ショートメッセージ【マリヤ・マルタ・ラザロ】
ヨハネによる福音書11章-12章
マタイにおる福音書26章6-13節
ルカによる福音書10章38-42節
(わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる)
1、マルタとマリヤと背景
2、ラザロは病人
3、ラザロの死
4、ベタニヤに着かれたイエス様
5、涙を流されたイエス様
6、生き返ったラザロ
7、わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる
今回の学びの舞台であるベタニヤはエルサレムから約3km離れたオリブ山の東の村です。この地には、ラザロと姉妹マルタ・マリヤの三人が暮らしていました。イエス様はこの家をたびたび訪れ、彼らを深く愛しておられました(ヨハネによる福音書11章5節)。
この家庭の出来事を通して、主なるイエス様の愛と力、そして信仰の本質とは何かが浮かび上がってきます。
1、マルタとマリヤと背景
ルカによる福音書10章38-42節とヨハネによる福音書11章1-6節を続けて読みます。
10:38 一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。
10:39 この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。
10:40 ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。
10:41 主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
10:42 しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。
ヨハネによる福音書11章1-6節
11:1 さて、ひとりの病人がいた。ラザロといい、マリヤとその姉妹マルタの村ベタニヤの人であった。
11:2 このマリヤは主に香油をぬり、自分の髪の毛で、主の足をふいた女であって、病気であったのは、彼女の兄弟ラザロであった。
11:3 姉妹たちは人をイエスのもとにつかわして、「主よ、ただ今、あなたが愛しておられる者が病気をしています」と言わせた。
11:4 イエスはそれを聞いて言われた、「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」。
11:5 イエスは、マルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。
11:6 ラザロが病気であることを聞いてから、なおふつか、そのおられた所に滞在された。
マルタは、“もてなし”を大切にし、行動的で実務的でした。一方マリヤは、イエス様の足もとで教えを受ける霊的な姿勢を持っていました。このマリヤは、イエス様の最後の過越の祭の準備の時、高価な香油をイエス様の足に塗り、自分の髪の毛でぬぐった人です。
繰り返しになりますが、イエス様はこの姉妹とラザロを愛しておられました(ヨハネ11章5節)。この家庭はイエス様との特別な交わりを持ち、そこに神さまのご栄光が顕されようとしていたのです。
2、ラザロは病人
ラザロが病に倒れた時、姉妹たちは直ぐイエス様に伝えるために使いを送りました。
《「主よ、ただ今、あなたが愛しておられる者が病気をしています」》(ヨハネ11章3節)と。その信頼の言葉に、彼女たちの信仰がにじんでいます。
しかし、イエス様はすぐには動かず、2日間その場にとどまられました(11章6節)。この病気は《神の栄光のため》だと、イエス様は語ります(11章4節)。
3、ラザロの死
ヨハネによる福音書11章11-13節を読みます。
11:11 そう言われたが、それからまた、彼らに言われた、「わたしたちの友ラザロが眠っている。わたしは彼を起しに行く」。
11:12 すると弟子たちは言った、「主よ、眠っているのでしたら、助かるでしょう」。
11:13 イエスはラザロが死んだことを言われたのであるが、弟子たちは、眠って休んでいることをさして言われたのだと思った。
11章13節を読むと、イエス様は「眠っている」と語りますが、実際にはラザロは死んでいました。
この《眠って》という表現は、クリスチャンにとっての“死”が一時的な休息(眠り)であることを示しています。
イエス様は11章11節で《「わたしたちの友ラザロが眠っている。わたしは彼を起しに行く」。》と語られました。神さまは、死をも超える力を持っておられ、その力を今、顕そうとしておられるのです。
4、ベタニヤに着かれたイエス様
ヨハネによる福音書11章17-27節を読みます。
11:17 さて、イエスが行ってごらんになると、ラザロはすでに四日間も墓の中に置かれていた。
11:18 ベタニヤはエルサレムに近く、二十五丁ばかり離れたところにあった。
11:19 大ぜいのユダヤ人が、その兄弟のことで、マルタとマリヤとを慰めようとしてきていた。
11:20 マルタはイエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、マリヤは家ですわっていた。
11:21 マルタはイエスに言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。
11:22 しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」。
11:23 イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。
11:24 マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。
11:25 イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
11:26 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
11:27 マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。
イエス様が到着したとき、ラザロはすでに四日間も墓に入っていました(11章17節)。
マルタはイエス様を出迎え、《「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。》と語ります(11章21節)。
それでも《…わたしは今でも存じています」。》と、神さまはあなたの願いをかなえてくださる、と信仰を言い表します(11章22節)。
イエス様は彼女に《「あなたの兄弟はよみがえるであろう」》と語り、さらに《「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。》(11章25節)と宣言されます。
