ショートメッセージ【パウロ_6】
使徒行伝13章13-37節
(パウロのメッセージ_前編)
1、宣教
2、パウロのメッセージ
(1)救い主 - 預言
(2)救い主 - よみがえり
1、宣教
宣教地が、キプロス島から、現在のトルコへ移ります。使徒行伝13章13-14節を読みます。
13:13 パウロとその一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から身を引いて、エルサレムに帰ってしまった。
13:14 しかしふたりは、ペルガからさらに進んで、ピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた。
キプロス島から、トルコの海岸に面するペルガへ行きました。皆さんお気づきだと思います。13節の出だし《パウロとその一行》となっています。
今までバルナバとパウロが二人で行動しているときは、「バルナバとサウロ」となっていましたが、宣教旅行をしているうちに、バウロが先導していきます。理由はさまざま考えられますが、パウロが異邦人への使徒として召されていることや、異邦人へ伝道する賜物があったからでしょう。逆にバルナバは前に出ていません。節度をわきまえる人格が備わっていたと考えられます。
そして、ここでヨハネ=マルコは、エルサレムに戻っています。
13章13節の《ヨハネ》は、12章25節に登場する《マルコと呼ばれていたヨハネ》のことです。マルコによる福音書を書いたとされるエルサレム出身のユダヤ人です。マルコはヘブル名でヨハネはギリシヤ名です。
その《マルコと呼ばれていたヨハネ》は、キプロス伝道が小アジヤにまで拡大(変更)されたことや宣教のリーダーシップがパウロに移ったことなどが、若いヨハネ=マルコは、不安・不満を抱いたのでしょうか。ここで使徒行伝15章38節を読みます。
15:38 しかし、パウロは、前にパンフリヤで一行から離れて、働きを共にしなかったような者は、連れて行かないがよいと考えた。
15章38節を読むかぎり、パウロは、マルコが一行から離れたことは好ましく思っていなかったようです。
使徒行伝13章14節の《ピシデヤのアンテオケ》は、使徒行伝11章20-22節のアンテオケ(シリヤ)とは異なる町です。ピシデヤのアンテオケは、今のトルコの内陸にある町です。そこで、ふたたび会堂にはいって、伝道をしようとしています。
使徒行伝13章15節を読みます。
13:15 律法と預言書の朗読があったのち、会堂司たちが彼らのところに人をつかわして、「兄弟たちよ、もしあなたがたのうち、どなたか、この人々に何か奨励の言葉がありましたら、どうぞお話し下さい」と言わせた。
シナゴーグ=ユダヤ人の会堂では、律法と預言書のそれぞれからの朗読がありました。律法と預言書で聖書全体を意味しています。
パウロは、《奨励の言葉》を話すために立ち上がります。
次の13章16節からのパウロは語ります。パウロのメッセージは、旧約聖書の引用がベースです。パウロは、新しい教えをしているのではなく、イエス・キリストの福音が、旧約聖書に記されている約束の実現であることを話しています。
2、パウロのメッセージ
このパウロのメッセージの内容は3つのセクションに分けられます。異邦人宣教を担ったパウロの最初のメッセージを少し長いですがサラっと見たいと思います。
(1)救い主 - 預言
使徒行伝13章16-25節を読みます。
13:16 そこでパウロが立ちあがり、手を振りながら言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を敬うかたがたよ、お聞き下さい。
13:17 この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び、エジプトの地に滞在中、この民を大いなるものとし、み腕を高くさし上げて、彼らをその地から導き出された。
13:18 そして約四十年にわたって、荒野で彼らをはぐくみ、
13:19 カナンの地では七つの異民族を打ち滅ぼし、その地を彼らに譲り与えられた。
13:20 それらのことが約四百五十年の年月にわたった。その後、神はさばき人たちをおつかわしになり、預言者サムエルの時に及んだ。
13:21 その時、人々が王を要求したので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間、彼らにおつかわしになった。
13:22 それから神はサウロを退け、ダビデを立てて王とされたが、彼についてあかしをして、『わたしはエッサイの子ダビデを見つけた。彼はわたしの心にかなった人で、わたしの思うところを、ことごとく実行してくれるであろう』と言われた。
