ショートメッセージ【ネヘミヤ②】

ネヘミヤ記2-3章
(城壁の修復)

1、ネヘミヤの証し
2、城壁修理の工程(段取り)
3、必ず存在する反対者たちから

1、ネヘミヤの証し
 ネヘミヤ記2章1-6節を読みます。

2:1 アルタシャスタ王の第二十年、ニサンの月に、王の前に酒が出た時、わたしは酒をついで王にささげた。これまでわたしは王の前で悲しげな顔をしていたことはなかった。
2:2 王はわたしに言われた、「あなたは病気でもないのにどうして悲しげな顔をしているのか。何か心に悲しみをもっているにちがいない」。そこでわたしは大いに恐れて、
2:3 王に申しあげた、「どうぞ王よ、長生きされますように。わたしの先祖の墳墓の地であるあの町は荒廃し、その門が火で焼かれたままであるのに、どうしてわたしは悲しげな顔をしないでいられましょうか」。
2:4 王はわたしにむかって、「それでは、あなたは何を願うのか」と言われたので、わたしは天の神に祈って、
2:5 王に申しあげた、「もし王がよしとされ、しもべがあなたの前に恵みを得ますならば、どうかわたしを、ユダにあるわたしの先祖の墳墓の町につかわして、それを再建させてください」。
2:6 時に王妃もかたわらに座していたが、王はわたしに言われた、「あなたの旅の期間はどれほどですか。いつごろ帰ってきますか」。こうして王がわたしをつかわすことをよしとされたので、わたしは期間を定めて王に申しあげた。

 ネヘミヤの仕事は、王の給仕役でした。これは、毒見役や酒類を決めるソムリエのような仕事です。
 この仕事は、王が信頼を置く人物でなければできない仕事でした。ゆえに、ただの給仕役以上に、王の相談役でもあったのです。

 王は、その給仕役であるネヘミヤの悲しげな顔を見て、心からネヘミヤを心配して《「あなたは病気でもないのにどうして悲しげな顔をしているのか。何か心に悲しみをもっているにちがいない」。》と言うのです。そして、ネヘミヤは、王に対する礼儀をもちながらも、その心の内を隠すことなくすべてを話しています。

 この記事だけでも、王や王妃とネヘミヤとの関係が深いと言うことが分かります。これは、王と給仕役の関係以上のものです。互いに誠実さや能力、人格に至るまで認めあっているからこそできることなのです。
 加えて、とても大きな国の王に対して、自分の先祖の町の城壁を修理させてください。と暇乞い(いとまごい)をしているのです。
 さらに、常識では考えられない要望を王と王妃は受け入れているのです。

 この後、王の軍隊長と騎兵隊も同行させました。もし、城壁再建が嘘であって、裏切れば大変なことです。
 神さまを心から信じ頼る“神の民”は、自分たちがどうであっても、神さまが無条件で守ってくれると信じて、バビロンに捕囚されました。

 これまで見てきたダニエルやエステルたち、そしてネヘミヤの態度と姿勢から学ぶべきものが見えてきます。

 現代の私たちに摘要すれば、神さまは、クリスチャンと言われる人であっても、実質を伴わない人を神の民とは認めないということです。むしろ、捕囚されて迫害を受けるような苦しみの中で、神さまにすがって毎日を懸命に生きている人のことを“神の民”というのでしょう。
 実際、そのように生きるネヘミヤに神さまの目が留まり、大きな仕事を任せて行くのです。

2、城壁修理の工程(段取り)
 こうしてイスラエルに到着したネヘミヤの一団でしたが、必ずしも一枚岩ではありませんでした。ネヘミヤ記2章10節を読みます。

2:10 ところがホロニびとサンバラテおよびアンモンびと奴隷トビヤはこれを聞き、イスラエルの子孫の福祉を求める人が来たというので、大いに感情を害した。

 簡単に言うと、ホロニびとやアンモンびとは、エルサレムの利権を持っていました。ですから、新しい事業を持ってくるネヘミヤのことが気に入らないわけです。いつの時代も、どのような世界でもこのような利権に関することは存在するでしょう。
 ネヘミヤは、そのような状況を鑑みて、ひとりで現場を見に行き工程を考えます。
 ネヘミヤ記2章15-16節を読みます。

2:15 わたしはまたその夜のうちに谷に沿って上り、城壁を調査したうえ、身をめぐらして、谷の門を通って帰った。
2:16 つかさたちは、わたしがどこへ行ったか、何をしたかを知らなかった。わたしはまたユダヤ人にも、祭司たちにも、尊い人たちにも、つかさたちにも、その他工事をする人々にもまだ知らせなかった。

 ホロニびとやアンモンびとがエルサレムを実質的に支配する中、誰が、真心から神さまのために働くかが見えない中で、ネヘミヤは一人で工程表を作っていたということでしょうか。案の定、彼ら、ホロニびとやアンモンびとは、この城壁再建工事に難癖をつけます。
 2章19節を読みます。

2:19 ところがホロニびとサンバラテ、アンモンびと奴隷トビヤおよびアラビヤびとガシムがこれを聞いて、われわれをあざけり、われわれを侮って言った、「あなたがたは何をするのか、王に反逆しようとするのか」。

 これに対し、ネヘミヤは答えます。2章20節です。

2:20 わたしは彼らに答えて言った、「天の神がわれわれを恵まれるので、そのしもべであるわれわれは奮い立って築くのである。しかしあなたがたはエルサレムに何の分もなく、権利もなく、記念もない」。

 誰が本当の協力者であるか、妨害するかを見極めた上で工事が始まります。
 ネヘミヤは、立場や地位・利害関係を超えて王との信頼関係を持っていました(王とネヘミヤは、立場を超えた人間関係を築いていました)。それは、このように自分の利権や価値観にこだわる人との大きな違いをもったネヘミヤが指導者であったからこそ着手できた事業なのです。

3、必ず存在する反対者たちから
 このように順調にはじまった工事でしたが、他にも参加しなかった人たちもいました。
 ネヘミヤ記3章5節を読みます。

3:5 その次にテコアびとらが修理したが、その貴人たちはその主の工事に服さなかった。

 聖書の面白いところは、このような記事をしっかりと記述している点です。
 3章で、ここ以外の人たちは自分の任された場所をネヘミヤの工程表の通り従事しました。ネヘミヤの工程表以上に従事したと思われる記事もあります。その中で、あえて実際の記録として残されているのは興味深いことです。おそらく能力もあり、身分的にも恵まれた人であるから、よい神の民ではないということが教えられます。
 神さまの前では実質が問われます。
 新約聖書ヤコブの手紙2章26節に、厳しい指摘が書いてあります。

2:26 霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。

 ネヘミヤは注意深く、工事を導いていきました。その中で本当の神の民を見極めていったことでしょう。今日の学びは決して誰かを想像していただくべき箇所ではありません。
 自分が神の民として毎日の仕事、生活を歩んでいるのかどうかを教えられる箇所なのです。

2024年2月25日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治

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