メッセージ【イエス・キリストの系図①】

マタイによる福音書1章数ヵ所
創世記38章6節
ヨシュア記2章1節
ヨシュア記6章25節
ヘブル人への手紙11章31節
ヤコブの手紙2章23-25節

(系図の中に訳ありの女性たち①)

1、マタイによる福音書のキリストの系図
2、タマル
3、ラハブ

 本日から3回にわたって、キリスト・イエスの系図に登場する女性5名を見ていきたいと思います。今回は2名の女性“タマル”と“ラハブ”です。
 日本人は、家系図を大事にしています。
 特に高い地位や社会に大きく貢献した人が私たちの家系にいるとき、私たちは自分を誇りに思うかもしれません。しかし、社会的に見て、私たちの家系図に恥ずかしい行為をした人、犯罪者がおられた場合、私たちは不名誉だと感じ、他人にそれらを隠すかもしれません。
 なぜ、マタイによる福音書を書いたマタイが、人間的な視点に立てば恥ずべき人たちの名を連ねたのか。その意味を、今回を含め3回にわたって探りたいと思います。

1、マタイによる福音書のキリストの系図
 イスラエルの歴史は日本より古く、また、家系図を重視する文化・社会をもっています。
 マタイによる福音書1章1節を読みます。

1:1 アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。

 マタイによる福音書の系図は、1節から17節まで書かれていまして、1章の17節を読みますと、《十四代》のグループに分けて、《アブラハムからダビデまで》《ダビデからバビロンへ移されるまで》《バビロンへ移されてからキリストまで》の3つに区分しています。
 この事は、イスラエル民族の歴史が、神さまの支配下にあるということと、イエス様のご降誕は、旧約聖書の歴史のゴールということです。そして、失われたダビデの王権が、イエス様によって神さまの支配の到来によって確立されることを意味しています。
 著者マタイは、イエス様の紹介をこのように記述しています。

 その著者のマタイは、イスラエルの民の一人です。
 新約聖書に福音書がマタイによる福音書を含め4つありますが、どの福音書を読んでも最初は、立派な人の伝記のようなものだと感じられます。しかし、読み進めると、伝記とは違った性質のモノだと思えてきます。それは、キリスト・イエス、すなわち、イスラエル民族の救い主を書いていますから、伝記とは違った内容に感じるのだと思います。また、読む人の時代や文化、年齢などによって受ける印象は違うのではないでしょうか。

 マタイは、イエス様を書く時に、どうしてもイエス・キリストの家系図を書かなければなりませんでした。それは、神さまが選ばれたアブラハムを始祖にもつ特別なアイデンティティーをもつ民族であり家系だったからです。

 人間的な思いによれば、絶対、家系図に異邦人や罪人が入るべきではないでしょう。
 人間的な思いで言えば、それが、預言者によって告げ知らされたイスラエルの民の救い主であり、純粋で立派な信仰をもった血筋の家系図というものでしょう。
 当時のイスラエルの民にとって、異教徒や異邦人の血が混じることを許さないのが一般的な考えです。
 しかし、マタイは、イエス・キリストの家系図を書いた時に、本来は隠しておきたいような人物の名前も入れています。 

 特に珍しいのは、女性の名前が出ていることです。しかも、みな訳ありの女性です。
 他にメシアの系図に相応しい女性はいなかったのでしょうか。たとえば、アブラハムの妻サラとか、イサクの妻リベカ、ヤコブの妻ラケルとか、他にも相応しい女性がいたはずです。ところがマタイは、およそ相応しくない女性、人間的に見れば隠しておきたい、汚点のような女性の名前を聖なるキリストの系図に、あえて記録しているのです。

 一般的に、家系図に犯罪者がいた場合、それを隠そうとします。そして、私たちは人生を失敗したならば、家系図に登場する負の人と運命づけるにことよって自分を縛り、人生に制限をかけることもあります。そう考えると、家系図は私たちにとって一種の呪いになるかもしれません

