ショートメッセージ【エリヤ⑥】
列王紀上22章-列王紀下1章
(アハブ王の最期とアハズヤ王の最期)
1、アハブ王の最期(ひとりの人が何心なく弓をひいて)
2、イスラエルに神がないためなのか。
1、アハブ王の最期(ひとりの人が何心なく弓をひいて)
北イスラエル王国とスリヤとの戦争がなく3年経った時に、ユダ王国の王ヨシャパテが北イスラエルの王アハブの所へやってきます。そこで、アハブは、ユダ王国の王ヨシャパテにスリヤの手から“ラモテ・ギレアデ”の地を奪い返すために《「ラモテ・ギレアデで戦うためにわたしと一緒に行かれませんか」。》(22:4)参戦を依頼します。するとヨシャパテは了承します。しかし5節で条件を伝えます。
22:5 ヨシャパテはまたイスラエルの王に言った、「まず、主の言葉を伺いなさい」。
そこでアハブは四百人の預言者を集めて、ラモテ・ギレアデで戦うことを問いました。預言者たちは皆揃って《「上っていきなさい。主はそれを王の手にわたされるでしょう」。》(22:6)と答えました。この四百人もの預言者たちは、アハブの「御用預言者」と言えます。そして、ヨシャパテは《主の言葉を伺いなさい》と言っているのに、《上っていきなさい。主はそれを王の手にわたされるでしょう》ここで、ヨシャパテの聞きたい主の言葉と四百人の預言者の言っていることの相違を見ます。ヨシャパテは、預言者達に疑念を抱いたのでしょう。次に《ヨシャパテは言った、「ここには、われわれの問うべき主の預言者がほかにいませんか」。》(22:7)と他に預言者の存在を問います。8節を見ますと、
22:8 イスラエルの王はヨシャパテに言った、「われわれが主に問うことのできる人が、まだひとりいます。イムラの子ミカヤです。彼はわたしについて良い事を預言せず、ただ悪い事だけを預言するので、わたしは彼を憎んでいます」。ヨシャパテは言った、「王よ、そう言わないでください」。
アハブが自己中心的な人物であることが書かれています。自分の考えは間違いなく、自分の預言者(偽)たちと常に一致するはずとの前提があります。ですから、預言者(真)ミカヤの預言は偽りであると思い込んでいます。
アハブは、預言者ミカヤを呼びました。そして、10-28節では、簡単にまとめますとアハブにとってミカヤの預言は、アハブに降るわざわいを告げたのです。怒ったアハブは、このミカヤを獄屋に入れ、自分が戦いから無事に戻って来るまで、わずかなパンと水を与えるように命じました。それに対して、ミカヤはアハズに次のように答えました。《…「もしあなたが勝利を得て帰ってこられるならば、主がわたしによって語られなかったのです」。…》(22:28)そして戦いがはじまります。。
34-35節を見ます。
22:34 しかし、ひとりの人が何心なく弓をひいて、イスラエルの王の胸当と草摺の間を射たので、彼はその戦車の御者に言った、「わたしは傷を受けた。戦車をめぐらして、わたしを戦場から運び出せ」。
22:35 その日戦いは激しくなった。王は戦車の中にささえられて立ち、スリヤびとにむかっていたが、ついに、夕暮になって死んだ。傷の血は戦車の底に流れた。
34節のひとりの人の弓をひいた《何心なく》לְתֻמּ֔וֹ(レトゥモー)ですが、前置詞の「レ」を除いて、語根であるתֻמּ֔וֹ(トーム)を辞書で調べますと、「完全性」「純真」「満たす」「威厳」と言う意味が含まれています。ですから、《ひとりの人が何心なく弓をひいて、イスラエルの王の胸当と草摺の間を射た…》のは、このひとりの人の背後に神さまのお働きがあり、威厳を持った方によって完全な出来事が満たされた(行われた)。と言えます。
預言者ミカヤがアハブ王に告げた通りになりました。
2、イスラエルに神がないためなのか。
列王記22章40節を読みます。
22:40 こうしてアハブはその先祖と共に眠って、その子アハジヤが代って王となった。
アハブ王は死に、その息子アハジヤが王となりました。
次に列王記下1章2節を見ます。
1:2 さてアハジヤはサマリヤにある高殿のらんかんから落ちて病気になったので、死者をつかわし、「行ってエクロンの神バアル・ゼブブに、この病気がなおるかどうかを尋ねよ」と命じた。
このアハジヤの病気は、在位2年によるものです。アハブ王の息子アハジヤも、イスラエルの神さまに、自分の病気のことを聞こうとはしていません。
(“バアル・ゼブブ”は、“バアル”とは直接関係ありません)
