ショートメッセージ【使徒ヨハネ(とヤコブ)】
マタイによる福音書4章21-22節
ヨハネによる福音書13章34節、他
(受け取った愛を伝えた二人)
1、雷の子と呼ばれた二人
2、愛を受け入れた二人
3、愛の教え
1、雷の子と呼ばれた二人
マタイによる福音書4章21-22節を読みます。
4:21 そこから進んで行かれると、ほかのふたりの兄弟、すなわち、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが、父ゼベダイと一緒に、舟の中で網を繕っているのをごらんになった。そこで彼らをお招きになると、
4:22 すぐ舟と父とをおいて、イエスに従って行った。
ペテロとアンデレがイエス様の弟子になったすぐ後に、ヤコブとヨハネもイエス様からから招かれて、すぐに従って弟子となったことが記されています。
マルコによる福音書3章17節を読みます。
3:17 またゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
しかし、この二人には、イエス様が“ボアネルゲ(雷の子)”というあだ名をつけたほど、気性の激しい一面があったようです。ルカによる福音書9章53-54節では、イエス様を受け入れなかったサマリヤの人々に対して、ヨハネとヤコブが強い発言をした場面があり、彼らの性格がよく表れています。ルカによる福音書9章53-54節を読んでみましょう。
9:53 村人は、エルサレムへむかって進んで行かれるというので、イエスを歓迎しようとはしなかった。
9:54 弟子のヤコブとヨハネとはそれを見て言った、「主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」。
そんな彼らは、イエス様の愛を知り、その愛を信頼し、その愛に従っていきました。
ヤコブはイエス様のために殉教しました(使徒行伝12章2節)。そしてヨハネは死ぬまで、イエス様に従い続け、イエス様の福音とそこにある愛を人々に伝え続けました。
2、愛を受け入れた二人
マタイによる福音書20章20-21節を読みます。
20:20 そのとき、ゼベダイの子らの母が、その子らと一緒にイエスのもとにきてひざまずき、何事かをお願いした。
20:21 そこでイエスは彼女に言われた、「何をしてほしいのか」。彼女は言った、「わたしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」。
ヤコブとヨハネの母親は、二人を連れてイエス様の前にひざまずき、《「わたしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」。》と願い出ました。
この母親は、「息子たちをイエスのそばで最も高い地位につけてほしい」と頼みました。子を思う母の強い愛情が感じられます。
注目したいのは、成人した彼らが母と一緒に願い出ている点です。
当時、女性の立場は低く、ふつうなら息子が前に出て母を制するでしょう。けれど二人は母の思いを受けとめ、そばに寄り添っていました。
ここから読み取れるのは、ヨハネもヤコブも、
・深く注がれた母の愛を、二人とも素直に感謝していた。
・与えられた愛を信頼できる心を持っていたため、愛に飢えることがなかった。
と言えるでしょう。
彼ら二人は、愛をまっすぐに受けとる性質があったから、イエス様の愛も深く理解できました。ヨハネが自分を「イエスに愛された弟子」と記せたのはその証です。
ヤコブとヨハネの際立った特徴は “愛に対する従順さと素直さ”です。
イエス様は、この柔らかな心を見込み、気性が激しくても彼らを弟子に招きました。そして期待通り、二人はイエス様の愛の大きさを体験し、それを福音と共に人々へ伝えていったのです。
3、愛の教え
ヨハネによる福音書13章34節を読みます。
13:34 わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
イエス様は《わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。》と語られました。これは、イエス様が十字架に向かう直前、弟子たちに残した「新しい戒め」でした。
その直前の13章21節以降には、ユダの裏切りのことが書かれています。イエス様は、弟子の一人であるユダが自分を裏切ろうとしていることをすでにご存じでした。そして、自らが十字架にかけられるという事実が、弟子たちにとってどれほど大きな衝撃になるかも分かっておられたのです。
