ショートメッセージ【神さまにある一致】

創世記10章1節-11章26節
 前回、最後のところで、父ノアの醜態(酔って裸になってしまった)を兄弟たちに知らせた息子のハムと裸を見ずにそれを被ったセムとヤペテを見ました。
 その後ノアは、神さまの祝福をセムとヤペテに伝え、ハムの息子カナンには、名前を挙げてセムの「しもべとなれ。」また、ヤペテの「しもべとなれ。」言いました。

 本日の箇所はそのノアの息子たちの系図から始まります。本日も3つに分けて見ます。

1、ノアの息子たち/権威への反発
 ハムは、父ノアが酔って裸になったのを見て、それを兄弟たちにも見せました。それは父親の失敗を笑い、父親の権威をおとしめる行為でした。そこには権威への反発や不満、自分はそこから抜け出たい、対等になりたい、あわよくば父の上に立ちたい。ハムの中のそういう心が見えます。
 実は、この権威への反発は、最初の人アダム妻となったエバの中にすでに見ることができます。
創世記3:4-5
3:4 へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。
3:5 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。

 サタンである蛇の誘惑のことばですが、まず、《あなたがた》と呼びかけます。エバだけでなくアダムも含め、あなたがた人間ということです。
 そして《それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。》といって、「神さまは、あなたがたが神さまと対等になれないように、常に神さまの権威のもとにあって従うようにしていますよ。あなたがた人間はそれでいいのですか。」と誘いをかけています。そしてエバは、その誘いにのって神さまとの約束を破るのです。エバの中に、神さまの権威、神さまに従い続けることへの反発や不満、自分たち人間はそこから抜け出して、対等になるべき、あわよくば神さまの上に立ちたい。エバの中に、ノアの息子ハムと同じような心の芽生えを見ます。

 神さまは、この世界を創造されました。そして神さまはこの世界の創造者としての権威と実権をもって世界の秩序を保たれています。太陽、月の満ち引き、水、空気の恵み、海の水やその中の生き物が一定にたもたれていることも神さまの権威によります。神さまは、それぞれの国にたてられた権威者を許容して、その国の人々が、身の安全と財産が守られて秩序が保たれるようにされています。
 その権威が乱されると秩序も乱れ、混乱や戦争が起こります。すでに私たちは、最初の人アダムの中に、自分本位の心、自分は正しくて間違えたのはひとのせいだとする心が、神さまの前の罪であることを見ました。
 そして、神さまの権威、立てられた秩序への反発をこのエバやハムに見ます。つまり神さまに従わない、従いたくない心、これも神さまの前の罪だと教えられます。
 向上心が悪いといっているのではなくて、立てられている権威への無用の反発は、混乱を招く罪だということです。
 また、権威の上にいる者は、神さまが立てられている、それをゆるされていることを自覚する必要があります。そうであれば、社会は混乱なく、権威ある秩序も私たちの安全も保障されます。
 権威者が神さまに従い、神さまの前に罪を犯さないように行動するなら、コンプライアンスや、さまざまなハラスメントと言った問題がとり立たされることもないはずです。

2、ニムロデ/神の前の権力者
 ノアの息子たち、セム、ハム、ヤペテの系図が紹介されている創世記10章では特にニムロデについて述べられています。
創世記10:8-9
10:8 クシの子はニムロデであって、このニムロデは世の権力者となった最初の人である。
10:9 彼は主の前に力ある狩猟者であった。これから「主の前に力ある狩猟者ニムロデのごとし」ということわざが起った。

《主の前に》とあります。この前にというのは、正面に向き合う、対峙するという意味のことばが使われています。
 神さまの呪いを受けたハムの系図から生まれた、神さまに対峙する神さまの権威に従わない権力者ニムロデということなのでしょう。

 そして、ニムロデが造ったまち、バベル=アッカド語/ヘブル語(ギリシャ語表記では、バビロン)や、ニネベの町は、のちに神の民イスラエルの国を脅かす、バビロニアやアッスリヤという国の首都となる町でした。
 神さまや、神の民、その国に対峙する者たちの存在、その始まりがここに記されています。
 このバベル(バビロン)の名は、神さまに敵対するこの世の力の総称としても聖書の最後まで登場してきます。


(株式会社青春出版社 地図とあらずじで読む聖書 p15)

