ショートメッセージ【ソロモン③】

列王紀上4-9章、歴代志下2-8章 他
(神殿建設)
1、神殿建設の意味
2、ソロモン王の祈り

1、神殿建設の意味
 最初に列王紀上3章12-14節を読みします。

3:12 見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にはあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起らないであろう。
3:13 わたしはまたあなたの求めないもの、すなわち富と誉をもあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちのうちにあなたに並ぶ者はないであろう。
3:14 もしあなたが、あなたの父ダビデの歩んだように、わたしの道に歩んで、わたしの定めと命令とを守るならば、わたしはあなたの日を長くするであろう」。

 先週見た個所“2人の遊女へのさばき”の知恵と、この列王紀上3章12-14節の約束どおりに、神さまはソロモンに国を発展させ莫大な富を成す知恵を与えられます。また、その知恵によって名誉も与えられました。そのことが列王紀上4-5章に記されています。

 イスラエルの国には12の行政区を置いて税金を集め国の資金とします。これまでは、民たちが納めていたのは礼拝時の献金だけでした。
 国内だけでなく、列王紀5章7-12節はツロの国ヒラム王との交易のための同盟が記されています。父ダビデの友好関係を継承して、略奪ではなく、お互いの利益になるよう、平和を維持する知恵がソロモンには与えられていました。
 国内での税収、海外との貿易によって莫大な富をなし、兵士や戦車、そのための馬も整備され(列王紀上4:26-28)、イスラエルの国の領土は最大に拡張されます(列王紀上4:21)。

 列王紀上4章29⁻31節には、このようにあります。

4:29 神はソロモンに非常に多くの知恵と悟りを授け、また海べの砂原のように広い心を授けられた。
4:30 ソロモンの知恵は東の人々の知恵とエジプトのすべての知恵にまさった。
4:31 彼はすべての人よりも賢く、エズラびとエタンよりも、またマホルの子ヘマン、カルコル、ダルダよりも賢く、その名声は周囲のすべての国々に聞えた。

 そして列王紀上5章に書かれているツロの王ヒラムとの交易交渉がまとまったことで、いよいよ神殿建築が開始されます。
 その大きさは列王紀上6章2節にある通り、長さ60キュビト(26.4m)、幅20キュビト(8.8m)、高さ30キュビト(13.2m)で、モーセの時の神の幕屋の約2倍の大きさがありました。

 モーセの幕屋は、神さまの律法を守ると約束した出エジプトの民のその真ん中に神さまがいてくださる場所となる神聖なテントでした。ソロモンの神殿も基本構造は幕屋と同じでした。契約の箱が置かれる至聖所と聖所からなり、空間の分割方法や長さと幅の比率も幕屋同様でした。
 違いは内部がすべて純金でおおわれていたことで、神さまの聖さ、また、永遠を示すものだと考えられます。

 ここで、モーセの時に学んだことを思い出してみましょう。
 モーセは幕屋に入って行こうとしましたができませんでした。それが出エジプト記の終わりに書かれていました。イスラエルの罪が神さまとの関係を隔てていたので、イスラエルの代表であるモーセが神の臨在される幕屋には入ることがゆるされなかったのです。

 出エジプト記に続くレビ記で、その罪を解決し、民が神と共に住まわって生きていくことができる道筋が示しています。イスラエルの民が律法に従うなら、神さまが共にあって平和と豊かさが与えられるのです。そうして、レビ記に続く民数記では、モーセが幕屋に入ることがゆるされ神さまからお言葉をいただいています。

 ソロモンの父ダビデの願いも神さまとともにあることでした。

 詩編23篇6節

23:6 わたしの生きているかぎりは/必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。

 つまりダビデは、神さまとともに神さまの宮に住むことを願いとしていたのです。神殿建設はそのためでした。だから、ダビデは、ソロモンに神殿建設を伝えると同時にモーセに命じられた定めとおきてを慎んで守るようにと警告をしているのです(歴代志上22:12-13)。

 しかしソロモンは、神さまと共に住まうということよりも、神殿を建てるということに心がとらわれていたように思います。そこにソロモンの危うさが見えます。

 ソロモンは神殿の本殿の前に2本の柱を建てます。そして右側の柱をヤキンと呼び、左側をボアズと呼びます。ヤキンは「彼は設立する」、ボアズは「力をもって」という意味です。
 彼とは主なる神さまですから、「神さまがご自身の家をその力をもって建てる」という意味になります。
 詩編127篇1節を読んでみましょう。

127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。

 これは、ソロモンが詠んだ都もうでの歌です、ソロモン自身、神殿の存在こそが、神さまのご臨在を示すということが良くわかっていたのです。

 神殿は、神さまとともに生きる民の喜びと祝福であって、彼らのアイデンティティーそのものでした。そしてそれには、モーセに命じられた定めとおきてを慎んで守るということが条件でした。いや条件というより、そのこともすべて含まれている神殿建設ということが言えます。

