ショートメッセージ【エリヤ④】

列王紀上19章4-21節
(エリヤの再起)

1、御使いのケアを受けるエリヤ
2、主の問いかけ「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか」。
3、エリシャとの出会い

1、御使いのケアを受けるエリヤ
 最初に19章4-8節を読みます。

19:4 自分は一日の道のりほど荒野にはいって行って、れだまの木の下に座し、自分の死を求めて言った、「主よ、もはや、じゅうぶんです。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」。
19:5 彼はれだまの木の下に伏して眠ったが、天の使が彼にさわり、「起きて食べなさい」と言ったので、
19:6 起きて見ると、頭のそばに、焼け石の上で焼いたパン一個と、一びんの水があった。彼は食べ、かつ飲んでまた寝た。
19:7 主の使は再びきて、彼にさわって言った、「起きて食べなさい。道が遠くて耐えられないでしょうから」。
19:8 彼は起きて食べ、かつ飲み、その食物で力づいて四十日四十夜行って、神の山ホレブに着いた。

 神さまは御使いを遣わし、以前ケリテ川でカラスによって養なわれたように、もう一度養いをされ、その中で、いつのまにか神さまはエリヤを導こうとされます。

 そして、エリヤの4節言っています《先祖》と比べて戦いをする力がないことを受けて、モーセが主の取り扱いを受けたホレブの山に導かれます。それを結び付ける言葉は《四十日四十夜》。8節のホレブが《神の山》と言われるのは、モーセとのかかわり、特に神さまによる訓練の場として神聖視され、イスラエル人の信仰の原点とも言うべき地であるからです。

2、主の問いかけ「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか」。
 19章の9-10節を読みます。

19:9 その所で彼はほら穴にはいって、そこに宿ったが、主の言葉が彼に臨んで、彼に言われた、「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか」。
19:10 彼は言った、「わたしは万軍の神、主のために非常に熱心でありました。イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、刀をもってあなたの預言者たちを殺したのです。ただわたしだけ残りましたが、彼らはわたしの命を取ろうとしています」。
19:11 主は言われた、「出て、山の上で主の前に、立ちなさい」。その時主は通り過ぎられ、主の前に大きな強い風が吹き、山を裂き、岩を砕いた。しかし主は風の中におられなかった。風の後に地震があったが、地震の中にも主はおられなかった。

 エリヤは、モーセが2回経験(出エジプト記3、19章)したような事のために導かれます。《「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか」。》は9節と13節繰り返します。預言者エリヤがバアル礼拝者たちと対決をした場所、カルメル山で経験した神さまの御業が、エリヤにとって何であったのか、更にモーセの召命の経験がエリヤにとっての召命であることを確認させます。

 エリヤの2回の答は同じです。《主のために非常に熱心でありました。》《彼らはわたしの命を取ろうとしています》
 エリヤにとって、精一杯神さまを証しするために戦いました。そして、「まだ戦いが続くのか。」という思いかもしれません。神さまへ自分が精一杯やったのになぜ命を狙われるのか。理不尽ではないか。という思いでしょう。
 しかし、神さまの御心は違うのです。また、聖書を読むと多くの神さまに仕える者にとっては、他者から命が狙われることとの関係は、不可分すなわち切っても切れないものと言えます。

 《「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか」。》の神さまの問いかけですが、エリヤは的外れな回答です。
 本来なら「イゼベルが24時間以内に殺す。と言うので逃げてきました。そして、神さま助けて下さい。」のような言葉になると思いますが、エリヤは《「わたしは万軍の神、主のために非常に熱心でありました。イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、刀をもってあなたの預言者たちを殺したのです。ただわたしだけ残りましたが、彼らはわたしの命を取ろうとしています」。》です。「イスラエルの民は、神さまを裏切りましたが、私は情熱をもって神さまのために働いたのに、どうして私だけが残って命を狙われ恐ろしい思いをしなければならないのですか。」とエリヤは動転していることがわかります。
 12節を読みます。

19:12 地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。火の後に静かな細い声が聞えた。

 《火の後に静かな細い声が聞えた。》ここは2点考えられます。
 一つは、目の前のアハブと多くの預言者との戦い。そして、雨を降らせる祈り。心が騒がしかったと思います。少し落ち着いたので《静かな細い声が聞えた。》のでしょう。
 もう一つは、大きな強い風、地震、火も、地球を創造された神さまを感じますが、《静かな細い声が聞えた。》ことが、エリヤに力や勇気が与えられたのでしょう。

