ショートメッセージ【パウロ_5】

使徒行伝12章25節
使徒行伝13章1-12節
コリント人への第1の手紙2章4節

(バルナバとパウロの出発)

1、ご聖霊による聖別の仕事
(1)バルナバとサウロの出発
(2)キプロス宣教

 前回から遡って、3週にわたってイエス様の十字架、死、葬り、復活の場面を見てきました。今回から、“パウロ”シリーズに戻ります。
 話しの流れを思い出すために、少し、前回のパウロ・シリーズ4回目の振り返りをします。

1、バルナバの派遣と励まし(使徒行伝11章20-24節)
 ギリシヤ人への福音伝道が広まり、エルサレム教会はバルナバをアンテオケ教会に派遣。バルナバは信者たちを「揺るがない信仰」で励まし、信仰の初歩において奉仕よりも信仰の確立が大切であると強調する。

2、サウロ(パウロ)の登場と教え(使徒行伝11章25-26節)
 バルナバはサウロをタルソから招き、共に一年間教えを行う。アンテオケ教会にて初めて「クリスチャン」と呼ばれるようになる。信仰のプロセスは「宣べ伝え」「励まし」「教え」を通して深まる。

3、物資による支援(使徒行伝11章27-30節)
 預言者アガボの飢饉の預言を受け、アンテオケ教会の異邦人信者たちはユダヤの兄弟たちへ支援を決意。物質的奉仕を通じて霊的・実践的な愛の一致が実現する。

 前回の流れが今お伝えした内容です。では、今回のお話しに入ります。

1、ご聖霊による聖別の仕事
 使徒行伝12章25節を読みます。

12:25 バルナバとサウロとは、その任務を果したのち、マルコと呼ばれていたヨハネを連れて、エルサレムから帰ってきた。

 この《任務》とは、救援物資を送る任務です。アンテオケから遣わされて、エルサレムに行き、そして、またアンテオケに戻りました。13章からアンテオケを拠点とする宣教活動に入ります。
 務を終えたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来ました。
 宣教の拠点が、エルサレムからアンテオケに移っています。もちろん、同時並行でエルサレムでも、主の御業は行なわれていたのですが、使徒行伝の著者であるルカは、イエス様の言葉に注目して、この書物を書いています。つまり、使徒行伝1章8節の《…聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。》という言葉です。このイエス様が語られた御言葉がどのように実現されていったのかを著者ルカは記しているのです。

(1)バルナバとサウロの出発
 使徒行伝13章1-3節を読みます。13章2節は、重要な箇所です。

13:1 さて、アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、およびサウロなどの預言者や教師がいた。
13:2 一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が「さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい」と告げた。
13:3 そこで一同は、断食と祈とをして、手をふたりの上においた後、出発させた。

 1節には、アンテオケの教会に集っている人々の名前が挙げられています。
 彼らは、異なる人種の集まりで、生まれも育ちも異なります。バルナバは、キプロス出身のレビ族のユダヤ人です。ニゲル(黒)と呼ばれるシメオンは、おそらく黒人だと思います。クレネ人ルキオは、アフリカ出身の人物です(北アフリカの地中海に面したところにあるクレネに住んでいる者という意味です)。そして、マナエンですが、彼は、あのヘロデ王の乳兄弟であり、王室の人が集っています。それから、サウロは、ベニヤミン族のユダヤ人、パリサイ派、議会(サンヘドリン)の一員でした。彼らを結び付ているのは、だた、キリストだけなのです。他には共通点がありません。これが教会の集まりの姿です。

 キリストの救いゆえに、私たちはお互いを受け入れ、キリストにあって会話し、キリストにあって献金をささげ、キリストにあって祈りあいます。キリストと自分自身との間に、他の人やモノが入り込んではならないのです。

 13章2節、《一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、》とあります。
 教会の存在目的は、神さまを礼拝することです。礼拝は、神さまの御前に自分のすべてを神さまに明け渡して、心を王の前にひれ伏すように、神さまにひれ伏すことです。ですから、私たちは心を整えて、黙祷し、祈り、また、神さまを賛美します。
 礼拝をする前、また、礼拝中、イエス様が今ここにおられる。と意識します。

 そして、聖書の言葉を聞き、また、献金を献げて主を礼拝するのです。礼拝や献金するのは、精神的なことや知的ことではなく、自分自身の生活そのものであることを表すためです。ですから、彼らは礼拝することで神さまと交わりをしていました。

 ご聖霊が告げておられます。御使いではなく、ご聖霊自ら《わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい》と、告げて命じられているのです。使徒行伝を調べますと、この13章2節で、はじめてご聖霊が命じています。
 使徒行伝13章3節を読みます。

13:3 そこで一同は、断食と祈とをして、手をふたりの上においた後、出発させた。

 13章3節では、《そこで一同は、断食と祈とをして、手をふたりの上においた後、》とあります。バルナバとサウロの派遣は教会全体の仕事です。ですから《一同は》と書いています。そして、バルナバとサウロが福音を宣べ伝えに出発する前、《手をふたりの上においた》と書かれています。この行為は《按手》です。
 使徒行伝6章6節で、使徒たちは7人の執事を選出し、祈り、彼らの上に手を置きました。同じように、神さまの仕事のための聖別と任命の行為として、手が置かれました。これは、バルナバやサウロに任命する権威があるのではなく、イエス様が建てられた教会に権威があり、その教会の権威によりバルナバとサウロが派遣されるのです。
 ちなみに、サウロは使徒行伝9章17節で、

