素直に読む【ヨハネの黙示録_4】

黙示録2章1-7節
「エペソにある教会の御使に」

〈はじめに〉
 前回で1章が終わり、今回から2章になります。1章では、イエス・キリストが今にも来ようとされていること、また、教会の真ん中におられることを見ました。

 2章と3章では、1章に登場した7つの教会、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤの各教会の御使い宛ての7つの手紙が納められています。

 アジア州の首都はペルガモにありましたが、エペソは事実上この地方最大の都市で、富と繁栄を象徴する町でした。また、エペソの港はアジアで最大の港で、アジアに来るものは必ずエペソを通ると言われていました。ほぼすべての旅行者、貿易商が、エペソに集まり、ローマへの入り口ともなっていました。

 また、エペソは自由都市としてローマ帝国から自治が認められていました。
 宗教面のエペソは、女神アルテミス礼拝の中心地で、大きな神殿がありました。さらに、ローマ皇帝クラウディウスとネロの像を祭った神殿もありました。
 アルテミスの神殿には、女性の祭司が数百人いて、神聖な娼婦とされていました。また、神殿内は、法の適用が免れていたので、犯罪と犯罪者の巣ともなっていました。

 異教と迷信、不法がはびこり、お金が飛び交うこの町は、キリスト教伝道に全く不毛の地のように思われますが、パウロは、どの都市よりもエペソに長く滞在し、テモテもエペソに深くかかわり、アポロや、アクラとプリスキラがいて、神さまは、この地にキリスト教を確実に根付かせていました。

 現在のエペソは、当時の面影は全くなく、海岸線に港もなく、かつての港は沼地になっています。

〈本文〉
 ヨハネの黙示録2章1節を読みます。

2:1 エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。

 ここで、教会にではなく、《教会の御使》に書きおくりなさい。と言われています。1章20節で、星は、教会の御使い、燭台は教会であること。そして、1つの教会に1人の天使がついていて、教会を見守り、イエス様との間をとりなしておられ、その天使をイエス様が、力ある右の手でしっかりと支え持っておられる。教会はそのようにして見守られているとお話ししました。

 多くの教会は、それぞれ咎められる問題を抱えていましたから、その教会宛てでは、この手紙の扱いが確実になされない部分があったのかもしれません。
 御使いを通して、神さまの言葉として、しっかりと受け止められるようにということなのでしょう。また、御使いを通して教会全体に確実にこのイエス様からの御言葉が拡散し、受け止められるようにということでもあったでしょう。

 教会の天使は、確実にイエス様の方を向いているということ。またイエス様も、そんな教会にいつもその眼差しを向けてくださっていることが、この記載によってもよくわかります。
 これはエペソの教会に限らず、他の教会に対しても変わることはなく、どんなに厳しい言葉が向けられていたとしても、イエス様の祝福の有る眼差しの中に置かれていること。それぞれの教会に御使いを遣わされて、御使いがその教会を確実に支えているということでしょう。

 2章1節の《『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者》は、イエス様のことです。持つというのは、完全に手の中におさめて持つ(バークレーp81)という意味であり、あらためて、イエス様が、教会の御使いを手中におさめ、その御使いを通して教会を支えておられる。教会をいつも見てくださっている。その教会の真ん中に立っておらえる。ということが繰り返され強調されています。

 つまり、教会をその手におさめ、守っておられる。いつもその眼差しで見てくださっているイエス様が真ん中におられるのだということです。
 2章2-3節を読みます。

2:2 わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。
2:3 あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。

 イエス様はここで、エペソの教会の労苦と忍耐を称賛されています。彼らが、悪い者たちを試し、にせ者であることを見抜いたからです。

 悪い者たちには、使徒と自称しつつ、律法主義で縛ろうとするユダヤ人、教会の善意を利用する教会を渡り歩く物もらい、お金をくすねる詐欺師、異端の者たちがいたようです。
 しかし、エペソの教会は、忍耐をもって、使徒たちの教え、正統的な信仰を守り、熱心に働いて、弱り果てることがなかったのです。彼らは、神さまのお言葉に従い、また、教えを固く守っていました。しかし、この時突然非難の声が語られます。
 2章4-節を読みます。