続けて3-4節を読みます。
1:3 時に、主の使はテシベびとエリヤに言った、「立って、上って行き、サマリヤの王の使者に会って言いなさい、『あなたがたがエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようとして行くのは、イスラエルに神がないためか』。
1:4 それゆえ主はこう仰せられる、『あなたは、登った寝台から降りることなく、必ず死ぬであろう』」。そこでエリヤは上って行った。
エルサレム(南王国ユダ)から分かれ独自の宗教政策をとり、不安定な北イスラエル王国に対し、神さまは、あわれみ深くイスラエルの神であり続けようとのご意志を示されています。
1:5 使者たちがアハジヤのもとに帰ってきたので、アハジヤは彼らに言った、「なぜ帰ってきたのか」。
1:6 彼らは言った、「ひとりの人が上ってきて、われわれに会って言いました、『おまえたちをつかわした王の所へ帰って言いなさい。主はこう仰せられる、あなたがエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようとして人をつかわすのは、イスラエルに神がないためなのか。それゆえあなたは、登った寝台から降りることなく、必ず死ぬであろう』」。
1:7 アハジヤは彼らに言った、「上ってきて、あなたがたに会って、これらの事を告げた人はどんな人であったか」。
1:8 彼らは答えた、「その人は毛ごろもを着て、腰に皮の帯を締めていました」。彼は言った、「その人はテシべびとエリヤだ」。
アハジヤにとって、神々に伺いを立てるのは常々行われていたと考えられます。そのアハジヤの考えと行いを否定するイスラエルの神さまは、病気で苦しむアハズヤに恐怖を与え、また、多少の望みをもたらせます。
エリヤは使者たちに会います。そこで、使者たちへ神さまが告げられたことを話します。使者たちは事の重大さを報告すべくエクロンに行かずすぐに引き返えしアハジヤにエリヤから告げられたことを報告します。アハジヤは使者たちから容姿を聞き出すとスグにエリヤだとわかりました。
9-10節を読みます。
1:9 そこで王は五十人の長を、部下の五十人と共にエリヤの所へつかわした。彼がエリヤの所へ上っていくと、エリヤは山の頂にすわっていたので、エリヤに言った、「神の人よ、王があなたに、下って来るようにと言われます」。
1:10 しかしエリヤは五十人の長に答えた、「わたしがもし神の人であるならば、火が天から下って、あなたと部下の五十人とを焼き尽すでしょう」。そのように火が天から下って、彼と部下の五十人とを焼き尽した。
11-12節にアハジヤはまた、五十人の長を遣わしましたが、9-10節と同様に焼き尽くされました。アハジヤは、懲りずにまた、五十人の長を遣わしました。第3の五十人の長は、アハジヤの意向を伝えず懇願しました。その時、主の使いがエリヤに《「彼と共に下りなさい。彼を恐れてはならない」。》(1:16)と告げられ、エリヤは五十人の長と一緒に下って行きました。
1:15b そこでエリヤは立って、彼と共に下り、王のもとへ行って、
1:16 王に言った、「主はこう仰せられます、『あなたはエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようと使者をつかわしたが、それはイスラエルに、その言葉を求むべき神がないためであるか。それゆえあなたは、登った寝台から降りることなく、必ず死ぬであろう』」。
1:17a 彼はエリヤが言った主の言葉のとおりに死んだ…、
ここで不思議に思うのは、なぜ、アハジヤは3回も五十人の長を遣わしたのか。
理由は書かれていませんが、16節を見ますとアハジヤの抵抗がありませんから、おそらく癒される望みをもって迎えようとしたと考えられます。
アハジヤは多くの部下に犠牲者を出しました。三番目の五十人の長が、平身低頭にエリヤにお願いしてもアハジヤは変わりませんでした。本来ならば、アハジヤ自らエリヤの所へ行き、神さまのお言葉を聞く姿勢を示せば、神さまは何らかの憐れみを与えたと言えます。
2023年6月11日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正
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