ショートメッセージ【パウロ_11】
使徒行伝15章15-41節
(福音と異邦人の文化/エルサレムの使徒会議_後編)
1、異邦人の信仰生活について
(2)解決と決議
↓ ↓ ↓ ↓ ~ 前回からの続き
③ヤコブの意見
④会議結果の伝達
2、パウロとバルナバは分かれて宣教を再開する
1、異邦人の信仰生活について
(2)解決と決議
③ヤコブの意見
ペテロは、ただ信仰によって、恵みによって救われる。と証しし、バルナバとパウロも異邦人の間に神さまが行われた数々のしるしと奇跡のことを話し、ペテロの意見を補強しました。そして異邦人もユダヤ人も、信仰によって救われる。と証ししました。それは、ご聖霊が降られ、お働きになられたという出来事によって判断しました。自分の考えや思いで判断したのではないのです。それでは次に、ヤコブがどのように判断するかを見てみましょう。
使徒行伝15章13-21節を読みます。
15:13 ふたりが語り終えた後、ヤコブはそれに応じて述べた、「兄弟たちよ、わたしの意見を聞いていただきたい。
15:14 神が初めに異邦人たちを顧みて、その中から御名を負う民を選び出された次第は、シメオンがすでに説明した。
15:15 預言者たちの言葉も、それと一致している。すなわち、こう書いてある、
15:16 『その後、わたしは帰ってきて、/倒れたダビデの幕屋を建てかえ、/くずれた箇所を修理し、/それを立て直そう。
15:17 残っている人々も、/わたしの名を唱えているすべての異邦人も、/主を尋ね求めるようになるためである。
15:18 世の初めからこれらの事を知らせておられる主が、/こう仰せになった』。
15:19 そこで、わたしの意見では、異邦人の中から神に帰依している人たちに、わずらいをかけてはいけない。
15:20 ただ、偶像に供えて汚れた物と、不品行と、絞め殺したものと、血とを、避けるようにと、彼らに書き送ることにしたい。
15:21 古い時代から、どの町にもモーセの律法を宣べ伝える者がいて、安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしであるから」。
ヤコブの発言は、この会議の総括とも言えるものでした。
ヤコブはまず、ペテロをユダヤ名で「シメオン」と呼び、ペテロが語ったことを全面的に支持すると、さらにその根拠として旧約聖書を引用して、異邦人の救いは旧約時代からの約束であったことを示しました。預言者の言葉、つまり聖書を根拠にして判断しています。
ヤコブも、自分の勝手な思いで判断していません。
15章16-18節は、アモス書9章11-12節からの引用です。17節で《わたしの名を唱えているすべての異邦人も、/主を尋ね求めるようになるためである。》と書かれています。
ヤコブの解釈は、異邦人伝道と、異邦人の改宗を幕屋の再建に結び付けています。
20節は、偶像に供えられた汚れた物、不品行、絞め殺した動物の肉、そして血を避けることは、律法に書かれてあることです。これらは、異邦人が日常、行なっていたことですが、これらのことを異邦人クリスチャンが行なうと、周囲にいるユダヤ人をつまずかせることになります。ユダヤ人をつまずかせないために、これらのことは守ってくださいという判断です。
ですから、これは、救われるための条件ではなく、周囲にいるユダヤ人たちのことを考えた配慮だと言えます。言い換えると、愛の配慮とも言えます。さらに付け加えますと、“救い”と文化や慣習の分離と言えます。
このような基準ができますと、異邦人の信者は受け入れられますし、ユダヤ人信者が気にしていることも、おおよそクリアできます。こうして、ヤコブは、異邦人の教会とユダヤ人の教会を分裂させないで、合意することができる知恵の言葉を語りました。
コリント人への第1の手紙12章には、“知恵の言葉”が、ご聖霊の賜物の一つとして数えられていますから、ヤコブはここで、ご聖霊に導かれた判断を下したと言えます。
④会議結果の伝達
15章22節を読みます。
15:22 そこで、使徒たちや長老たちは、全教会と協議した末、お互の中から人々を選んで、パウロやバルナバと共に、アンテオケに派遣することに決めた。選ばれたのは、バルサバというユダとシラスとであったが、いずれも兄弟たちの間で重んじられていた人たちであった。
この会議の決議を書面にして、伝達するためにパウロとバルナバに同行する使者を派遣することになりました。
15章23-29節を読みます。
15:23 この人たちに託された書面はこうである。「あなたがたの兄弟である使徒および長老たちから、アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟がたに、あいさつを送る。
