ショートメッセージ【家づかさオバデヤ】
列王紀上18章1-16節
(オバデヤの信仰)
1、歴史の背景とオバデヤという人物
2、オバデヤの試練
3、神さまを信頼する者は、神さまのお役に立てる者
1、歴史の背景とオバデヤという人物
聖書は、エリヤのように多くの章にわたって何度も登場する人と、一度だけ登場するような人がいます。
列王紀上記18章では、エリヤが大勢のバアルの預言者と戦った記事があり、大変有名な箇所です。そこで、前半にオバデヤという人物が出てきます。一度や二度の働きだけ出てくる人物の中には、私たちには考えられない素晴らしい信仰者が存在します。オバデヤは、まさにそのような人物の一人です。
そのオバデヤは、列王記上18章3節で《家づかさオバデヤ》と称されています。ここでの家づかさの意味は、王宮の長官です。
時はBC(紀元前)930年ごろ、イスラエルの王国は、北王国イスラエルと南王国ユダに分かれました。原因はソロモン王の不品行と偶像礼拝であることが列王紀上11章1-11節に書かれています。
列王紀上18章は北王国イスラエルの話です。北王国には善い王様がいないことで有名ですが、特にアハブ王は妻イゼベルとともに悪名高いことはエリヤ・シリーズで見てきました。そして、妻イゼベルは、バアルという偶像の神を熱烈に信仰する人でした。
さて、エリヤは3年間雨を降らさないよう神さまに祈り、雨が降らなくなりました。その後、3年目に神さまがアハブに会うように伝えました。
18章2節をご覧ください。
18:2 エリヤはその身をアハブに示そうとして行った。その時、サマリヤにききんが激しかった。
雨が降らないため、飢饉が激しかったと書いてあります。続けて5節を読みます。
18:5 アハブはオバデヤに言った、「国中のすべての水の源と、すべての川に行ってみるがよい。馬と騾馬を生かしておくための草があるかもしれない。そうすれば、われわれは家畜をいくぶんでも失わずにすむであろう」。
アハブ王は自分の馬やラバを生かすために草を一緒に探すように命じています。民が苦しんでいる状況の中で、自分の財産である馬やラバに気を留めています。また、オバデヤと2人だけで探しに行くほどに、自分の財産を守ることに心が縛られています。この記事だけでも大変な悪い王と言えるでしょう。その時に水や草を探すように命じられたのがオバデヤです。ちなみに、このオバデヤはオバデヤ書のオバデヤではありません。
オバデヤは王宮の働き人で家づかさ(長官)でした。しかも、王とともに行動していることから、アハブ王にとって信頼のある人物だとわかります。
18章3-4節を読みます。
18:3 アハブは家づかさオバデヤを召した。(オバデヤは深く主を恐れる人で、
18:4 イゼベルが主の預言者を断ち滅ぼした時、オバデヤは百人の預言者を救い出して五十人ずつほら穴に隠し、パンと水をもって彼らを養った)。
《オバデヤは深く主を恐れる人》と評価されています。100人もの預言者を救って、内密に養っていたのはそのためです。悪い王に仕えながらも、主である神さまの前に正しいことをしていたということです。
深く主を恐れるのは、どのような時でしょうか。何か試練や、苦しみの後にそのような信仰になることは理解できます。
オバデヤは、アハブという神さまの教え(律法)を守らない悪い王様に仕え、信仰との両立を図るという経験を通して、主なる神さまを深く恐れる信仰を抱いているのでしょう。
今日ならば、どのような会社に勤めているとしても、懸命に仕事をし、そして主の前に正しい信仰生活を送ることに通じるのではないでしょうか。また、困難な中に会っても、祈りと御言葉の知恵によって生活することの大切さを教えてくれているのではないでしょうか。
2、オバデヤの試練
そのようなオバデヤも究極の試練の時がやってきます。18章7-9節です。
18:7 オバデヤが道を進んでいた時、エリヤが彼に会った。彼はエリヤを認めて伏して言った、「わが主エリヤよ、あなたはここにおられるのですか」。
18:8 エリヤは彼に言った、「そうです。行って、あなたの主人に、エリヤはここにいると告げなさい」。
18:9 彼は言った、「わたしにどんな罪があって、あなたはしもべをアハブの手にわたして殺そうとされるのですか。
王と対峙するエリヤに会っていたことが分かれば、オバデヤの命は当然危機に陥ります。
彼は100人もの預言者を助けた人物です。しかし、こと自分の命が奪われるかもしれないとなると戸惑います。どのような信仰者であってもそれは同じでしょう。深く主を恐れていたオバデヤであっても、恐れを隠し切れないのです。
そのようなオバデヤにエリヤは伝えます18章15節です。
18:15 エリヤは言った、「わたしの仕える万軍の主は生きておられる。わたしは必ず、きょう、わたしの身を彼に示すであろう」。
それに対してオバデヤはどうしたでしょうか。18章16節です。
18:16 オバデヤは行ってアハブに会い、彼に告げたので、アハブはエリヤに会おうとして行った。
素直にエリヤの言葉を神さまからの言葉と信じ、殺されるかもしれないという恐怖に打ち勝ち、命じられるままに行動したのでした。
例えば、私のように社会的な知恵や人脈、力がない牧師が、ピンチに陥った時、《あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。》(新約聖書 ヤコブの手紙1章5節)という御言葉を見て、知恵が与えられると、直ちに平安になるようなことと同じです。普段から聖書の御言葉を読んで、その御言葉と文脈を理解して信頼することの大切さを教えられるのです。
3、神さまを信頼する者は、神さまのお役に立てる者
神さまに用いられるのは、聖書に書かれたエリヤやパウロのような人だけではありません。むしろ、神さまの御言葉を信頼し、無名の圧倒的多数の信仰者たちによって、信仰が継承されてきたのです。どの時代でも変わらないことは、神さまは、私たちの信頼に応えてくださっている事実です。ですから、私たちも、神さまを信頼すれば、神さまのお役に立てるということです。
新約聖書のローマ人への手紙1章17節を見ます。
1:17 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。
神さまの御言葉によって養われ、日常生活を送る者には、危機や試練の時に、揺るがされることがない神さまからの信頼を受け取ることができるということです。
全く無名の神さまを信頼する者たちによって、福音は広がっていきました。そして、この日本にまで福音が伝わり、私たちはその恵みをいただいたのです。この神さまの御言葉を機会あるごとに蓄えて、日々の生活の中で伝えられるものでありたいと祈るばかりです。
2023年6月25日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治
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教会は、人がこの世に生まれた時から天に召される時まで、すべての時が神の導きと祝福の内にあることを実感するところです。そして、聖書は人生の処方箋とも言えます。人生に行き詰まりを感じることや、疲れをおぼえる時は、先ず休むことです。明日のことは、明日にならないとわかりません。明日に備えてグッスリ眠るほうが健康的です。
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