分の生活を見直していくことが大切です。取り入れるべきことを受け入れ、手放すべきことを手放していく中で、自分の中にある罪にも気づかされていきます。

 なお、時間の都合で触れませんでしたが、ヨハネでさえ、後にイエス様のことを疑ったり、その働きについて問いかけたりする場面があります(ルカ7章18-20節)。
 ルカによる福音書7章18-20節を読みます。

7:18 ヨハネの弟子たちは、これらのことを全部彼に報告した。するとヨハネは弟子の中からふたりの者を呼んで、
7:19 主のもとに送り、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」と尋ねさせた。
7:20 そこで、この人たちがイエスのもとにきて言った、「わたしたちはバプテスマのヨハネからの使ですが、『きたるべきかた』はあなたなのですか、それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか、とヨハネが尋ねています」。

 つまり、どんなに信仰があっても、人は誰しも弱さを持っています。しかし、自分の弱さや限界に気づくときこそ、私たちは謙遜になり、より深く神さまを求めるようになります。

 このように、聖書を通して神さまを知り、自分自身を見つめていくことは、信仰の成長につながるだけでなく、最終的には「人を愛する」という、神さまが最も喜ばれる生き方へと導かれることを教えられます。

2025年8月24日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治

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