ショートメッセージ【ダビデ②】

サムエル記上18章~20章
(王としての資質)
1、ダビデへの待望
2、サウルの嫉妬
3、理不尽な苦しみの中で

1、ダビデへの待望
サムエル記上18書6-9節を読みます。

18:6 人々が引き揚げてきた時、すなわちダビデが、かのペリシテびとを殺して帰った時、女たちはイスラエルの町々から出てきて、手鼓と祝い歌と三糸の琴をもって、歌いつ舞いつ、サウル王を迎えた。
18:7 女たちは踊りながら互に歌いかわした、/「サウルは千を撃ち殺し、/ダビデは万を撃ち殺した」。
18:8 サウルは、ひじょうに怒り、この言葉に気を悪くして言った、「ダビデには万と言い、わたしには千と言う。この上、彼に与えるものは、国のほかないではないか」。
18:9 サウルは、この日からのちダビデをうかがった。

 ダビデは、ペリシテ人ゴリアテを一騎打ちで破り、イスラエルの勝利に大きく貢献しました。ダビデは神さまを信頼し、勝利もまた神さまによる導きの中で得られた勝利であると確信をしていました。
 しかし、周りの人たちはどうやら違っていたようです。まず、イスラエルの女性たちを見てみましょう。《「サウルは千を撃ち殺し、/ダビデは万を撃ち殺した」。》と言っています。なぜこのような歌をうたったのでしょうか。

 まず、イスラエルの王に対する評価が低いことが考えられます。サウル王は、これまで祭司職にしか許されていない生け贄を献げる儀式を行ったり、神さまから、敵のすべて廃棄しなさいという聖絶の命令を守らないで、敵からの分捕りものを自分のものにしようとしたりする姿がありました。そのことを、サムエルを通して警告されると、言い訳ばかりをする人でした。サウル王はリーダーとして多くの業績を残してはいますが、それに余りある落ち度もあるわけです。

 次に、そのようなサウルよりもダビデを待望する声が大きくなったことも事実でしょう。
 イスラエルの民はダビデを王として立てたかったかどうかまではわかりませんが、ダビデに大きな期待をしていたことは間違いないでしょう。

 サウルが王として怒る気持ちはわかりますが、それをサウル自身さえもそれを認めざるをえない中、残念ながら神さまを信頼してゴリアテと戦ったダビデとの資質の差はイスラエルの人に感じるものがあったというところでしょうか。
 しかし、この時代の民は、律法を基盤としていないとはいえ、自分たちが望んで立てられた王に対する不敬という自覚がないのは、サウルにとっても、ダビデにとっても、また民にとっても不幸になっていく始まりとなるのです。

2、サウルの嫉妬
 このような状況の中で、ダビデは様々な戦果をあげていきます。そうなると、イスラエルの民はますますダビデの働きに期待するようになります。イスラエルにとっては、自分たちの安全と経済の発展につながるのですから。しかし、ダビデが活躍すればするほどおもしろくないのはサウルです。
 19章9-10節です。

19:9 さてサウルが家にいて手にやりを持ってすわっていた時、主から来る悪霊がサウルに臨んだので、ダビデは琴をひいていたが、
19:10 サウルはそのやりをもってダビデを壁に刺し通そうとした。しかし彼はサウルの前に身をかわしたので、やりは壁につきささった。そしてダビデは逃げ去った。

 こうして、サウルとダビデとの関係は決定的になっていきます。先ほども申し上げたように、《「サウルは千を撃ち殺し、/ダビデは万を撃ち殺した」。》と言う民の問題はもちろんあるでしょう。しかし、それよりも問題なのはサウル王の資質ではないでしょうか。
 これまでの自分の過ちや失敗を改めない姿、そしてそればかりではなく、自分よりも資質のある者に対する嫉妬は、どれほどサウル自身を感情的にし、冷静な判断を失わせたことでしょう。このような精神状態の人物が、正しい行政のリーダーとして立てないことは明白ですね。
 誰でも失敗や過ちはつきものです。しかし、それを冷静に受け入れて自分の反省としていくことができるならば、むしろその反省から成長できるのではないでしょうか。そして、ダビデのような有能な人材を生かす政治へと舵を切ることができたのではないでしょうか。
 もし、サウルに少しでもそのような気持ちが育っていたならば神さまはサウルを王から退けるような決定はなさらなかったと考えられます。

3、理不尽な苦しみの中で
 一方ダビデは、理不尽な目にあいながらも、サウルの息子であるヨナタンに助けられながら逃れていくことになります。神さまのために戦い、王のために戦い、また民のために戦ったダビデがなぜ苦しい目にあうのか理解できないかもしれません。しかし、ダビデは苦しみの中にありながらも神さまを信頼する心がありました。はからずもダビデがゴリアテと戦う前にサウル王に対して言ったことばです。
 サムエル上17章34-37節です。

17:34 しかしダビデはサウルに言った、「しもべは父の羊を飼っていたのですが、しし、あるいはくまがきて、群れの小羊を取った時、
17:35 わたしはそのあとを追って、これを撃ち、小羊をその口から救いだしました。その獣がわたしにとびかかってきた時は、ひげをつかまえて、それを撃ち殺しました。
17:36 しもべはすでに、ししと、くまを殺しました。この割礼なきペリシテびとも、生ける神の軍をいどんだのですから、あの獣の一頭のようになるでしょう」。
17:37 ダビデはまた言った、「ししのつめ、くまのつめからわたしを救い出された主は、またわたしを、このペリシテびとの手から救い出されるでしょう」。サウルはダビデに言った、「行きなさい。どうぞ主があなたと共におられるように」。

 ダビデは幼い時から羊飼いをしながら多くのチャレンジと忍耐を培っていきました。イスラエルの王自身に狙われるという苦しみの中にあって、なおダビデは神さまに対する信頼を置いて生きていく覚悟をもっていたということです。この不幸な出来事はダビデ自信を成長させることとなり、次の王としての神さまへの信頼や実力をさらに備えていくことになるのです。

2023年2月12日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治

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