ショートメッセージ【モーセ④】

(10の災いとエジプト脱出)
出エジプト記5章-15章
1、10の災い(5章-12章33節)
2、エジプト脱出(13-15章)

1、10の災い(5章-12章33節)
 モーセが逃亡先で40年暮らしている間に、エジプトでは王が亡くなり、新しい王に変わった後も、イスラエル人へのひどい扱いは変わっていませんでした。
 そしてその第一歩として彼らをカナンの地(現在のイスラエル)に入らせるために、エジプト王のもとにモーセを遣わし、イスラエルを手放すように迫りますが、王は強情にそれを拒み続けます。
 同時に、神さまはパロ(ファラオ)の心をかたくなにするとも言われたのです。
 これから、神さまとパロの対決という中心部分に入っていきます。
 さて、神さまがパロの心をかたくなにすると言われたのはどういう意味だったのでしょうか。この箇所を少し丁寧に見ていきます。まずモ―セとパロが初めて出会った場面では、単にパロの心が、《かたくなになって》(7:13)としかなく、神さまがパロに何かをした様子はありません。パロの態度に応じて神さまは、まず五つの災いを下しました。それぞれパロとエジプトの神々と対決する災いでした。そしてモーセは、その都度パロにへりくだって、イスラエルを去らせるチャンスを与えたのです。しかし毎回パロは心をかたくした。あるいは心がかたくなになったと書かれています。それは彼自身の意思によるものでした。そして残りの五つの災いを下す時になって、神さまがパロの心をかたくなにされ始めたのです。
 つまり神さまは、パロがご自分に逆らう事をご存知でしたが、それでも正しい選択をするチャンスを与えました。しかしパロの悪質な犯行は、ついに一線を越えたのです。
 《パロの家来たちは王に言った、「いつまで、この人はわれわれのわなとなるのでしょう。この人々を去らせ、彼らの神なる主に仕えさせては、どうでしょう。エジプトが滅びてしまうことに、まだ気づかれないのですか」。》(10:7)と、家来たちはイスラエルの神さまを恐れ始めました。

その10の災いは、それは次のようなものでした。
①血の災い(7:14-25)
 ナイル川の水が血に変わり、魚が死に絶え、水が飲めなくなった。
②蛙の災い(8:1-15) 
 カエルが大発生し、その大量の死骸が悪臭を放つ。
③ブヨの災い(8:16-19)
 ブヨが大量発生し、人々や家畜にたかった。
④アブの災い(8:20-32)
 アブの大群が押し寄せ、エジプト人を襲った。
⑤疫病の災い(9:1-7)
 伝染病が発生し、エジプト人の家畜が次々と倒れた。
⑥腫れ物の災い(9:8-12)
 すすがエジプト人とその家畜に付き、膿の出る腫れ物になった。
⑦雹の災い(9:13-35)
 稲妻と雷がとどろき、激しい雹が降り、畑の作物が枯れた。
⑧イナゴの災い(10:1-20)
 いなごの大群が襲来し、エジプト全土を覆い、作物を荒らした。
⑨暗闇の災い(10:21-29)
 エジプト全土が3日間、暗闇になった。
⑩長子皆殺しの災い(11:1-12:33)
 エジプト人とその家畜の長子がみな死ぬ。

 神さまがパロの邪悪さをご自分の贖いの目的のために利用され始めたのはこの時です。
 パロを破滅に仕向けイスラエルの民を救い出したのです。最後の災いが起こるのは「過ぎ越し」の夜です。パロは手厳しいお返しを受けました。パロがイスラエルの男の子たちを殺したように、神さまもエジプトの長男たちを殺すのです。
 ただしパロと違って、神さまは子羊の血をもってその災いを逃れる。という道を備えられました。
 ここで少し、イスラエルで年に一度行われる過ぎ越しの儀式についての説明をします。
 エジプトを去る前夜、イスラエル人は傷のない子羊を殺し、その血を家の門柱と鴨居に塗りました。そして神さまの災いがエジプトをおとずれた時、子羊の血が塗られていた家は過ぎ越され長子の死を免れたのです(12章1-29節)。それ以来イスラエル人は毎年、神さまの正義と救いを覚えて感謝するために、その夜の出来事を再現し祝います。
 イスラエルでは今でも、このときのことを記念する「過越の祭り」が、大事な年中行事として行われています。