9:17 そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。

 とアナニヤから1度目の按手を受けて、《目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようにな》(使徒行伝9章17節)り、ただちに諸会堂でイエス様のことを宣べ伝えました。

(2)キプロス宣教
 使徒行伝13章4-5節を読みます。

13:4 ふたりは聖霊に送り出されて、セルキヤにくだり、そこから舟でクプロに渡った。
13:5 そしてサラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言を宣べはじめた。彼らはヨハネを助け手として連れていた。

 このように彼らは派遣されました。4節を見ます。《ふたりは聖霊に送り出されて、セルキヤにくだり、そこから舟でクプロに渡った。》とあります。クプロは、キプロス島のことです。地中海の東側でシリア・アナトリア半島の沿岸にある島です。そして、バルナバは、キプロス島の出身地です。ですから、どこに何があるかよく分かっていたと思います。
 5節を見ますと、《そしてサラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言を宣べはじめた。…》とあります。

 彼らがまず行なったことは、ユダヤ人の会堂、つまり“シナゴーグ”で福音を宣べ伝えました。パウロは教師のラビとしての資格を持っていましたので、そこで語ることができたのです。彼らは、他の地域に行くときに、まずシナゴーグにいき、ユダヤ人と、ユダヤ教への異邦人改宗者に語りました。

 この会堂=シナゴーグですが、新約聖書に会堂と出てきますが一般的にユダヤ教の礼拝堂のことです。この会堂は、宗教的目的に限らず、ユダヤ共同体のあらゆる集会、学校にも用いられたようです。起源については、捕囚後にあらゆる地域に離散したユダヤ人(ディアスポラ)が、その居住地で建てたコミュニティのための会堂(建物)です。
 13章6-7節を読みます。

13:6 島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、そこでユダヤ人の魔術師、バルイエスというにせ預言者に出会った。
13:7 彼は地方総督セルギオ・パウロのところに出入りをしていた。この総督は賢明な人であって、バルナバとサウロとを招いて、神の言を聞こうとした。

 6節で、《そこでユダヤ人の魔術師、バルイエスというにせ預言者》が登場します。
 彼は、ローマ帝国の地方総督セルギオ・パウロのところに出入りしていたようです。
 ローマ帝国の地方総督は異邦人ですが、神さまのことばを聞きたいと思っています。そして、《賢明な人》と紹介されています。おそらく、当時の哲学、宗教、肩書ある宗教家には真理はないと思い、ユダヤ教に本物があるかもしれないと思って、ユダヤ人のバルナバとサウロを呼んだのでしょう。
 13章8節を読みます。

13:8 ところが魔術師エルマ(彼の名は「魔術師」との意)は、総督を信仰からそらそうとして、しきりにふたりの邪魔をした。

 このような人、どこにでもいますね。特に権力に近寄る人、“にせ”には、要注意です。
 13章9節を読みます。

13:9 サウロ、またの名はパウロ、は聖霊に満たされ、彼をにらみつけて

 ここから、サウロの名前がパウロになります。サウロはヘブル語の名前ですが、パウロがギリシヤ語です。ここからユダヤ人への宣教から異邦人への宣教に移り変わっていきます。
 10-12節を読みます。

13:10 言った、「ああ、あらゆる偽りと邪悪とでかたまっている悪魔の子よ、すべて正しいものの敵よ。主のまっすぐな道を曲げることを止めないのか。
13:11 見よ、主のみ手がおまえの上に及んでいる。おまえは盲目になって、当分、日の光が見えなくなるのだ」。たちまち、かすみとやみとが彼にかかったため、彼は手さぐりしながら、手を引いてくれる人を捜しまわった。
13:12 総督はこの出来事を見て、主の教にすっかり驚き、そして信じた。

 バルイエスを辞典で調べますとアラム語で「ヨシュアの子」、「イエスの子」という意味です。10節でパウロは、「悪魔の子」と言っています。
 この出来事を見て神さまの教えを聞いた地方総督セルギオ・パウロは、信仰を持つように導かれました。私たちが、ここから学ぶことができるのは、ご聖霊に遣わされることによって、神さまの力が現われるということです。

13:12 総督はこの出来事を見て、主の教にすっかり驚き、そして信じた。

 不思議ですね。総督は出来事を見て、《主の教え》に驚いているのです。聖書を読むと神さまの“教え”は言葉や出来事を通して学ぶのです。神さまは語られ、お働きをされるのです。御言葉だけ、お働きだけ、ではないのです。言葉とお働きの連続性を知ることが神さまを知る一つです。

 そして、神学とその周辺の学問や知識を学ぶことは、とても大切です。しかし、さらに重要で大切なものは、聖書に書かれているイエス様の十字架、死、葬り、復活の意味が大切です。
 私たちは、そのことを意識して伝え、地方総督セルギオ・パウロの心を真っ新に変えてしまう“神さまの力”を聖書に登場する人物を通して伝えています。
 最後に、パウロが書いたコリント人への第一手紙2章4節の箇所を読んで終わります。

2:4 そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。

2025年4月27日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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※当教会は、信仰の有無や長さに関係なく、
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※聖書解釈はオーソドックスなプロテスタントですが、
 教理・教条主義ではありません。
※牧師・伝道師の属人的な教会ではありません。
 上下関係は無く、フレンドリーで話しやすい教会です。
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 ニックネームでの参加もOKです。