2:4 しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
2:5 そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。

 エペソの教会の人々の行いは立派でした。偽善を見抜く技があり、労苦があり、忍耐があり、熱心がありました。しかし、そこに愛がなかったのです。
 言い方を変えれば、偽善者を試す技や、労苦や忍耐や熱心は、愛がなくても成立するということでしょう。

 パリサイ人たちも律法を守る行いは立派でした。しかし、イエス様はそこに神さまへの愛が、また隣人への愛がないことを指摘されていました。
 エペソの教会の人たちは、正統な信仰にこだわり、にせ者を試し、熱心に働きました。しかし、そこには、愛がなかった。愛の交わりに乏しくなってしまっているとイエス様は指摘されたのです。
 コリント人への第一の手紙13章1-3節で、パウロはこう言っています。

13:1 たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
13:2 たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
13:3 たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。

 愛がなければ教会ではないということでしょう。ですから、イエス様も、《もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。》と言われたのでしょう。その《燭台》というのは教会でしたから、教会を無くしましょう。と厳しく言われているのです。
 2章6節を読みます。

2:6 しかし、こういうことはある。あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んでおり、わたしもそれを憎んでいる。

 《ニコライ宗の人々のわざ》、これについては、詳しい記録はないようです。当時の人たちには、ニコライ宗というだけで「あぁ、あの」と分かったのだと思われます。
 偶像にささげた物を食べ、不品行を奨励している教えとの理解で良いと思います。世の習慣に従うことを好しとして、肉体は汚されてもそれは、関係ないとする考え方でした。

 エペソは、異教と迷信、不法がはびこり、お金が飛び交う町でしたから、この教えに傾く危険は常にありました。
 しかし、そのような環境にありながら、そうならなかったエペソの教会をイエス様は、誇らしく思っておられるようです。

 これは、私たちにも非常に良い教訓です。
 この世にありながら、この世の悪い慣習や環境と境界線をはっきりと保つことの大切さは、今日でも変わりのないところです。
 2章7節を読みます。

2:7 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。

 イエス様からのお勧めですが、《諸教会》に語られています。エペソの教会だけが、聞けばよいのではない。すべての教会が聞く耳を持って聞きなさいと言われています。

 ここでの勝利を得る者とは、御言葉に照らして、偽者を見抜き、正しいことを続けながらも、キリストの愛のうちから離れないでいる者。また、日常生活の中に、当たり前のように溶け込んでやってくる、世の罪、不品行、サタンの誘惑に流されない者ということでしょう。

 ニコライ宗の者たちは、みだらな祭りや、偶像にささげられた食物で、エペソの兄弟姉妹たちを誘惑したのでしょう。しかし勝利者には、それに勝るすばらしい食物が《いのちの木の実》が用意され、それを食べることが許されるとイエス様は言われています。

〈今回の学び〉
1、愛が失われていないかをいつも吟味しておく必要があるということ
 まず、2章1節のこの御言葉です。

2:1 エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。

 これは、イエス様が、教会の真ん中に立ち、御使を通して教会を手の中に治めておられる様子とお話ししました。そして、イエス様は、教会をいつも見守り、愛してくださっています。

 この2章1節の書き出しは、まず、それを覚えなさいと私たちに言われています。
 このキリストの呼び名、お姿の描写は、それぞれの教会で異なります。その教会に、それぞれ意味ある描写となっています。エペソの教会には、キリストが愛をもって教会を支えている姿が描かれています。
 エペソ人への手紙5章24-27節を読みます。

5:24 そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。
5:25 夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。
5:26 キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
5:27 また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。

 イエス様は、教会を花嫁として迎えるために、私たちを妻とするために愛してくださっています。手の中で大切に保ってくださっているのです。
 ですから、私たちは、花嫁として、妻として、その愛に答えるべく、愛をもってイエス様に仕えて行かなければなりません。