 マタイによる福音書1章に戻ります。3節、5節、6節、16節を続けて読みます。

1:3 ユダはタマルによるパレスとザラとの父、パレスはエスロンの父、エスロンはアラムの父、

1:5 サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、
1:6 エッサイはダビデ王の父であった。ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、

1:16 ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった。

 マタイによる福音書に書かれているイエス様の家系図には、今お読みした5人の女性が出てくるのですが、タマル(3節)、ラハブ(5節)、ルツ(5節)、ウリヤの妻(6節)、マリヤ(16節)とあります。

 当時のイスラエルの家系図には、女性の名前は入れていませんでした。いわゆる男子直系の子孫を残す者としての女性でした。しかし、この家系図では、訳ありの女性たちが堂々と書かれています。

2、タマル
 創世記38章6節を読みます。

38:6 ユダは長子エルのために、名をタマルという妻を迎えた。

 タマルとその夫ユダの物語は創世記38章に登場しています。今回は、時間の都合上、タマルの登場する聖書箇所を読みませんので、後で、創世記38章を読んでいただきたいと思います。

 この物語は、現代で言うと週刊誌ネタになるような話なのです。
 タマルから見て、ユダは夫の父親で、義理の父(しゅうと)に当たります。ユダにとって、タマルは長男息子の嫁です。その義理の父と、嫁がいわば売春行為をして産んだ子供がペレツなのです。それが信仰の父アブラハムからイエス・キリストの家系図に書かれているのです。

 ユダの長男エルとタマルは結婚をしました。ところが長男エルは、神さまの前に罪を犯したので、神さまはエルの命を奪いました。
 そこで父親は、なんとしてもユダ家に跡取りが欲しいということで、次男のオナンに兄嫁のために子供を得るように命じました。ところがオナンは、生まれる子が自分の子供とならないのを知って、子どもが生まれないように避妊したのです。このことは神さまの御心に反することであったので、次男も神さまに命を奪われてしまいました。

 ユダはタマルに、三男シラが成長するまで、父親の家で未亡人のまま暮らすように告げ、タマルは自分の父親の家に帰って暮らしました。
 本来、次に三男を代わりに与えるのですが、父親のユダは、もしかしたら三男シラも神さまに奪われてしまうのではと恐れ、シラが成長してもタマルは再婚を許されません。

 かなりの年月が経って、ユダの妻が亡くなりました。
 タマルは変装して、旅の途中である義理の父のユダを道端で待ちました。ユダは、つい、その娼婦に声をかけます。しかし、タマルは、ベールをかぶり、顔を隠していたので、ユダはタマルと気づきませんでした。お礼にユダの身分を証明する小さな品物を受け取りました。そうこうしているうちに、嫁のタマルが妊娠したという噂が立ち、ユダは激しく怒ります。
 そして、《「彼女を引き出して焼いてしまえ」。》(創世記38章24節)命じました。その時、タマルはユダに人を送って、以前、ユダから受け取った品物を見せます。そして、ユダはそれを見てこう言いました。
 創世記38章26節です。

38:26 ユダはこれを見定めて言った、「彼女はわたしよりも正しい。わたしが彼女をわが子シラに与えなかったためである」。彼は再び彼女を知らなかった。

 と言って、タマルの行為を信仰的に正当なものと認めました。
 その後、同じ創世記38章27-30節に、ユダはタマルによってパレス(創世記:ペレヅ)とザラ(創世記:ゼラ)の双子の兄弟を産んだと記してあります。ユダは、あのヤコブ=イスラエルの十二部族の中の一族となるのですが、この氏族からダビデが生まれてきます。
 タマルは“ユダ”やユダの息子たちより、神さまの御心を知り、神さまから与えられた使命を確かな信仰の持って果たした。と言えます。

3、ラハブ
 マタイによる福音書1章5節に登場するラハブは、

1:5a サルモンはラハブによるボアズの父、

 と紹介されています。また、ラハブは、異邦人の改宗者の型とされています。
 そのラハブは“ヨシュア記”に登場するカナン人の女性です。そして、ラハブという女性は、どのような経歴があるかは書かれていません。
 ラハブの最初の登場を見るために、旧約聖書のヨシュア記2章1節を見ます。
 
