「まさかこんなことになるとは」
皆さん、こんにちは。「聖書からのワンポイント」の清水浩治です。今日のお話のタイトルは、「まさかこんなことになるとは」であります。
旧約聖書、創世記の中にあるお話です。
昔、エサウとヤコブという名の兄弟がおりました。母親のリベカは、弟のヤコブがお気に入りでした。ある時、お兄さんのエサウが、狩りから帰ってきた時のことでした。ひどくお腹を空かせていたエサウに対して、弟のヤコブは自分が調理していた食事を食べさせる代わりに、長子としての権利、長男としての権利を自分に譲るように、とお兄さんに言ったのでした。その言葉に対するエサウの答えが記されています。
「見てくれ。私は死にそうだ。長子の権利など、私にとって何になろう」こうして、エサウは、自分の長子としての権利を弟ヤコブに売ったのでした。
今度は、母リベカとヤコブが、ヤコブの父、イサクを騙しにかかります。イサクは年を取って目がかすみ、よく見えなくなっていました。父イサクは長男のエサウにお願いして、狩りをして自分の好きな料理を食べさせてくれるように頼みます。そして、食べた後で、長子としての権利を与えることを約束するのです。エサウが狩りに出かけている間に、リベカとヤコブは、結託してイサクの長男への祝福を横取りしてしまいました。
このことが起きて、エサウは、ヤコブを殺そうと決心をします。母リベカはそのことを知り、ヤコブを彼女の兄であるラバンのところへ逃がすのです。
長子の権利が欲しいからと言って、正しくないことを知りながら、自分の欲望からそれを追い求めてしまう、当然ここに落とし穴がありました。意図的に間違った行為に出るなら、どんな理由があるにせよ、結果は後悔へとつながります。人間は自身の欲望が絡むと、それを満たそうとして間違った行動に出そうになる時があるのです。
自分の心の中の誘惑が大きいとしましょう。気を付けなければ、心はその誘惑されているものを実行するために、いろいろと言い訳を考え始めます。間違った行動に出ることに対して、正当化できると思う理由をさがし始めるのです。
でも考えてみてください。間違ったことを正当化する理由など、見出せるはずがありません。
エサウとヤコブの話は、作り話ではなく、実際の出来事でありました。幸い、この二人は後に和解するようになります。
今日、ニュースでは毎回犯罪のニュースが流れますが、行動に出てしまった理由、原因(言い訳にすぎませんが)にどんなものがあるでしょうか。「自分のイライラを解消するため」「仕事でストレスが溜まっていた」これはよく聞く話です。「恨みを晴らすため」、元総理大臣の安倍晋三氏を撃った犯人は、この理由でありました。欲求を満たすためという理由では性犯罪が多いでしょう。お金を違法な手段であっても手にしたいとの願望から、持続化給付金の不正受給なども起こっています。
誘惑される事実は人間誰も避けることはできません。しかし、歯止めを設けておくならば、実際の行動に出るまでに至らなくて済みます。信じている神が全てをご存知であるという事実を知れば、どれだけ隠そうとしても、それは知られているとの認識のもと、悲劇的な結末に至ることは避けられるのです。
ヤコブがエサウを騙したお話のほかに、創世記には、兄カインが弟アベルを殺してしまう事件も起こります。皆さんがご存知の映画「エデンの東」は、この聖書箇所を題材に作られました。この場合、兄カインの弟アベルに対する妬みと怒りが、凶行に走ってしまった理由でした。間違った行動に出てしまった後、遅かれ早かれ襲ってくる感情、それは次の言葉で言い表すことができます。「まさかこんなことになるとは」
私たちの心の向き、ベクトルをどこに向けるかが問われています。新約聖書の示している心の在り方、どこに心を向けるかということに関して、すばらしい聖書箇所を引用して、今日のまとめとしたいと思います。
新約聖書 ピリピ人への手紙4章8節
《最後に兄弟たち。すべての真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや賞賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。》
お時間になりました。来月のこの時間、聖書からのワンポイントでまたお会いしましょう。お聴きいただき、ありがとうございます。
2022.8.12
ラジオ・ティーチング・ミニストリー「聖書からのワンポイント」
タイトル「まさかこんなことになるとは」
牧師:清水浩治