 エペソの教会の兄弟姉妹は、偽者をためし、人を批判的に見て、追放を繰り返すことに熱心でした。初めは追放する人たちへの愛があったのでしょう。その人たちが間違いに気付いて、教会にまた戻って来てくださるようにと祈ったでしょう。でも、だんだん、教会を守ることに必死になって、自分たちの教会という意識が強くなってしまった。

 イエス様の教会、イエス様が愛してくださっている教会ということに目が向かなくなってしまった。そこに愛が欠け、兄弟姉妹の愛の交わりに乏しくなってしまっていた。彼らが悔い改めて戻ることを願うのではなく、教会を守れてよかったということで満足してしまったのでしょう。

 これは、私たちにも起こり得ます。礼拝している。献金を献げている。祈り会にも出ている。それは、愛がなくてもできることだと主は言われます。イエス様が愛してくださっている教会で、いつもその愛に応えるべく愛をもってお仕えできているか、自分の都合のための愛ではなく、イエス様への愛、隣人への愛に欠けた所はないだろうか。イエス様の十字架の愛をはじめに覚えた時と比べてどうだろうか。吟味する必要を教えられています。

2、吟味した結果、悔い改めるべきところがあったらどうするか
 答えは、ここまで来た道を戻ることです。
 2章5節の前半部を読みます。

2:5a そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。

(1)思い起こしなさい
 思い起こすことは、もと居たところに帰る手だてです。この間までの証し会、日記や、救われた当時の証しを、読み返すことも有効かもしれません。

(2)悔い改め
 間違いを認めて、悲しむこと。そして言い訳をせず、人のせいにせず、神さまから離れるのではなく神さまにすがり、ゴメンナサイ(悪かったとわびる)をすること。主は喜んで受け止めて下さり、赦してくださいます。

(3)わざを行いなさい
 ①神さまに、罪人の私をあわれんでくださいと自分の情けないところや弱いところを祈ることです。
 ②神さまに、真に悔い改めた者は、同じ罪を犯さない。そして、神さまが、悔い改めにふさわしい実を結ばせてくださる。イエス様に委ねてすすむことです。

〈最後に〉
 エペソの教会に言われたことは、すでにイエス様がペテロに言われていたことです。

 イエス様を3度「知らない」と言って失敗し、失意の中にあったペテロに、イエス様は、私の愛を覚えて、愛しなさいと言われました。
 ここにペテロの悔い改めがありました。恐さからイエス様を否定しても、やさしく見つめてくださったイエス様の目を思い起こしていたでしょう。そして悲しみました。
 そう、悔い改めたのです。そして、そんな自分を憐れんでください。と復活のイエス様の前に出ました。
 イエス様の愛してくださった愛で、愛することを決意したペテロに、イエス様はこう言われました。
 ヨハネによる福音書21章22節とヨハネの第二の手紙1章6節を読みます。

 ヨハネによる福音書
21:22 イエスは彼に言われた、「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか。あなたは、わたしに従ってきなさい」。

 ヨハネの第二の手紙
1:6 父の戒めどおりに歩くことが、すなわち、愛であり、あなたがたが初めから聞いてきたとおりに愛のうちを歩くことが、すなわち、戒めなのである。

 今日の箇所で、エペソの教会への警告の後で、ニコライ宗についてイエス様が言われたのは、愛を覚えて、悔い改めたうえで、これまで通りに戒めをまもり、ニコライ宗とは分離してしっかりやりなさい。と、言われているのでしょう。
 愛することは従うこと、従うことは愛すること。まず、愛をもって従いなさいとイエス様は教えておられます。

 今日のところ、エペソ教会へのすすめを一言でいえば、悔い改めたパウロになりなさい。ユダになってはいけません。ということでしょう。

2023年9月22日
尚徳牧師の素直に読む【ヨハネの黙示録_4】
タイトル:「エペソにある教会の御使に」
牧師:香川尚徳