ショートメッセージ【ヤコブ⑥】
~ヤコブの12人の息子たち~
創世記34章-35章
先週は、ヤコブとヤコブがとても恐れていた実兄エサウとの再会を見ました。ヤコブは、神さまによって、兄エサウへの恐れが、人を出し抜き、人を押しのけようとするヤコブ自身の性質から来ていることに気づかされました。
神さまは、ヤコブと兄エサウとの間にあったわだかまりを修正し、ヤコブを約束のカナンの地に戻し、ヤコブがアブラハム信仰の継承者として歩む道に導かれました。そして神さまはヤコブに「神さまにご支配される存在」としてイスラエルと名乗るように告げます。
今日は、創世記34章と35章を見ます。3つお話しします。
1、ヤコブのこどもたち
創世記
34:1 レアがヤコブに産んだ娘デナはその地の女たちに会おうと出かけて行ったが、
34:2 その地のつかさ、ヒビびとハモルの子シケムが彼女を見て、引き入れ、これと寝てはずかしめた。
ヤコブの娘デナは、その土地の異教の娘たち、つまり、まことの神さまを信仰していない娘たちと友達になろうとします。この後登場するその土地のヒビ人(びと)シケムがデナにことを深く慕っていたと3節に書かれていますから、デナは、土地の異教の娘たちともうすでに友達となって、よく出かけていたと思われます。
そこで問題が起こります。
先のヒビびとシケムがデナを、引き入れ、はずかしめてしまったのです。
しかし、シケムもまたその父も、この暴行を悪いとは思っておらず、このことを既成事実としてヤコブにデナとの結婚の申し込みをしています。この土地に住む異教の民たちの道徳心の低さが示されていますが、以前のヤコブでしたら、これ幸いと、相手の弱みに付け込んでことを有利に運ぼうとしたでしょう。しかし偶像の神々を礼拝する彼らと関係を持ってしまうことは、神さまの御心ではないことを悟っていたと思われます。
ここに神さまに対する恐れを持ち始めた、ヤコブの変化を見ることができます。
旧約聖書のヨブ記28章28節に
28:28 そして人に言われた、/『見よ、主を恐れることは知恵である、/悪を離れることは悟りである』と」。
とあります。
ヤコブは、どうしてよいかわからなかったのでしょう。父親としての権威がなく情けないように見えます。そんな中でもヤコブは、悪に対して悪を働くことは、神さまのみこころではないと理解していたようです。
創世記
34:25 三日目になって彼らが痛みを覚えている時、ヤコブのふたりの子、すなわちデナの兄弟シメオンとレビとは、おのおのつるぎを取って、不意に町を襲い、男子をことごとく殺し、
34:26 またつるぎの刃にかけてハモルとその子シケムとを殺し、シケムの家からデナを連れ出した。
34:27 そしてヤコブの子らは殺された人々をはぎ、町をかすめた。彼らが妹を汚したからである。
しかし、ヤコブの息子たち、とくにデナと母親が同じ兄弟のシメオンとレビが、怒りを持って、ひとりのひとシケムへの報復として、彼らの町全体の男を殺すという暴挙に出ています。
そして彼らが神の民としての契約のしるしであった神聖な割礼を、この報復の手段として利用しています。割礼というのは男子が包皮を切り取ることですが、これによって自分を戒め、また神の民としての自覚と信仰を自覚する神聖なものでした。
旧約聖書箴言20章22節に
20:22 「わたしが悪に報いる」と言ってはならない、主を待ち望め、主はあなたを助けられる。
また、新約聖書ローマ人への手紙12章19節に
12:19 愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
ここで、怒りに任せて復讐すること、また、神さまの聖さを汚すことは、神さまの御心にかなわないことが教えられています。
シメオンとレビの子供たち、その一族がこの先、約束の地の配分で他の一族のなかに散らされてしまうのは、この事件が原因だとヤコブが、創世記49章5-7節で語っています。
ヤコブ自身の神さまへの信仰もまだまだ途上でした。
34:30 そこでヤコブはシメオンとレビとに言った、「あなたがたはわたしをこの地の住民、カナンびととペリジびとに忌みきらわせ、わたしに迷惑をかけた。わたしは、人数が少ないから、彼らが集まってわたしを攻め撃つならば、わたしも家族も滅ぼされるであろう」。
ヤコブは、シメオンとレビを戒めていますが、道徳的観点ではなくて、功利的な観点、自分たちの損得を基準に述べています。
そして、
34:31 彼らは言った、「わたしたちの妹を遊女のように彼が扱ってよいのですか」。
という息子たちの問いにヤコブは何も答えることができていません。
ここで聖書は、人の限られた理性や道徳心で良し悪しを決めることができない、判断できずに行き詰まってしまうことが、この世には有り、実際、起きるのだということを教えています。
そしてヤコブの息子たちを通して、神さまの御心に逆らう罪ある行動の刈り取りは、自分や周りに必ず訪れることも教えられています。
このあと、長男ルベンが父ヤコブの側女ビルハと関係を持ったことが書かれています。このことでルベンは2倍を相続する長男の特権を取り去られます。この箇所でも、犯した罪の刈り取りについて聖書は教えています。
ヤコブには、そのような神さまが嫌われる悪しきことから離れる悟りが与えられていた、神さまから離れずに歩んでいる様子が分かります。
2、ヤコブ、ベテルに帰る
35:1 ときに神はヤコブに言われた、「あなたは立ってベテルに上り、そこに住んで、あなたがさきに兄エサウの顔を避けてのがれる時、あなたに現れた神に祭壇を造りなさい」。