15:24 こちらから行ったある者たちが、わたしたちからの指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ、あなたがたの心を乱したと伝え聞いた。
15:25 そこで、わたしたちは人々を選んで、愛するバルナバおよびパウロと共に、あなたがたのもとに派遣することに、衆議一決した。
15:26 このふたりは、われらの主イエス・キリストの名のために、その命を投げ出した人々であるが、
15:27 彼らと共に、ユダとシラスとを派遣する次第である。この人たちは、あなたがたに、同じ趣旨のことを、口頭でも伝えるであろう。
15:28 すなわち、聖霊とわたしたちとは、次の必要事項のほかは、どんな負担をも、あなたがたに負わせないことに決めた。
15:29 それは、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、避けるということである。これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい。以上」。
書面の宛先は、当時の異邦人教会すべてです。内容は、律法的キリスト教の指導の誤りを指摘して、使徒、長老たちの福音理解が一致していることを述べています。バルナバとパウロの異邦人の救いの理解と同じということです。
28節に《聖霊とわたしたちとは》とありますが、使徒や長老が集まって、意見を交わし、判断を下しました。それは、彼らの判断ではなく、ご聖霊の判断ということです。
言い換えますと、自分たちが自分の言いたいことを議論するのではなく、「まず神さまに祈りましょう。」「そして、神さまが何を考えておられるのか考えてみましょう。」という姿勢を持っていたのです。ペテロとヤコブの発言はそのような姿勢でした。ご聖霊の御業と聖書に頼り、そして“知恵の言葉”が用いられていました。
15章30-35節を読みます。
15:30 さて、一行は人々に見送られて、アンテオケに下って行き、会衆を集めて、その書面を手渡した。
15:31 人々はそれを読んで、その勧めの言葉をよろこんだ。
15:32 ユダとシラスとは共に預言者であったので、多くの言葉をもって兄弟たちを励まし、また力づけた。
15:33 ふたりは、しばらくの時を、そこで過ごした後、兄弟たちから、旅の平安を祈られて、見送りを受け、自分らを派遣した人々のところに帰って行った。
15:34 〔しかし、シラスだけは、引きつづきとどまることにした。〕
15:35 パウロとバルナバとはアンテオケに滞在をつづけて、ほかの多くの人たちと共に、主の言葉を教えかつ宣べ伝えた。
アンテオケ教会に大きな不安があったのでしょう。ですから、この手紙を読んで喜びました。ユダとシラスは預言の賜物を持っていて、アンテオケの教会の兄弟たちに、励まし力づけました。
教会内で問題が起こっても、それを話し合うことによって、前進することができました。これは理想の姿です。教会に問題が起こることは問題ではありません。神さまの御心を求めると必ず解決することができます。求めなければ解決は与えられません。
2、パウロとバルナバは分かれて宣教を再開する
15章36-41節を読みます。
15:36 幾日かの後、パウロはバルナバに言った、「さあ、前に主の言葉を伝えたすべての町々にいる兄弟たちを、また訪問して、みんながどうしているかを見てこようではないか」。
15:37 そこで、バルナバはマルコというヨハネも一緒に連れて行くつもりでいた。
15:38 しかし、パウロは、前にパンフリヤで一行から離れて、働きを共にしなかったような者は、連れて行かないがよいと考えた。
15:39 こうして激論が起り、その結果ふたりは互に別れ別れになり、バルナバはマルコを連れてクプロに渡って行き、
15:40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。
15:41 そしてパウロは、シリヤ、キリキヤの地方をとおって、諸教会を力づけた。
パウロにとって2回目の伝道旅行です。3回の伝道旅行のうちで一番広範囲に移動しますす。そして、福音がいよいよ小アジアを越えてヨーロッパへ到達します。旅行期間は西暦49年半ばから51年の終り頃と言われています。
パウロとバルナバの間に、少し悲しいことが起こりました。
2回目の伝道旅行の当初の目的は、前回の伝道旅行で誕生した教会を再訪することでした。ですが、パウロとバルナバは、マルコの同行をについて39節で《激論が起り》と書いています。