13:23 神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救主イエスをイスラエルに送られたが、
13:24 そのこられる前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に悔改めのバプテスマを、あらかじめ宣べ伝えていた。
13:25 ヨハネはその一生の行程を終ろうとするに当って言った、『わたしは、あなたがたが考えているような者ではない。しかし、わたしのあとから来るかたがいる。わたしはそのくつを脱がせてあげる値うちもない』。
パウロは、イスラエルの歴史から話し始めています。ユダヤ人にとって、自分たちの歴史はとても大切なものでした。いわゆる民族としての“アイデンティティ”です。そして、自分が誰であるかという認識、つまり自己同一性や自己認識のことです。自分が自分である認識や自分らしさを感じることです。
パウロがイスラエルの歴史を話し出したのは、その歴史に主なる神さまが深く関わっておられたからです。私たちキリスト・イエスを信じる者にとっても、イスラエルの歴史はとても大切です。その歴史は、神さまのご計画があり、人々や社会の中で生きておられることを証しし、また、神さまと人間がどのような関係を持つべきなのかを教えてくれます。
13章22節で、イスラエルの歴史をダビデの登場で終わらせています。
おそらく理由は、王ダビデに対してメシヤの約束が与えられているからです。パウロは、この約束の救い主がイエス様であることを、この箇所から話しだします。そして、イエス様について、聖書の預言が残らず成就していったことを論じていきます。
救い主については、千年以上も前から預言されており、その預言の数は多くあります。イエス様が来られたときは、多くの預言が成就しました。ですから、聖書に書かれている教えは、天地万物を創造された神さまから出てきたもの、人間が創り出したものではないことがわかります。
13章24-25節は、福音書に登場するバプテスマのヨハネのことを紹介しています。バプテスマのヨハネはとても重要な人物です。
旧約聖書を読み進めて、続けて新約聖書の福音書を読んでいくと、新約聖書が旧約聖書の続きだと分かります。
旧約聖書の最後の書物マラキ書には、主イエス・キリストが来られる前に、主の道を整える使者が遣わされることが述べられており、新約聖書の最初の書物である福音書には、そのとおりバプテスマのヨハネが現れ、悔い改めを導いたことが書かれてあるからです。バプテスマのヨハネは、旧約から新約の、橋渡し的な役割を担いました。
(2)救い主 - よみがえり
13章26-37節を読みます。
13:26 兄弟たち、アブラハムの子孫のかたがた、ならびに皆さんの中の神を敬う人たちよ。この救の言葉はわたしたちに送られたのである。
13:27 エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めずに刑に処し、それによって、安息日ごとに読む預言者の言葉が成就した。
13:28 また、なんら死に当る理由が見いだせなかったのに、ピラトに強要してイエスを殺してしまった。
13:29 そして、イエスについて書いてあることを、皆なし遂げてから、人々はイエスを木から取りおろして墓に葬った。
13:30 しかし、神はイエスを死人の中から、よみがえらせたのである。
13:31 イエスは、ガリラヤからエルサレムへ一緒に上った人たちに、幾日ものあいだ現れ、そして、彼らは今や、人々に対してイエスの証人となっている。
13:32 わたしたちは、神が先祖たちに対してなされた約束を、ここに宣べ伝えているのである。
13:33 神は、イエスをよみがえらせて、わたしたち子孫にこの約束を、お果しになった。それは詩篇の第二篇にも、『あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ』と書いてあるとおりである。
13:34 また、神がイエスを死人の中からよみがえらせて、いつまでも朽ち果てることのないものとされたことについては、『わたしは、ダビデに約束した確かな聖なる祝福を、あなたがたに授けよう』と言われた。
13:35 だから、ほかの箇所でもこう言っておられる、『あなたの聖者が朽ち果てるようなことは、お許しにならないであろう』。
13:36 事実、ダビデは、その時代の人々に神のみ旨にしたがって仕えたが、やがて眠りにつき、先祖たちの中に加えられて、ついに朽ち果ててしまった。