そのような中でイエス様が何より願われたのは、これまで弟子たちを導いてきたご自身が姿を消した後も、彼ら一人ひとりが父なる神さまと直接つながり、信仰の中に立って生きていくことでした。そして弟子たちがバラバラにならず、互いに支え合って、神さまの救いのご計画を力強く進めていくことを望まれたのです。
1節戻って、ヨハネによる福音書13章33-34節を読みます。
13:33 子たちよ、わたしはまだしばらく、あなたがたと一緒にいる。あなたがたはわたしを捜すだろうが、すでにユダヤ人たちに言ったとおり、今あなたがたにも言う、『あなたがたはわたしの行く所に来ることはできない』。
13:34 わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
イエス様は弟子たちに向かって《子たちよ》と語りかけられました。これは、まるで巣立つ前のヒナを見つめる親鳥のようなまなざしです。「もうすぐ、あなたがたのそばにはいられなくなる。わたしの行くところに、あなたがたは今は来ることができない」と語られたイエス様の言葉には、弟子たちへの深い愛と心配がにじんでいます。
イエス様は、まもなく弟子たちの中から裏切り者が出ることをご存じでした。仲間であったユダが裏切り、しかもそのことでイエス様が十字架にかけられることになる。
その事実を後から知ったとき、弟子たちの心は深く傷つき、信頼関係は崩れかねないことを、イエス様は見抜いておられたのでしょう。だからこそ「互いに愛し合いなさい」と語られたのです。
34節の《わたしがあなたがたを愛したように》という言葉には、イエス様が弟子たちをどう見て、どう接してこられたかが込められています。相手をかけがえのない存在として尊重し、共に歩むことを喜び、成長を願いながら支える。そうした愛を、弟子たちも互いに持ちなさいと教えておられるのです。
もちろん、弟子たちは完全な人間ではありませんし、私たちも同じです。時にはすれ違い、傷つけ合うこともあります。しかしイエス様は、その中に共にいてくださり、私たちの間をつなぐ橋となってくださいます。だからこそ、互いに愛し合おうと努めることを通して、信仰の共同体は強くされていくのだと、イエス様はご存じだったのです。
その後、弟子たちは実際に互いを支え合い、励まし合いながら信仰の群れとして成長していきました。イエス様から受けた愛を胸に、宣教の働きを力強く進めていったのです。
私の想像も含まれますが、おそらくヤコブもヨハネも、イエス様から受けた愛を心に刻み、その愛を仲間たちに実践しながら、群れの中で大切な役割を担っていたのではないでしょうか。
ヤコブは弟子たちの中で最初の殉教者となり、ヘロデ王によって命を奪われます(使徒行伝12章2節)。これは彼が弟子たちの中でも中心的な存在であったことのあらわれだと考えられます。一方のヨハネは、生涯を通して「互いに愛し合うことの大切さ」を伝え続けました。彼自身、信仰の群れが愛によって結ばれていく体験をし、それを福音書や手紙の中で何度も語っています。
ヤコブとヨハネは、神さまの愛をしっかりと受け取り、その愛を知り、神さまを愛し、仲間たちを愛しながら生きた兄弟でした。そして、その生き方を通して、イエス様が願われた愛の戒めを人々に伝え続けたのです。
2025年8月31日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川尚徳
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もし今、心に問いかけたいことや、立ち止まりたくなるような時を過ごしておられるなら、どうぞ礼拝のひとときを通して、静かにご自分の心と向き合ってみてください。
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※当教会は、信仰の有無や長さに関係なく、
気楽に集いたい方、気楽に聖書を学びたい方に向いています。
※聖書解釈はオーソドックスなプロテスタントですが、
教理・教条主義ではありません。
※牧師・伝道師の属人的な教会ではありません。
上下関係は無く、フレンドリーで話しやすい教会です。
※オンラインですので顔出ししなくても大丈夫です。
ニックネームでの参加もOKです。