パウロは、1回目の旅の途中で離脱したマルコを適さないと見たようです。しかし、バルナバは、もう一度マルコに機会を与えようとしたのだと考えられます。結果的に2人の伝道者は別れて伝道することになります。
パウロはエルサレムに戻ったばかりの《シラス》(40節)を協力者に選んで出発しました。パウロとバルナバは、生まれ故郷に近いところに宣教に行っています。パウロは、小アジアです。そして、バルナバはキプロスです。バルナバはこれ以降、使徒行伝に登場しません。しかし、コリント人への第1の手紙9章6節を見ますと、パウロはこの後もバルナバを同労者と見ていましたし、テモテへの第2の手紙4章11節を見ますと、マルコも後にパウロの協力者として復帰し、パウロから高い評価を受けています。
エルサレムでの会議では、異邦人の教会とユダヤ人の教会が分裂せず、合意形成をとることができましたが、パウロとバルナバは、別れ別れになってしまいました。
これは、なぜでしょうか。
書かれてある情報から考えなければなりません。36節のパウロの言葉を見ますと、《「さあ、前に主の言葉を伝えたすべての町々にいる兄弟たちを、また訪問して、みんながどうしているかを見てこようではないか」。》まではよいのですが、その前後に、祈りをした。などの神さまに向かった姿勢や態度の情報が書かれていません。
つまり、再訪問について、神さまの御心を求めたような形跡が何もありません。おそらく、自分の願望だけなのです。大きなミッションを終えて一段落して、心の隙ができたのかもしれません。御心を求めなかったために、バルナバと軋轢が生じたのだと考えられます。
ここで、記憶をたどってほしいのですが、13章で二人が遣わされるときは、教会の指導者が断食をして、主を礼拝していました。そこで、ご聖霊が語られ、再び断食をして祈り、手を置かれて出発したのです。このように、主が何を考えておられるのかを求める姿勢が必要なのです。そうすることによって、私たちが通る必要のない苦痛や、混乱、対立から免れることができるのです。15章28節の《聖霊とわたしたち》という姿勢が必要なのです。
しかし、神さまは、とても恵み深く憐れみ深いお方です。パウロのこれからの宣教は、ご聖霊に導かれていきます。
ご聖霊に導かれるとは、自分の願望ではなく、使徒行伝2章に書かれてあるように、ご聖霊に引っ張られるようにして導かれます。
ヨハネによる福音書21章18節でイエス様はペテロに、
21:18 よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。
と言われましたが、これが聖霊の導きです。
使徒行伝16章6節で、パウロはご聖霊に行くところを禁じられて、はじめの自分の思いとは違うところに出かけました。そして、ヨーロッパへの宣教が開始します。宣教はさらに、イエス様の言われた、地の果てへ果てへと向かっています。
また、喜ばしいことがあります。パウロがマルコに対する思いを変えていることです。彼の晩年の手紙であるテモテへの第2の手紙4章11節で、
4:11 ただルカだけが、わたしのもとにいる。マルコを連れて、一緒にきなさい。彼はわたしの務のために役に立つから。
と言っています。また、ピレモンへの手紙24節で、マルコを同労者と呼んでいます。
このように、ご聖霊に導かれるとき、つまり、神さまの御心を求めて歩むとき、私たちは一つとされます。教会の内部の問題も、また、クリスチャン個人の内面の問題も解決されるのです。使徒行伝15章28節の《聖霊とわたしたち》という姿勢で、これからも歩んでいきましょう。
2025年6月8日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正
【気が楽な教会を探しておられる兄弟姉妹へ】
以前、日曜日に教会へ通っておられたのに離れてしまった方々へ。理由は、いろいろあると思いますが、それより、「もう一度、教会へ行ってみたいなぁ~」「礼拝へ出たいなぁ~」「賛美したい♪」「人と話すの苦手だけど礼拝に出席したい」と思われている方、オンラインで礼拝に出席されませんか。
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※当教会は、信仰の有無や長さに関係なく、
気楽に集いたい方、気楽に聖書を学びたい方に向いています。
※聖書解釈はオーソドックスなプロテスタントですが、
教理・教条主義ではありません。
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