19:13 エリヤはそれを聞いて顔を外套に包み、出てほら穴の口に立つと、彼に語る声が聞えた、「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか」。
19:14 彼は言った、「わたしは万軍の神、主のために非常に熱心でありました。イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、刀であなたの預言者たちを殺したからです。ただわたしだけ残りましたが、彼らはわたしの命を取ろうとしています」。

 9-11節を読んだところでも、お話ししましたが、神さまの問いかけに同じようにエリヤは答えています。そこで、神さまはエリヤに仕事(神さまのご計画)を告げます。

 それが15-18節です。

19:15 主は彼に言われた、「あなたの道を帰って行って、ダマスコの荒野におもむき、ダマスコに着いて、ハザエルに油を注ぎ、スリヤの王としなさい。
19:16 またニムシの子エヒウに油を注いでイスラエルの王としなさい。またアベルメホラのシャパテの子エリシャに油を注いで、あなたに代って預言者としなさい。
19:17 ハザエルのつるぎをのがれる者をエヒウが殺し、エヒウのつるぎをのがれる者をエリシャが殺すであろう。
19:18 また、わたしはイスラエルのうちに七千人を残すであろう。皆バアルにひざをかがめず、それに口づけしない者である」。

 15節のスリヤと言うのはアラムのことです。これらの具体的な指示は、エリヤにとってかつてない大きな仕事です。それはスリヤ(アラム)王、イスラエル王、エリシャの任命。
 エリヤが命を狙われる恐れの中から立ち上がるとすれば、神さまの具体的なミッションを告げられることです。しかし、そのミッションは、さらに大きなリスクある任務です。また、その任務の内容は、国際情勢を動かすものです。

 神さまのこれらの目的は、イスラエルに、主である神さまに仕える者を残すということです。そこで問題なのはアハブやイゼベルの存在です。彼らが回心しなければ滅びてもらうしかないのです。
 順序としてはアラム王ハザエルがアハブ王を倒し、生き残った者たちをエヒウが倒し、更に生き残った者たちをエリシャが倒すということです。エリヤにとって危険なミッションですが残される7千人は貴重であり大きな励ましとなりました。
 エリヤは独りだと思っていましたが、神さまは、残された者を七千人も用意されておられました。

3、エリシャとの出会い
 19章19節を読みます。

19:19 さてエリヤはそこを去って行って、シャパテの子エリシャに会った。彼は十二くびきの牛を前に行かせ、自分は十二番目のくびきと共にいて耕していた。エリヤは彼のかたわらを通り過ぎて外套を彼の上にかけた。

 神さまにミッションを告げられたエリヤは気力・体力が充実しているようです。早速エリシャに会いに行っています。牛を使って農作業しているエリシャに外套(マント)をエリシャに掛けました。おそらく、この時に油注ぎも行ったのでしょう。サムエル記上28章14節を見ますと、当時、外套(マント)の着用は、預言者にとって特徴的な恰好であったようです。

19:20 エリシャは牛を捨て、エリヤのあとに走ってきて言った、「わたしの父母に口づけさせてください。そして後あなたに従いましょう」。エリヤは彼に言った、「行ってきなさい。わたしはあなたに何をしましたか」。
19:21 エリシャは彼を離れて帰り、ひとくびきの牛を取って殺し、牛のくびきを燃やしてその肉を煮、それを民に与えて食べさせ、立って行ってエリヤに従い、彼に仕えた。

 この箇所のエリヤとエリシャのやり取りの理解は難しいところですが、前提はこの2人には、神さまの民であるということです。さらに外套(マント)を掛けられたエリシャは神さまの預言者になると言うことです。エリヤの後継者です。ということは、20節の《わたしはあなたに何をしましたか」。》の意味は、「私があなたを預言者とするのではない、主の決めたことだから、私は指図するわけにはいかないよ」と、意味を読むことができます。家族とのお別れと民との食事は、エリシャが預言者として自覚し、これからの生涯を見通していたのでしょう。そして、エリシャは、エリヤに仕えたのでした。

2023年5月28日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正


フレデリック・レイトン 「荒野のエリヤ」 (1877-1878)

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