ショートメッセージ【エステル④】

エステル記5-6章
(神のいない策士の末路)

1、エステルの信仰と知恵
2、落ちていくハマン
3、神のいない策士の末路

1、エステルの信仰と知恵
 エステル記5章1-2節を読みます。

5:1 三日目にエステルは王妃の服を着、王宮の内庭に入り、王の広間にむかって立った。王は王宮の玉座に座して王宮の入口にむかっていたが、
5:2 王妃エステルが庭に立っているのを見て彼女に恵みを示し、その手にある金の笏をエステルの方に伸ばしたので、エステルは進みよってその笏の頭にさわった。

 この5章1-2節だけ読むと、この時代の何気ない出来事に見えますが、これまでの流れを見てくると、この事はエステルにとって、命を賭けた行動であったことが分かります。

 エステルは、ハダサという名前の捕囚されてきたユダヤ人の子孫です。その美しさから、以前排斥された王妃ワシテに代わり王妃になりました。
 そのような中、養父であるモルデカイが、権力者ハマンを拝さなかったことから難癖をつけられてしまいます。

 ハマンは、モルデカイだけではなく、イスラエルの神さまだけを拝するユダヤ民族もろとも排除する計画を立て、王の命令による法令を勝ち取ったのでした。
 エステルは、王に呼ばれていないにもかかわらず、王の前に現れます。それがどういうことなのかは4章11節に書かれています。

4:11 「王の侍臣および王の諸州の民は皆、男でも女でも、すべて召されないのに内庭にはいって王のもとへ行く者は、必ず殺されなければならないという一つの法律のあることを知っています。ただし王がその者に金の笏を伸べれば生きることができるのです。しかしわたしはこの三十日の間、王のもとへ行くべき召をこうむらないのです」。

 このように大変厳しい法律があったのです。エステルが5章1-2節にある命がけの行動に出た背景には、養父モルデカイの言葉を受け入れ、ユダヤ人を救うという大きな召しを確信したからです。

 前の王妃ワシテは、王の命令を守らなかったことにより追放されてしまいました。ワシテは、おそらく殺されたでしょう。そのことをエステルも知らないわけがありませんから、本当に命を捨てる覚悟だったことがわかります。
 もし王が、金の笏を伸ばして近寄る許しがなければエステルは死んでいたのです。
 王はエステルに話します。5章3節です。

5:3 王は彼女に言った、「王妃エステルよ、何を求めるのか。あなたの願いは何か。国の半ばでもあなたに与えよう」。

 王は、以前の王妃ワシテに示した態度のようにではなく、エステルに好意をもって接していることがわかります。また、王は、以前のように王妃を容姿だけではなく、エステルの人格的な美しさにも好意をもっていたことでしょう。2章15節を見ると、《さてモルデカイのおじアビハイルの娘、すなわちモルデカイが引きとって自分の娘としたエステルが王の所へ行く順番となったが、彼女は婦人をつかさどる王の侍従ヘガイが勧めた物のほか何をも求めなかった。エステルはすべて彼女を見る者に喜ばれた。》と書かれています。

 この時点でエステルは、自分がユダヤ人であることを明かしていません。それでもすべての人から好意を受ける背景には、神さまを信じる民としての人格が備わっていたからでしょう。まさに、モルデカイが言ったように、逆境の中でも神さまに従い、この時のために成長させられてきたエステルから学ぶべきことは注目すべき点です。

2、落ちていくハマン
 エステルは、王の好意にどのように対応していったのでしょうか。5章4-8節を読みます。

5:4 エステルは言った、「もし王がよしとされるならば、きょうわたしが王のために設けた酒宴に、ハマンとご一緒にお臨みください」。
5:5 そこで王は「ハマンを速く連れてきて、エステルの言うようにせよ」と言い、やがて王とハマンはエステルの設けた酒宴に臨んだ。
5:6 酒宴の時、王はエステルに言った、「あなたの求めることは何か。必ず聞かれる。あなたの願いは何か。国の半ばでも聞きとどけられる」。
5:7 エステルは答えて言った、「わたしの求め、わたしの願いはこれです。
5:8 もしわたしが王の目の前に恵みを得、また王がもしわたしの求めを許し、わたしの願いを聞きとどけるのをよしとされるならば、ハマンとご一緒に、あすまた、わたしが設けようとする酒宴に、お臨みください。わたしはあす王のお言葉どおりにいたしましょう」。