そして、マルタは力強く告白します。《「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。》(11章27節)。
5、涙を流されたイエス様
ヨハネによる福音書11章28-35節を読みます。
11:28 マルタはこう言ってから、帰って姉妹のマリヤを呼び、「先生がおいでになって、あなたを呼んでおられます」と小声で言った。
11:29 これを聞いたマリヤはすぐに立ち上がって、イエスのもとに行った。
11:30 イエスはまだ村に、はいってこられず、マルタがお迎えしたその場所におられた。
11:31 マリヤと一緒に家にいて彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリヤが急いで立ち上がって出て行くのを見て、彼女は墓に泣きに行くのであろうと思い、そのあとからついて行った。
11:32 マリヤは、イエスのおられる所に行ってお目にかかり、その足もとにひれ伏して言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」。
11:33 イエスは、彼女が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、激しく感動し、また心を騒がせ、そして言われた、
11:34 「彼をどこに置いたのか」。彼らはイエスに言った、「主よ、きて、ごらん下さい」。
11:35 イエスは涙を流された。
マリヤもイエス様のもとに来て、涙を流します(11章32節)。その様子を見たイエス様は深く感動され、涙を流されました。
35節の《イエスは涙を流された》という短い節は、主であるイエス様が人の悲しみに心を動かされる方であることを著者ヨハネは伝えたいことが伝わってきます。
私たちの信じているイエス様は、私たちの痛み、涙に寄り添われる救い主であることが分かります。そして、その姿がここにあります。
6、生き返ったラザロ
ヨハネによる福音書11章38-44節を読みます。
11:38 イエスはまた激しく感動して、墓にはいられた。それは洞穴であって、そこに石がはめてあった。
11:39 イエスは言われた、「石を取りのけなさい」。死んだラザロの姉妹マルタが言った、「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」。
11:40 イエスは彼女に言われた、「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」。
11:41 人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を天にむけて言われた、「父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。
11:42 あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。
11:43 こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。
11:44 すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。イエスは人々に言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。
43節、イエス様は《「ラザロよ、出てきなさい」》と呼ばれました。すると、死人は手足を布でまかれたまま出てきます。イエス様は人々に命じられます。《「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。》(11章44節)。これはイエス様の命の力の勝利です。死さえも従うキリストの権威がここに顕されました。
ヨハネによる福音書12章2節と12章11節を読みます。
12:2 イエスのためにそこで夕食の用意がされ、マルタは給仕をしていた。イエスと一緒に食卓についていた者のうちに、ラザロも加わっていた。
12:11 それは、ラザロのことで、多くのユダヤ人が彼らを離れ去って、イエスを信じるに至ったからである。
このように、復活したラザロは、イエス様との交わり(12章2節)、証しの人生(12章11節)へと導かれます。
7、わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる
ヨハネによる福音書11章25-26節を読みます。
11:25 イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
11:26 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
この御言葉は、マルタのためだけでなく、すべての信じる者への約束です。
「たとい死んでも生きる」「いつまでも死なない」。
これは死を超える希望です。
この希望の中心にあるのは、「わたしを信じる者は」という個人的な信仰応答です。
わたしたちもまた、主イエスに信頼し、永遠のいのちを受ける者とされるのです。そこで、重要な御言葉が26節の《…あなたはこれを信じるか」。》信仰生活の途上で疑いや忘れることがあれば、ご自身の中でイエス様がマルタに語られた状況とお言葉を思い出してください。
2025年10月19日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正
【気が楽な教会を探しておられる兄弟姉妹へ】
以前、日曜日に教会へ通っておられたのに、今は少し離れておられる方々へ。
理由は人それぞれ、さまざまだと思います。けれども――
「もう一度、教会へ行ってみたいなぁ」「礼拝に出たいなぁ」「賛美したい♪」
「人と話すのはちょっと苦手だけど、礼拝には出席したい」
そんな思いが心のどこかにある方へ。
まずは、ご自宅からオンラインで礼拝に参加してみませんか。
オンラインの便利さを活かして、どこからでも、無理なく、あなたのペースで礼拝と聖書の学びにふれていただけるよう、心を込めて準備しています。
【教会や聖書にご興味のある方へ】
教会は、人がこの世に生まれたときから天に召されるときまで、すべての時が神さまの導きと祝福のうちにあることを実感するところです。そして、聖書は人生の処方箋とも言えるでしょう。
もし今、心に問いかけたいことや、立ち止まりたくなるような時を過ごしておられるなら、どうぞ礼拝のひとときを通して、静かにご自分の心と向き合ってみてください。
礼拝は、心にそっと安らぎを与えてくれるかもしれません。
※当教会は、信仰の有無や長さに関係なく、
気楽に集いたい方、気楽に聖書を学びたい方に向いています。
※聖書解釈はオーソドックスなプロテスタントですが、
教理・教条主義ではありません。
※牧師・伝道師の属人的な教会ではありません。
上下関係は無く、フレンドリーで話しやすい教会です。
※オンラインですので顔出ししなくても大丈夫です。
ニックネームでの参加もOKです。