ショートメッセージ【ソロモン④】

列王紀上10-11章 他
(知恵に生きられなかった“王”)
1、ソロモンの知恵と王国の繁栄
2、高ぶる心と肉の思い

1、ソロモンの知恵と王国の繁栄
 最初に列王記10章1 -7節を読みます。

10:1 シバの女王は主の名にかかわるソロモンの名声を聞いたので、難問をもってソロモンを試みようとたずねてきた。
10:2 彼女は多くの従者を連れ、香料と、たくさんの金と宝石とをらくだに負わせてエルサレムにきた。彼女はソロモンのもとにきて、その心にあることをことごとく彼に告げたが、
10:3 ソロモンはそのすべての問に答えた。王が知らないで彼女に説明のできないことは一つもなかった。
10:4 シバの女王はソロモンのもろもろの知恵と、ソロモンが建てた宮殿、
10:5 その食卓の食物と、列座の家来たちと、その侍臣たちの伺候ぶり、彼らの服装と、彼の給仕たち、および彼が主の宮でささげる燔祭を見て、全く気を奪われてしまった。
10:6 彼女は王に言った、「わたしが国であなたの事と、あなたの知恵について聞いたことは真実でありました。
10:7 しかしわたしがきて、目に見るまでは、その言葉を信じませんでしたが、今見るとその半分もわたしは知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄はわたしが聞いたうわさにまさっています。

 神さまがあとにもさきにもあなたに並ぶ者はないと言われたとおり、ソロモンの知恵はだれよりも素晴らしいものでした。またその知恵に基づいた貿易などの商業の発展により、王国にこの世の富が結集されていきました。
 次に列王記10章14-15節を読みます。

10:14 さて一年の間にソロモンのところに、はいってきた金の目方は六百六十六タラントであった。
10:15 そのほかに貿易商および商人の取引、ならびにアラビヤの諸王と国の代官たちからも、はいってきた。

 そして、ソロモンの知恵と富による名声が全世界に知らされます。
 これも神さまが列王紀上3章13節で、《わたしはまたあなたの求めないもの、すなわち富と誉をもあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちのうちにあなたに並ぶ者はないであろう。》と、約束された通りでした。

 そして、全世界の人々がソロモンに面会を求めてやってきました。
 列王記上10章24節です。

10:24 全地の人々は神がソロモンの心に授けられた知恵を聞こうとしてソロモンに謁見を求めた。

 来る人来るひと皆、シバの女王と同様にソロモンの多彩な知恵と、ソロモンが建てた宮殿、そして《その食卓の食物と、列座の家来たちと、その侍臣たちの伺候ぶり、彼らの服装と、彼の給仕たち、および彼が主の宮でささげる燔祭を見て、全く気を奪われてしまった。》 (10:5)ことでしょう。

 そして、ソロモンを通してまことの神さまの素晴らしさと神さまに仕える神の民の幸いを目にしたに違いないのです。

 これこそが神さまの御心であったでしょう。神の民がまことの神さまを全世界に知らしめる状況、そしてソロモンが戦争や略奪をすることなく、平和の内に、世界中にまことの神さまを証しする方法と機会を確立したのです。

 このままソロモンのイスラエル王国の繁栄が続いていたならば、神さまは今ごろ、もうすでに、このイスラエル王国の上に神さまの国を打ち立てられていただろうと思います。

2、高ぶる心と肉の思い
 残念ですが、そうはなりませんでした。列王紀上11章11節を読みます。

11:11 それゆえ、主はソロモンに言われた、「これがあなたの本心であり、わたしが命じた契約と定めとを守らなかったので、わたしは必ずあなたから国を裂き離して、それをあなたの家来に与える。

 ここまでも、ソロモンの危うさについて触れてきました。
 神殿建築のまえに、エジプトとの関係を平和によって強固なものとするためにエジプトの王パロと縁を結び、パロの娘と結婚したこと(列王紀3章1節)、また、神さまとともに住まわることを目指して神殿建設を願った父ダビデとはちがい、神殿をたてることが目的になっていたように思われることでした。
 そんな懸念が現実になったことを聖書は記しています。
 列王紀上11章1-4節までを読みましょう。

11:1 ソロモン王は多くの外国の女を愛した。すなわちパロの娘、モアブびと、アンモンびと、エドムびと、シドンびと、ヘテびとの女を愛した。
11:2 主はかつてこれらの国民について、イスラエルの人々に言われた、「あなたがたは彼らと交わってはならない。彼らもまたあなたがたと交わってはならない。彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせるからである」。しかしソロモンは彼らを愛して離れなかった。
11:3 彼には王妃としての妻七百人、そばめ三百人があった。その妻たちが彼の心を転じたのである。
11:4 ソロモンが年老いた時、その妻たちが彼の心を転じて他の神々に従わせたので、彼の心は父ダビデの心のようには、その神、主に真実でなかった。

 神さまは、神殿建設を果たしたソロモンに、このように言っていました。
 列王記9章4-5節です。

9:4 あなたがもし、あなたの父ダビデが歩んだように全き心をもって正しくわたしの前に歩み、すべてわたしが命じたようにおこなって、わたしの定めと、おきてとを守るならば、
9:5 わたしは、あなたの父ダビデに約束して『イスラエルの王位にのぼる人があなたに欠けることはないであろう』と言ったように、あなたのイスラエルに王たる位をながく確保するであろう。