 エステルは、すぐにでも「私の民族を救ってください。」と言いたかったことでしょう。しかしエステルは、すぐに手の内を明かしません。
 このときの状況は、あくまでも自分はユダヤ人であり、それを明かすと排斥される対象であることには変わらないからです。慎重にタイミングを計っているのがわかります。

 王は、エステルの願いを聞き入れ、エステル主催の宴会にハマンを呼ぶように伝えます。王妃の主催する宴会に呼ばれることは名誉なことです。エステルは、ハマンの油断を誘うことができると考えたのでしょうか。エステルの思い通りに事が運んでいきます。
 ハマンは、またモルデカイが自分を拝まない様子を見ます。ハマンは、妻から次のように言われます。5章14節です。

5:14 その時、妻ゼレシとすべての友は彼に言った、「高さ五十キュビトの木を立てさせ、あすの朝、モルデカイをその上に掛けるように王に申し上げなさい。そして王と一緒に楽しんでその酒宴においでなさい」。ハマンはこの事をよしとして、その木を立てさせた。

 ハマンは、実力でのし上がった人物ですが、妻をはじめ周りの人物たちの中に良い人材がいなかったようです。もし、「モルデカイやユダヤ人のことは、もう放っておきましょう。」とアドバイスしてくれる人が一人でもいれば状況は変わったのですから。この時点で、この木が自らの身をかけることになるとは微塵も思っていませんでした。

3、神のいない策士の末路
 少し長いですが、6章1-11節を読みます。

6:1 その夜、王は眠ることができなかったので、命じて日々の事をしるした記録の書を持ってこさせ、王の前で読ませたが、
6:2 その中に、モルデカイがかつて王の侍従で、王のへやの戸を守る者のうちのビグタナとテレシのふたりが、アハシュエロス王を殺そうとねらっていることを告げた、としるされているのを見いだした。
6:3 そこで王は言った、「この事のために、どんな栄誉と爵位をモルデカイに与えたか」。王に仕える侍臣たちは言った、「何も彼に与えていません」。
6:4 王は言った、「庭にいるのはだれか」。この時ハマンはモルデカイのために設けた木にモルデカイを掛けることを王に申し上げようと王宮の外庭にはいってきていた。
6:5 王の侍臣たちが「ハマンが庭に立っています」と王に言ったので、王は「ここへ、はいらせよ」と言った。
6:6 やがてハマンがはいって来ると王は言った、「王が栄誉を与えようと思う人にはどうしたらよかろうか」。ハマンは心のうちに言った、「王はわたし以外にだれに栄誉を与えようと思われるだろうか」。
6:7 ハマンは王に言った、「王が栄誉を与えようと思われる人のためには、
6:8 王の着られた衣服を持ってこさせ、また王の乗られた馬、すなわちその頭に王冠をいただいた馬をひいてこさせ、
6:9 その衣服と馬とを王の最も尊い大臣のひとりの手にわたして、王が栄誉を与えようと思われる人にその衣服を着させ、またその人を馬に乗せ、町の広場を導いて通らせ、『王が栄誉を与えようと思う人にはこうするのだ』とその前に呼ばわらせなさい」。
6:10 それで王はハマンに言った、「急いであなたが言ったように、その衣服と馬とを取り寄せ、王の門に座しているユダヤ人モルデカイにそうしなさい。あなたが言ったことを一つも欠いてはならない」。
6:11 そこでハマンは衣服と馬とを取り寄せ、モルデカイにその衣服を着せ、彼を馬に乗せて町の広場を通らせ、その前に呼ばわって、「王が栄誉を与えようと思う人にはこうするのだ」と言った。

 ハマンは優秀な人です。これまで多くの戦績や実績を積んできたことでしょう。そのような中、このモルデカイという人物のことは上手くいきません。
 歴史は、神さまの導きの中で動いています。その時代に、どれだけ優れた知恵や力があっても、神さまのご計画には及ばないことが教えられます。
 ハマンとモルデカイの違いは、究極的にはこれだけなのです。一見、苦しい状況や前が見えなくなる状況の中であっても、聖書に書かれている神さまを信頼する者は、失望に終わらないことが教えられるのです。最後にハマンの側近や妻ゼレシの発言を見て終わります。
 6書13節です。

6:13 そしてハマンは自分の身に起った事をことごとくその妻ゼレシと友だちに告げた。するとその知者たちおよび妻ゼレシは彼に言った、「あのモルデカイ、すなわちあなたがその人の前に敗れ始めた者が、もしユダヤ人の子孫であるならば、あなたは彼に勝つことはできない。必ず彼の前に敗れるでしょう」。

2024年1月28日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治

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