2:1 ヌンの子ヨシュアは、シッテムから、ひそかにふたりの斥候をつかわして彼らに言った、「行って、その地、特にエリコを探りなさい」。彼らは行って、名をラハブという遊女の家にはいり、そこに泊まったが、

 と、遊女と紹介されています。ヨシュア記2章6節を読みますと、

2:6 その実、彼女はすでに彼らを連れて屋根にのぼり、屋上に並べてあった亜麻の茎の中に彼らを隠していたのである。

 亜麻を育てていたことも分かります。亜麻の花の色は、「薄紫色」で茎は繊維として衣類やシーツとして使います。

 ラハブは、イスラエルの民の指導者ヨシュアが、カナンの地を征服するためにエリコを調査しに来た2人のスパイ(=斥候)を匿い、命を助けます。ところが、匿っていることが発覚し、ラハブの家にエリコの王の兵士がやってきます。その時ラハブは、2人は逃げたと言ってやり過ごし、スパイの存在を隠し通しました。
 (詳細は、後でヨシュア記2章をお読みください)

 そして、ラハブは、彼らが無事に逃げられるように隠れ場所を提供し、町からの脱出方法と道を教えます。その際、スパイたちは、エリコが陥落した際にラハブと家族を救うしるしとして、彼女の家の窓に赤い紐を結ぶように指示しました。その後、エリコの町が攻略されて陥落した時に、ラハブとその家族だけは家の窓の赤い紐をぶら下げておくことによって、破滅から救われます。
 ヨシュア記6章25節を読みます。

6:25 しかし、遊女ラハブとその父の家の一族と彼女に属するすべてのものとは、ヨシュアが生かしておいたので、ラハブは今日までイスラエルのうちに住んでいる。これはヨシュアがエリコを探らせるためにつかわした使者たちをかくまったためである。

 とあります。ラハブは遊女として生計を立てる女性でしたが、彼女とその家族全員が助かったのです。それは彼女が、イスラエルの神さまを信じてイスラエルのスパイを逃がしたからです。

 ラハブは、敵であるはずのイスラエル人を助けるという危険な選択をしました。なぜ、ラハブは危険な選択し行動に移したのでしょうか。何か衝動的な行動に出る動機があったのでしょうか。
 ヨシュア記の2章9-10節を読みます。

2:9 そして彼らに言った、「主がこの地をあなたがたに賜わったこと、わたしたちがあなたがたをひじょうに恐れていること、そしてこの地の民がみなあなたがたの前に震えおののいていることをわたしは知っています。
2:10 あなたがたがエジプトから出てこられた時、主があなたがたの前で紅海の水を干されたこと、およびあなたがたが、ヨルダンの向こう側にいたアモリびとのふたりの王シホンとオグにされたこと、すなわちふたりを、全滅されたことを、わたしたちは聞いたからです。

 ラハブは、イスラエルの神さまを知っていたのです。そして、その神さまに畏怖の念を抱いていたようです。そして、彼女は、ただ、イスラエルの神さまを知っているだけではなく、その神さまに助けられたいという一心の思いから、勇気を振り絞ってスパイ(=斥候)を助けたのです。
 そのラハブは、信仰によって人生を大きく変えた女性として称えられています。このため、ラハブはイスラエルの歴史と信仰の中で特別な位置にいます。
 ヘブル人への手紙11章31節を読みます。

11:31 信仰によって、遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった。

 続けて、ヤコブの手紙2章23-25節を読みます。

2:23 こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。
2:24 これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。
2:25 同じように、かの遊女ラハブでさえも、使者たちをもてなし、彼らを別な道から送り出した時、行いによって義とされたではないか。

 この箇所を読みますと、著者ヤコブは、ラハブをイスラエルの始祖アブラハムと同列に置き、完全に信じ切る、信仰に伴う具体的な行動によって神さまに喜ばれ、神さまに受け入れられたことを語っています。

 こうして、タマルとラハブを見ますと、マタイによる福音書の系図は、信仰において、イエス様の系図に相応しいということですね。

2024年12月1日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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