13:37 しかし、神がよみがえらせたかたは、朽ち果てることがなかったのである。
パウロは、使徒行伝13章26-37節で「約束のメシヤが来られたのです。イエスは神によってよみがえらせて朽ち果てないものとされましたよ。あなたがたは、メシヤであるイエスによって救われるますよ」と訴えかけています。
しかし、ユダヤ人たちは、自分たちが待ち望んでいたメシヤを歓迎するどころか、殺してしまいました。本末転倒です。
当時、多くの人が、救い主イエス様が十字架に磔られたことに疑問を持ち、聖書に疑問をもったと考えられます。つまり、この十字架でつまずいてしまったのです。アイデンティティが崩れたとも言えます。当時のユダヤ人でイエス様を信じなかった人たちの大きな理由は、①ローマ帝国に支配されていたので、そのローマ帝国を倒し自分たちで自治権のある国家を造ることを期待したが違った。②なぜ十字架に磔られたのか。自分自身を救えなかったのか。です。
ここでパウロは、はっきりと、神さまの尊いご計画を示しています。
パウロは13章27節で《預言者の言葉が成就した》、29節で《イエスについて書いてあることを、皆なし遂げてから、人々はイエスを木から取りおろして墓に葬った。》と言っています。
神さまは、御子である救い主イエス様が殺されることをも予め知っておられ、ご自身のご計画の中で定めておられたのです。
イザヤ書53章5節によりますと、
53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
人々の罪の贖いのために、この出来事を許されたのです。
使徒行伝13章30節を注目してください。
13:30 しかし、神はイエスを死人の中から、よみがえらせたのである。
この《しかし》は、とても重要です。イエス様は十字架の上で死に、葬られました。《しかし》死人の中から神さまは《よみがえらせたの》です。ここに福音があります。良い知らせがあるのです。
私は幼少のころ、暗証聖句とこの話を聞いて、小さいながらも感動したのをおぼえています。
のちに、ウルトラマン、仮面ライダーなどのヒーローものが色褪せて行き、同世代の友人よりもかなり早く、見なくなっていきました。ローマ人への手紙1章4節を読みます。
1:4 聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。
かっこよすぎますよね。
イエス様の復活は、いつかまた老いて、衰えて、機能しなくなる体ではなく、永遠に神さまのご栄光に輝くお体をもって復活されました。ですから、イエス様は今も生きており、私たちは、死んだ方ではなく生きている方を信じています。
ダビデに与えられた約束や詩篇のなかにある預言は、ダビデ本人のものに対してではないことを話しています。ダビデは死にました。ですから、これはダビデのことを話しているのではなく、ダビデの子孫であるメシヤのことを話しているのです。イエス様こそメシヤなのだ。と言うことです。
パウロのメッセージの3部構成の3つ目は、次回、お話しさせていただきます。
2025年5月4日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正
【気が楽な教会を探しておられる兄弟姉妹へ】
以前、日曜日に教会へ通っておられたのに離れてしまった方々へ。理由は、いろいろあると思いますが、それより、「もう一度、教会へ行ってみたいなぁ~」「礼拝へ出たいなぁ~」「賛美したい♪」「人と話すの苦手だけど礼拝に出席したい」と思われている方、オンラインで礼拝に出席されませんか。
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教会は、人がこの世に生まれた時から天に召される時まで、すべての時が神の導きと祝福の内にあることを実感するところです。そして、聖書は人生の処方箋とも言えます。人生に行き詰まりを感じることや、疲れをおぼえる時は、先ず休むことです。明日のことは、明日にならないとわかりません。明日に備えてグッスリ眠るほうが健康的です。
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※当教会は、信仰の有無や長さに関係なく、
気楽に集いたい方、気楽に聖書を学びたい方に向いています。
※聖書解釈はオーソドックスなプロテスタントですが、
教理・教条主義ではありません。
※牧師・伝道師の属人的な教会ではありません。
上下関係は無く、フレンドリーで話しやすい教会です。
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ニックネームでの参加もOKです。