ショートメッセージ【エステル②】

エステル記2章5-23節
(働く神の御手に応えて)

1、モルデカイとエステル
2、神の導きに応えて
3、神にある深い絆
4、危機を2人で乗り越えて

1、モルデカイとエステル
 2章5-6節を読みます。

2:5 さて首都スサにひとりのユダヤ人がいた。名をモルデカイといい、キシのひこ、シメイの孫、ヤイルの子で、ベニヤミンびとであった。
2:6 彼はバビロンの王ネブカデネザルが捕えていったユダの王エコニヤと共に捕えられていった捕虜のひとりで、エルサレムから捕え移された者である。

 ここでは、モルデカイという人の紹介をしています。
 ユダヤ人として、確かな血筋の人物であるということです。これは推論に過ぎませんが、同時に、ここに書かれているモルデカイの先祖たちは一目置かれる人物たちだったのかもしれませんね。
 そして彼には、養女がいました。それがエステルと呼ばれるハダサです。
 2章7節を読みます。

2:7 彼はそのおじの娘ハダッサすなわちエステルを養い育てた。彼女には父も母もなかったからである。このおとめは美しく、かわいらしかったが、その父母の死後、モルデカイは彼女を引きとって自分の娘としたのである。

 容姿が優れていたことが書かれています。これは、後に王妃候補に選ばれるほどの美しさをもっていたことを読者に教えるためです。そして注目点は、このモルデカイという神さまを信頼する人に教え育てられていたということでしょう。 
 続けて2章8節を読みます。

2:8 王の命令と詔が伝えられ、多くのおとめが首都スサに集められて、ヘガイの管理のもとにおかれたとき、エステルもまた王宮に携え行かれ、婦人をつかさどるヘガイの管理のもとにおかれた。

 エステルは美しいばかりに、連れて行かれたくなかったと思われる異邦の王の管轄下に入っていくことになります。

 考え方によってはこの時代の女性にとっては祝福の一つと考えることもできますが、元捕囚民のユダヤ人とすれば異邦の王のもとに置かれるのは喜ばしいとは言えないでしょう。もちろん多くの危険も伴うかもしれません。

 モルデカイの気持ちを考えると、エステルが王のもとに連れていかれてから、時代や政治体制が変わり文化や技術が発展しても、決して人生は自分の思うようにはいかないことが教えられます。
 モルデカイとエステルは、その中で挫けることなく、懸命に生きることを教えてくれるのです。

2、神の導きに応えて
 2章9節を読みます。

2:9 このおとめはヘガイの心にかなって、そのいつくしみを得た。すなわちヘガイはすみやかに彼女に化粧の品々および食物の分け前を与え、また宮中から七人のすぐれた侍女を選んで彼女に付き添わせ、彼女とその侍女たちを婦人の居室のうちの最も良い所に移した。

 このエステル記2章は興味深いことに4つ“愛”というニュアンスに近い言葉が使われています。それは旧約聖書に出てくるすべての愛です。作者は、これを巧みに使い分けています。
 その中で、一つポイントになる言葉、口語訳聖書では《いつくしみ》という言葉です。言語では〈ヘセド〉と呼ばれる言葉です。
 通常、この言葉が聖書で使われるときは、神さまとの契約や関係性のない時には、使われない言葉です。
 エステル記には、直接的に神さまのご介入がない書簡ですから、この言葉が使われているときは見えざる神さま御手が働いていることを教えてくれるのです。

 2章9節ではヘガイの心にかなっていますが、それは、エステルの神さまへの信頼に応えて見えざる神さまの御手が働いた結果です。信仰者の人生も、目に見えないだけでこの〈ヘセド〉が働いていることを教えられます。
 しかしその神さまの御手が働いているところは、決して油断のできない異邦の王の近くでした。2章10-11節を見ます。

