「みんながそうしているから」

 皆さん、こんにちは。「聖書からのワンポイント」の清水浩治です。新たな年を迎えました。まだ新型コロナのパンデミックがおさまっていませんので、皆様のご健康が続けて守られますようにお祈りいたします。今日のお話のタイトルは、「みんながそうしているから」であります。

 先日、アミューズメントパークで行なわれているイルミネーションを見に、車を走らせました。一時間半ほどかかり入園口に着いたのですが、夜ということもあって、どこが入園口であるのかよくわかりませんでした。しかし、目の前には多くの人が並んでいて、いわゆるロープウェイ、スキー場ではゴンドラと呼んでいる乗り物のチケット売り場がありました。

 みんながチケットを買って乗っているので、そうするものだと思い、自分たちも片道のチケットを買って乗り込みました。空中からイルミネーションを見て楽しむものなのかと思いながら、下を見ていましたが、ゴンドラはどんどんイルミネーションのエリアから離れていくのです。都内の夜景か川崎の夜景かわかりませんが、街の夜景は綺麗でした。

 イルミネーションのエリアはほぼ見えないところに着いたので、何か別のアトラクションでもあるのかと思い、降りたところにいた係の人に初めて話を聞きました。そして、わかったことですが、このゴンドラはアミューズメントパークから、私鉄の駅を結ぶ交通手段以外のなにものでもありませんでした。みんながそうしているから、真似すればよい、と考えたのが愚かでした。
 
 この間違いでは、ただ単に、もといたところに戻ればよいのですが、「他の人がやっているからこうすればよいのだ」で、すまされないことも存在します。

 今から約20年前のことですが、一人の方が重い病気で治る見込みがなく、床に伏しておりました。その方のご家族から連絡をいただいて、私は病院にお見舞いに出かけました。そこで知ったことが二つありました。
 一つ目は病気の方が、自分が治る見込みのないことを把握しているという事実。
 二つ目は、自分が死を迎えた時に自分のことを何も知らない宗教家がスクーターで駆けつけ、自分に宗教的儀式を行ってほしくない、との考えを持っていることでありました。特定の宗教を否定しているのではなく、その時の起きた状況をそのままお伝えしています。

 その方の配偶者のご家族には、クリスチャンの方、牧師もいたので、その方は、人生の夕暮れ時に、日が地平線に沈もうとしているまさにその時に、教会関係の人と接したいと思っていたのだと感じました。結論から申しますと、その方はイエス・キリストを信じてクリスチャンとなり、私がすべて葬儀の責任を持ち、葬儀を執り行いました。

 自分が死を迎える時に、何の信仰をもって死ぬのか、あるいは無神論で死ぬのか、はっきりさせておきたいものです。ほかの多くの人がしていることをそのまま真似する、であってはいけません。この点をはっきりさせておくことが、世に言う「終活」なのではないでしょうか。終活の中でも最重要ポイントです。

 皆さんは、ポセイドン・アドベンチャーという映画をご存知でしょうか。1972年の映画ですが、私はテレビで見たのを覚えています。ジーン・ハックマン主演の映画で、彼はスコット牧師(Reverend Scott)の役で出ていました。その映画のワンシーンが、大変強烈に印象に残っています。映画の初めの頃のシーンですが、スコット牧師は、海の上で逆さまになった船の一室で「ここから抜け出さなければいけない」とパーティー会場から、クリスマスツリーを登って別の部屋へと移動することを強く訴えます。しかし、その意見に対して、乗務員の一人が真っ向から反対するのです。「私は専門家で、私が言うことを聞いてください。ここにいれば安全です。」スコット牧師の言うことを聞いた一握りの人たちを除いて、ほとんどの人がその場で海水の急激な流入によって死んでしまうのです。

 もちろんこれは1969年に発表された小説に基づく映画ですので、フィクションでありますが、ここから学べるレッスンがあるのではないでしょうか。予測できないことに関して絶対的な答え、正解を見出すことは不可能です。しかし、現状の中で確認できる兆候、推測できる部分から、自分が主体性をもって考え、判断するというポイントであります。

 2022年の国会で、主に一つの宗教団体の問題を機に法律が成立しましたが、私が考えるに、宗教というもの全体が悪いのではなく、宗教が人の思考を停止させてしまうようなことがある場合に、そがれ諸問題の根源であると信じます。私が知っているある新宗教の中では、上から教えられる内容を疑ってはいけない、疑問を持ってもいけないと教えられるそうです。同じ家族であっても、信仰から離れた人とは話をしてはいけない、と言われるのです。洗脳も人の思考能力を完全にマヒさせてしまいます。
 
 聖書の中に「真理はあなたがたを自由にする」(真理はあなたがたに自由を得させるであろう)と書いてあります。 ヨハネの福音書 8章

 信仰は人を自由にしても、束縛するものであってはいけません。私が牧師をしていた時には、牧師が話をする内容がすべて正しいのではなく、もちろん正しい内容を伝えようとはしますが、聖書箇所の解釈において、聴き手の方々の考える解釈とその根拠となる原則をお示しいただければ、自分の捉え方を変えることもやぶさかではない、とお話をしてきました。

 「みんながそうしているから、みんながそう考えているからそれでいい」では
なく、自分が主体性をもって物事を考えていきたいものです。もちろん、信仰の内容においても、であります。

 お時間になりました。また、来月のこの時間、「聖書からのワンポイント」でお会いしましょう。お聴きいただきありがとうございます。

2023.1.13
ラジオ・ティーチング・ミニストリー「聖書からのワンポイント」
タイトル「みんながそうしているから」
牧師:清水浩治