 今私たちはその律法の完成者であるイエスさまを信じることで、すべての罪が赦されて、神さまとともにあって、一緒に歩むことがゆるされています。天地万物を造られ、この世の秩序を保たれ、人が正しく生きる基準を示される神さまが、ともにいてくださるということの幸い、この祝福を決して軽んじないこと。
 このことを、目を見張るような荘厳な神殿の完成を喜ぶ民のように喜び味わうものでありたいと教えられています。

2、ソロモン王の祈り
 神殿を完成させたソロモンは、ダビデの町シオン(エルサレムの南端)にあった神さまの契約の箱(神さまが十戒を刻まれた石板を収めた箱で神さまのご臨在の象徴)を神殿(エルサレムの北側に位置する)に運び入れて、至聖所に置きます。その時神さまのご臨在の象徴である雲が神殿に満ちます。

 ソロモンはイスラエルの全会衆の前で神殿奉献に至るまでの神さまの歴史(出エジプトから神殿奉献に至るまで)を回想し、神さまが、父ダビデを通してソロモンを用いて神殿をお建てになったことを述べます。
 そして、神さまを褒めたたえたのち、父ダビデを通して自分に与えられた神さまの約束を再確認します。そして、イスラエルの民たちのためのとりなしの祈りをします。

 列王記8章30節です。

8:30 しもべと、あなたの民イスラエルがこの所に向かって祈る時に、その願いをお聞きください。あなたのすみかである天で聞き、聞いておゆるしください。

 ソロモンは、イスラエルの民が犯すであろう罪を想定して、正しいさばきと神さまの赦しが得られるように、異国の民もイスラエルの民同様に受け入れてくださるように、飢饉や疫病敵から守られるように祈ります。民たちが遭遇するであろうさまざまな状況を察しての祈りが続きますが、その中で最後の祈りの状況には特に目が留まります。
 列王紀上8章48-50節です。

8:48 自分を捕えていった敵の地で、心をつくし、精神をつくしてあなたに立ち返り、あなたが彼らの先祖に与えられた地、あなたが選ばれた町、わたしがあなたの名のために建てた宮の方に向かって、あなたに祈るならば、
8:49 あなたのすみかである天で、彼らの祈と願いを聞いて、彼らを助け、
8:50 あなたの民が、あなたに対して犯した罪と、あなたに対して行ったすべてのあやまちをゆるし、彼らを捕えていった者の前で、彼らにあわれみを得させ、その人々が彼らをあわれむようにしてください。

 これは明らかに民が「捕囚」となった時の祈りです。ソロモンの死後、イスラエルは北イスラエル王国と南ユダ王国に別れます。そして北イスラエルは、アッシリヤによって、南ユダはバビロンによって捕囚となります。それは彼らが神さまに背いたことが原因でした。
 しかしソロモンはここですでに、彼らがその捕囚の地で「悔い改め」、主に「立ち返り」、主の神殿の方に向いて祈るなら、「彼らの言い分を聞き、彼らの罪をお赦しください」ととりなして祈っているのです。

 このソロモンが祈り終わった時、今度は、神さまが火によってそのご臨在をあらわされました。

 歴代志下7章1節です

7:1 ソロモンが祈り終ったとき、天から火が下って燔祭と犠牲を焼き、主の栄光が宮に満ちた。

 そしてこのソロモンの祈りは全て聞き入れられます(列王紀上9:3-5)。

 これから神さまに背き捕囚となる民のための祈りをソロモンに導き、また、すでに赦しを受け入れておられる神さまの本当に深いあわれみと愛を見ることができます。
 列王記上8章38-39節です。

8:38 もし、だれでも、あなたの民イスラエルがみな、おのおのその心の悩みを知って、この宮に向かい、手を伸べるならば、どんな祈、どんな願いでも、
8:39 あなたは、あなたのすみかである天で聞いてゆるし、かつ行い、おのおのの人に、その心を知っておられるゆえ、そのすべての道にしたがって報いてください。ただ、あなただけ、すべての人の心を知っておられるからです。

 私たちも、たとえ教会で礼拝ができない時も、時と心を聖別して、神さまに心を向けて祈るとき、神さまがその礼拝を受けて祈りを聞いてくださることが分かります。
 もちろん、聖書は教会に集う礼拝によってイエス様を指し示し証しすることの大切さ、教会の兄弟姉妹の間で愛を実践していく大切さも教えています。教会で礼拝しなくてもよいということではありません。
 心を神さまに向けて祈り、礼拝を私たちがどこにいても神さまは受けてくださるということでしょう。

2023年4月2日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川尚徳

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