2:10 エステルは自分の民のことをも、自分の同族のことをも人に知らせなかった。モルデカイがこれを知らすなと彼女に命じたからである。
2:11 モルデカイはエステルの様子および彼女がどうしているかを知ろうと、毎日婦人の居室の庭の前を歩いた。

 いつ、王の気が変わって自分たちが、排除されるかわからないような環境であることは間違いありません。このような中、神さまを信頼し二人三脚で歩んでいく親子の物語が書かれていきます。

3、神にある深い絆
 多くのおとめたちが自分磨きをし、美しさに磨きをかけ、アハシュエロス王のもとに連れていかれました。エステルも同様でした。
 2章15節を読みます

2:15 さてモルデカイのおじアビハイルの娘、すなわちモルデカイが引きとって自分の娘としたエステルが王の所へ行く順番となったが、彼女は婦人をつかさどる王の侍従ヘガイが勧めた物のほか何をも求めなかった。エステルはすべて彼女を見る者に喜ばれた。

 エステルは美しさだけではなく、老若男女問わず、すばらしい関係を築いていたことがわかります。
 賢い女性であったでしょうし、神さまを信頼し、養父モルデカイの言うことをよく聞く人であったことからも理解できます。そのようなエステルをアハシュエロス王は気に入るわけです。
 2章17-18節を読みます。

2:17 王はすべての婦人にまさってエステルを愛したので、彼女はすべての処女にまさって王の前に恵みといつくしみとを得た。王はついに王妃の冠を彼女の頭にいただかせ、ワシテに代って王妃とした。
2:18 そして王は大いなる酒宴を催して、すべての大臣と侍臣をもてなした。エステルの酒宴がこれである。また諸州に免税を行い、王の大きな度量にしたがって贈り物を与えた。

 人は、出会いで変わると言います。
 以前は、派手な宴会の席で王妃を見世物にして自らが失脚させたのですが、今度は、免税し自身の度量で宴会を開いています。生き方そのものが少し変わって見えるのは私だけでしょうか。
 また、ここでも注目する言葉として17節に9節と同じ《いつくしみ〈ヘセド〉》という言葉があります。
 置かれた環境に腐ることなく、神さまを信頼して歩む中に、見えざる手が働いているのです。

 今の時代も神さまは、このように働かれていることを思うとき、神の民にとってどれほど大きな慰めとなることでしょう。
 2章19-20節を読みます。

2:19 二度目に処女たちが集められたとき、モルデカイは王の門にすわっていた。
2:20 エステルはモルデカイが命じたように、まだ自分の同族のことをも自分の民のことをも人に知らせなかった。エステルはモルデカイの言葉に従うこと、彼に養い育てられた時と少しも変らなかった。

 エステルの神と養父に従う姿勢は何も変わっていません。この姿勢こそが彼女の大きな守りであったのです。

4、危機を2人で乗り越えて
 2章21-23節を読みます。

2:21 そのころ、モルデカイが王の門にすわっていた時、王の侍従で、王のへやの戸を守る者のうちのビグタンとテレシのふたりが怒りのあまりアハシュエロス王を殺そうとねらっていたが、
2:22 その事がモルデカイに知れたので、彼はこれを王妃エステルに告げ、エステルはこれをモルデカイの名をもって王に告げた。
2:23 その事が調べられて、それに相違ないことがあらわれたので、彼らふたりは木にかけられた。この事は王の前で日誌の書にかきしるされた。

 王の暗殺が未遂で終わったことが書かれています。
 モルデカイは暗殺情報を、王妃エステルを通して伝えています。そして王妃エステルは、モルデカイの情報であることを伝えています。
 これが、どちらかからの一方的なリークによる情報であるとすれば、もみ消され、始末される可能性があります。しかし、知恵を使って二人三脚で事にあたっています。神さまを信頼し、導かれる中、彼らは知恵を十分に生かして歩みます。

 このことが後に、2人を導くための神さまの大きな〈ヘセド〉であることを知らない中、2人は苦しい中でも懸命に毎日を歩んでいくのです。

2024年1月14日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治

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