35:2 ヤコブは、その家族および共にいるすべての者に言った、「あなたがたのうちにある異なる神々を捨て、身を清めて着物を着替えなさい。
35:3 われわれは立ってベテルに上り、その所でわたしの苦難の日にわたしにこたえ、かつわたしの行く道で共におられた神に祭壇を造ろう」。
35:4 そこで彼らは持っている異なる神々と、耳につけている耳輪をことごとくヤコブに与えたので、ヤコブはこれをシケムのほとりにあるテレビンの木の下に埋めた。
35:5 そして彼らは、いで立ったが、大いなる恐れが周囲の町々に起ったので、ヤコブの子らのあとを追う者はなかった。
35:6 こうしてヤコブは共にいたすべての人々と一緒にカナンの地にあるルズ、すなわちベテルにきた。
ヤコブの娘デナの事件によって、ヤコブはどうしたらよいかわからずに行き詰まっていました。息子のシメオンとレピの行き過ぎた復讐で、いまにもシケムたちから仕返しをされそうな危険な状況でした。
ここで、ヤコブは神さまに頼る方向にかじを切ります。
ベテルは「神の家」という意味ですから、偶像を持ち礼拝する家族を伴ってそこに行くことはできません。そこで、ヤコブは、これまで出来ていなかったこと、家族に偶像を捨てさせて、身を清めさせることがようやくできました。
ヤコブは、家族に対して、まことの神さまが彼と共にいてくださり、いかに彼を守ってくださったかを話して聞かせました。
まさしく神さまは、ヤコブが家族に話した通りに、彼らの家族を守られました。
35:9 さてヤコブがパダンアラムから帰ってきた時、神は再び彼に現れて彼を祝福された。
35:10 神は彼に言われた、「あなたの名はヤコブである。しかしあなたの名をもはやヤコブと呼んではならない。あなたの名をイスラエルとしなさい」。こうして彼をイスラエルと名づけられた。
35:11 神はまた彼に言われた、/「わたしは全能の神である。あなたは生めよ、またふえよ。一つの国民、また多くの国民があなたから出て、/王たちがあなたの身から出るであろう。
35:12 わたしはアブラハムとイサクとに与えた地を、/あなたに与えよう。またあなたの後の子孫にその地を与えよう」。
神さまは一家で神さまを礼拝しに帰ってきたヤコブを、ベテルで祝福されました。
そして、アブラハム、イサクと信仰の継承者に与えられた祝福を繰り返されます。
ここで注目すべき点は、
35:10 神は彼に言われた、「あなたの名はヤコブである。しかしあなたの名をもはやヤコブと呼んではならない。あなたの名をイスラエルとしなさい」。こうして彼をイスラエルと名づけられた。
神さまには、ヤコブを通して、ヤコブの子供たちから起こされていくイスラエル民族全体を、アブラハムの信仰の継承者にするという意図があり、神さまによる人類の救いのご計画が、次の段階に入ることをこの箇所で示しています。つまりイスラエルの民の信仰によって人々が真の神さまを知り、救いに導かれるという計画です。
3、ラケルの死とベニヤミンの誕生
35:16 こうして彼らはベテルを立ったが、エフラタに行き着くまでに、なお隔たりのある所でラケルは産気づき、その産は重かった。
35:17 その難産に当って、産婆は彼女に言った、「心配することはありません。今度も男の子です」。
35:18 彼女は死にのぞみ、魂の去ろうとする時、子の名をベノニと呼んだ。しかし、父はこれをベニヤミンと名づけた。
35:19 ラケルは死んでエフラタ、すなわちベツレヘムの道に葬られた。
ここでのベニヤミンの誕生をもって、ヤコブの子供たちから起こされていくイスラエルの12部族が始まります。そしてそれは、アブラハム、イサク、ヤコブといった個人から、イスラエル民族全体にアブラハムの信仰の継承が及ぶ神さまのご計画の始まりでもありました。
35:22 イスラエルがその地に住んでいた時、ルベンは父のそばめビルハのところへ行って、これと寝た。イスラエルはこれを聞いた。さてヤコブの子らは十二人であった。
35:23 すなわちレアの子らはヤコブの長子ルベンとシメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン。
35:24 ラケルの子らはヨセフとベニヤミン。
35:25 ラケルのつかえめビルハの子らはダンとナフタリ。
35:26 レアのつかえめジルパの子らはガドとアセル。これらはヤコブの子らであって、パダンアラムで彼に生れた者である。
ここでヤコブの12人の息子たちが紹介されているのは、ヤコブの子供たちから興されていくイスラエルの12部族を整理して、次に神さまのご計画が動くことを示しています。
そしてこのイスラエルの12部族への信仰継承の中心人物としてヨセフが選ばれます。
次回からはこのヨセフの歩みを見ていきます。
2022年5月22日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川尚徳師
【教会を離れてしまった兄弟姉妹へ】
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【人生に行き詰った方へ】
教会は、人がこの世に生まれた時から天に召される時まで、すべての時が神の導きと祝福の内にあることを実感するところです。そして、聖書は人生の処方箋とも言えます。人生に行き詰まりを感じることや、疲れをおぼえる時は、先ず休むことです。明日のことは、明日にならないとわかりません。明日に備えてグッスリ眠るほうが健康的です。
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