 ソロモンが心変わりした後も神さまはソロモンに2度警告を与えられています。
 列王紀上11章9-10節です。

11:9 このようにソロモンの心が転じて、イスラエルの神、主を離れたため、主は彼を怒られた。すなわち主がかつて二度彼に現れ、
11:10 この事について彼に、他の神々に従ってはならないと命じられたのに、彼は主の命じられたことを守らなかったからである。

 しかしソロモンは、神さまからあとにも先にも並ぶ者がない、すばらしい知恵を与えられていたソロモンが、なぜこのようになってしまったのでしょうか。
 だれよりも賢かったのにどうして神さまの忠告、警告を無視してしまったのでしょうか。

 それはソロモンが与えられたのが、《賢い、英明な心》だったからです(列王紀上3:12)。

 つまり心が神さまと共になければ、この知恵も用いることができないということでしょう。そこで、11章3節でもわざわざ《その妻たちが彼の心を転じて》と書かれています。

 ではソロモンの心がどうして転じてしまったのでしょうか。
 一つは高ぶりによってということでしょう。

 ソロモンにはこの上ない、知恵、名誉、富が与えられて、そこに頼る思い、高ぶりがあったということでしょう。この知恵があれば神さまに頼らなくてもと、もしかしたら無意識の内であったかも知れませんが、心は神さまに頼ることよりも、自分の知恵、国の繁栄、富、名誉に傾いていたのでしょう。

 そして、ソロモンの心が転じた理由のもう1つは肉の欲(本能的な欲求)です。

 コリント人への第一の手紙10章5-6節
10:5 しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。
10:6 これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。

 前後の文章を読まないと分かりにくいのですが、パウロがコリントの教会の人々に言っている言葉です。

 この時、コリントの教会の人々は、あらゆる点で自信過剰になっていました。彼らは、キリストによって救われたので、もはや私たちは完全で安全。偶像にささげられた肉を食べたところで何の問題も危険もないではないか。と世間の人々と同じように、いやむしろ世間の人たち以上に肉の欲(自分たちの思い)のままに歩んでいたのです。

 そこでパウロは、コリントの教会の人々に警告を与える意味で、エジプトの奴隷となっていたところから脱出して救われていながら、神さまとの約束を守らず、神さまによって与えられる約束の地に入ることができず、神さまに滅ぼされてしまった民たちの失敗を例にあげていたのです。

 それらは、金の子牛像事件にみる偶像礼拝、神さまへの試みと神さまへの不満、つぶやき、さらに、性的な不品行です。彼らは、その土地のモアブの娘たちとみだらな事をし始め、2万4千人もの人が滅びます(民数記25:1-9)。性的欲求をただむさぼる思いによって、人は、心を乱し、人格を失ない、果てしない肉の思いに振り回されることになります。肉欲(本能的欲求)を神として追いかけ、まことの神さまとの関係は壊れてしまいます。

 私たちには、肉体に帯びる欲がつねに付きまといます。そして、肉体的欲求をそのままにしておくと、自分の安心のために偶像を造って拝み、神さまを試み、自分本位の思いが満足しないという理由で、神さまにつぶやき続け、肉体の欲のまま性的な不品行に走ることになってしまうのです。

 だからこそ私たちは、自分自身に、またこの世のものに頼るのではなくて、神さまに頼る(神さまに自分自身の弱さを教えていただき神さまの御心を教えていただく)ことが必要なのです。
 自己中心的な人が起こす事件、事故のニュース、不倫と言う言葉の見聞きしない日はないのではないでしょうか。

 ソロモンも高ぶりから、目に見える自分の知恵、国の繁栄の姿、富、名誉に頼り、王妃700人、そばめ300人と言う環境で、いつの間にか肉の欲にとらわれて、偶像礼拝をなんとも思わないくらいに神さまから心が離れてしまったということなのでしょう。
 そうなるともう、神さまとともにある心に与えられた知恵の心は、神さまへ向かって働くことはありませんでした。

 世は、この肉の欲に満ちています。人生を人として正しく生きる、その見極めのためにも神さまに頼る必要を、イエス・キリストを信じることを心からお勧めします。

 また、信仰者は、この肉の欲に流されないように、神さまが日々私たちに試練をお与えになり、神さまに頼ることでより、肉の欲に対して流されにくくなるように成長させてくださっていることを覚えて歩みましょう。

 ソロモンは父ダビデの遺言通り、神の神殿を建設し、あとにもさきにも並ぶ者がない、知恵と名誉と富が与えられ、その王国は繁栄しました。
 彼の働きの集大成は荘厳な神さまの神殿であり、知恵の集大成は、
 伝道の書12章13節(口語訳)

12:13 事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。

 伝道者の書12章13節(新改訳2017)

12:13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。

 ソロモンは、知恵によってイスラエルの繁栄をもたらしながら、その知恵に最後まで生きられなかった“王”でした。皮肉なもので。ソロモン自信が反面教師となって私たちに教えています。
 《神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。》と。

2023年4月9日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川尚徳

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 教会は、人がこの世に生まれた時から天に召される時まで、すべての時が神の導きと祝福の内にあることを実感するところです。そして、聖書は人生の処方箋とも言えます。人生に行き詰まりを感じることや、疲れをおぼえる時は、先ず休むことです。明日のことは、明日にならないとわかりません。明日に備えてグッスリ眠るほうが健康的です。
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