2、エジプト脱出(13-15章)
 10番目の災いの後、自分の長子をも失ったエジプト王は、ついにイスラエル民族に「出て行け」と命じます。 
 この時エジプトから出て行ったイスラエル人は、壮年の男子だけで約60万人でした。ヨセフの家族が飢饉を逃れてエジプトに移住してきてから430年が経っていました。

 60万人の労働力を失うことがよほど惜しかったのか、また、仕返しをしたかったのか、エジプト王は、あれほどの経験をした後とは考えられないほどの強情さを見せて、1度去らせたイスラエル人の後を、自ら軍隊を率いて追いかけました。イスラエル人たちはちょうど葦の海(紅海)の海辺で宿営していたときだったので、前は海、後ろはエジプト軍の板挟みになり、パニックに陥り、騒ぎ出しました。
 イスラエルの民たちは、
14:11かつモーセに言った、「エジプトに墓がないので、荒野で死なせるために、わたしたちを携え出したのですか。なぜわたしたちをエジプトから導き出して、こんなにするのですか。
14:12 わたしたちがエジプトであなたに告げて、『わたしたちを捨てておいて、エジプトびとに仕えさせてください』と言ったのは、このことではありませんか。荒野で死ぬよりもエジプトびとに仕える方が、わたしたちにはよかったのです」。

 とまで言い出す始末です。

 この発した言葉は、イスラエルの民の心を象徴する言葉でした。つまり、これから、長いさすらいの旅をすることになるイスラエルの民ですが、不信と不満でいっぱいの姿勢を象徴するような発言だったのです。 
数々の奇跡を体験しながら脱出した直後にしては、あまりにも感謝と畏れを知らない言葉です。
 しかし、モーセはそんな民を励まし、神さまに命じられたとおり、海の上に手を差し伸ばしました。すると、海が2つに分かれ、イスラエルの民はその間の乾いた地面を渡って逃げることができたのです。民が渡りきり、エジプト軍が跡を追う最中に海の水は元に戻り、軍隊は全滅しました。映画「十戒」に出てくる名シーンです。

14:30 このように、主はこの日イスラエルをエジプトびとの手から救われた。イスラエルはエジプトびとが海べに死んでいるのを見た。
14:31 イスラエルはまた、主がエジプトびとに行われた大いなるみわざを見た。それで民は主を恐れ、主とそのしもべモーセとを信じた。

 一方でパロは、その高慢ゆえの反逆のために自分の息子を死なせてしまい、ついにイスラエル人を去らせることを余儀なくされました。ところがイスラエル人が奴隷にされていたエジプトから脱出するやいなやパロは心変わりし、軍隊を集めて彼らを追い始めました。イスラエル人が無事に海を渡った後、パロは破滅に飛び込んでいったのです。出エジプトの物語はモーセの歌という聖書に記された最初の賛美の詩(15章1-18節)で閉じられています。

 そして、この詩の最後の行は《主は永遠に統べ治められる(15:18)》宣言します。この歌は、神の国の物語について歌っています。それは神が世界中の悪を打ち破り、その悪の奴隷になっているものを贖い出し、ご自分の民を約束の地に導き、そこで神が彼らの家に住むという内容です。

 このモーセの歌は、神さまがご自分の民の王となられた時の様子を描いています。イスラエル人がこの歌を歌った後、事態は急展開を迎えますシナイ山を目指して荒野を歩き続けていたイスラエル人は、空腹を覚え喉が乾くとモーセと神に助けてもらったことに文句を言い始めたのです。
 
 彼らは非常識甚だしく、《イスラエルの人々は彼らに言った、「われわれはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった。あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出して、全会衆を餓死させようとしている」。(16:3)》とまで言ってしまいました。神さまは寛大にもそんな彼らに荒野で食べ物と水を与えました。この発言はモーセにとって先が思いやられます。イスラエル人の心もパロの心と同じくらい恐れを知りません。

2022年7月17日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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