 創世記10章では、ノアの子供たち、セム、ハム、ヤペテから、洪水後に地上の諸国民が生まれてきたこと、また、神さまを離れ、神さまの権威に従わない権力の誕生が記されています。それは、罪と悪が支配する危うくて不安定な町や国の誕生を意味しています。

3、バベルの塔/神なしで生きる人々の混乱
創世記11:1-3
11:1 全地は同じ発音、同じ言葉であった。
11:2 時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。
11:3 彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。

 シナルの地は、先に登場したニムロデがバベル(バビロン)という町を造ったところです。そこに住まわった人々は、れんがとアスファルトを見出して、自分たちの力を誇ります。そして、こう言います。

創世記11:4
11:4 彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。

 町や塔を築くこと自体は悪いことではありません。しかし、目的は、自分たちの造った建造物を天に届かせて神さまに対抗するため、また、全地のおもてに散るのを免れて、1ヵ所にとどまるためでした。

創世記1:28
1:28 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。

 神さまは、《生めよ、ふえよ、地に満ちよ、》と言っておられたのです。

 彼らは、神さまに対抗し、全地に散らされる神さまのご計画を自らの力で、防ぐことができると考えました。そして自分たちの名をあげようとしました。
 これは、ノアの箱舟とは対照的です。ノアは、神さまの言葉に従って、信仰によって箱舟をつくりはじめ、神さまの名をあげようとしました。そこに救いがありました。
バベルの人々の結果は、混乱と離散でした。

創世記11:7-9
11:7 さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。
11:8 こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。
11:9 これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。

 神さまは、多くの言葉を与えました。それは神さまから見れば、神なしの歩みをする者が一致できないようにする、危険の回避(リスクヘッジ)であったとみることができます。
 神なき者が、権威者となり実権を持つとどうなるでしょうか。また、民が神さまを頼らなかったらどうなるでしょうか。民は、神さまを頼らずその権威者を頼るようになり、権威者は、意のままに民を動かすようになります。そうです・・・人が人の上に立ち、導くことが危険なのは、皆さんご存知の通りです。
 しかし神さまは、必要に応じ、神にある信仰者が一致できるように導かれます。新約聖書の使徒行伝では、神はご聖霊によって弟子たちが他国の言葉で神さまのことを語ることができるようにされています。

使徒行伝2:4 《すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。》

 神なしで歩む者の不一致と混乱、それは言葉の問題だけではなく、罪によってそれぞれが自分本位の考えに歩むことで一致が妨げられているのです。神なしとして歩む信仰者の不一致と混乱、それは、神さまが創られたこの世の原則なのです。それをこのバベルの塔の崩壊で明かにされています。
 神なき者が一致するのは、とても難しいです。会社1つ見ても、そこに利益追求と存続という共通の目的がありますが、それだけでは一致できません。一致のために、社是、社則、企業理念、ビジョン、会社のロゴマーク、目標、計画等々。それでも不一致と混乱は避けられません。
 信仰者の集まりである教会でさえ、この世の罪の影響があり、完全に一致があるかと言われればそうではない部分があることを認めなければならないでしょう。

 しかし、上に立つ者、権威者が神ありとして神ありの歩みをしたらどうでしょうか。神さまの前に正しく歩めたとしたらどうでしょう。不正や、混乱、不一致から守られるのではないでしょうか。もちろんノアの例でもあったように、神さまの前に「全き人」でも完全ではありませんから失敗はあります。しかし、失敗したとしても、神さまのもとにもどり、自分の思いではなく、神さまのお言葉にしたがい神さまのお心を成していこうと、心が全面的に神さま向けられていれば、神さまは愛し導いてくださいます。そこに、神さまにある一致、平安、平和が訪れるでしょう。
 神さまは、こう言われています。

新約聖書のマタイによる福音書23章11節では
23:11 そこで、あなたがたのうちでいちばん偉い者は、仕える人でなければならない。「そこで、あなたがたのうちでいちばん偉い者は、仕える人でなければならない。」

 社長や政治的リーダーだけでなく、小さなグループのリーダー、家庭の長が、神さまに仕え、また、人に仕えていくならば、そこに神さまが一致と平和、平安をあたえてくださることは確かなことです。

2022年2月6日(日)
メッセンジャー:香川尚徳師


アベル・グリマー 「バベルの塔」