ショートメッセージ【エステル⑤】

エステル記7-8章
(努力すること、ゆだねること)

1、ハマンの最後
2、開かれる道
3、努力すること、ゆだねること

1、ハマンの最後
 7章1-2節を読みます。

7:1 王とハマンは王妃エステルの酒宴に臨んだ。
7:2 このふつか目の酒宴に王はまたエステルに言った、「王妃エステルよ、あなたの求めることは何か。必ず聞かれる。あなたの願いは何か。国の半ばでも聞きとどけられる」。

 王が、このようにエステルに話すのは3回目です。
 エステルは王から、国の半分も与えると言われています。
 以前の王は、このような人物ではありませんでした。前王妃ワシテは自分の言うことを聞かないので追放しました。
 エステルは法令を守らず、王に会いに来たにもかかわらず、許され、それだけではなく、命を賭けた来たエステルをねぎらい、何でも言うことを聞いてあげるというのです。

 エステルの神さまへの信頼は、苦難な人生を支え、他の人に影響を与えるほどの人格者へと成長していきました。王もエステルの容姿だけではなく、その人格をも愛していたことがわかります。エステルは、王から3回も願いをかなえる約束をもらいました。そこで、いよいよ、その願いを話すことになります。7章3-7節です。

7:3 王妃エステルは答えて言った、「王よ、もしわたしが王の目の前に恵みを得、また王がもしよしとされるならば、わたしの求めにしたがってわたしの命をわたしに与え、またわたしの願いにしたがってわたしの民をわたしに与えてください。
7:4 わたしとわたしの民は売られて滅ぼされ、殺され、絶やされようとしています。もしわたしたちが男女の奴隷として売られただけなら、わたしは黙っていたでしょう。わたしたちの難儀は王の損失とは比較にならないからです」。
7:5 アハシュエロス王は王妃エステルに言った、「そんな事をしようと心にたくらんでいる者はだれか。またどこにいるのか」。
7:6 エステルは言った、「そのあだ、その敵はこの悪いハマンです」。そこでハマンは王と王妃の前に恐れおののいた。
7:7 王は怒って酒宴の席を立ち、宮殿の園へ行ったが、ハマンは残って王妃エステルに命ごいをした。彼は王が自分に害を加えようと定めたのを見たからである。

 エステルは、用心に用心を重ねて、時が満ちたと考えて自分がユダヤ人であること、ハマンが、私心からユダヤ民族を滅ぼそうとし、王に損失を与えようとしていること、そして何より、同胞を助けてほしいことを告げるのです。

 ハマンはこの時、自分はすべてを失ったことを悟りました。
 ハマンは、知恵と実績を兼ね備えた人でした。そして国のNO.2にまで、のし上がりました。
 しかしそのことが、彼を油断させたのでしょうか。私心によって一人のユダヤ人をやっかみ、その民族を滅ぼそうとしたのです。そして、その後、滅ぼすどころか、すべてうまくいかず、結果、自分を滅ぼすこととなったのです。

 もう一方のエステルや養父モルデカイは知恵を用いますが、いざというときは神さまへの信頼を貫き通したのです。

 経験よる人の知恵は、生きるために不可欠ですが、最後、自分の領域を超えたところは、神さまへの信頼が根拠となり、変わらない秩序とでも言いましょうか、根本にあるものが最後には自分の考えと行動を決定させることがわかります。
 ハマンは、モルデカイのために立てた木に、自らが掛かり死ぬこととなったのです。

2、開かれる道
 8章1-2節を読みます。

8:1 その日アハシュエロス王は、ユダヤ人の敵ハマンの家を王妃エステルに与えた。モルデカイは王の前にきた。これはエステルが自分とモルデカイがどんな関係の者であるかを告げたからである。
8:2 王はハマンから取り返した自分の指輪をはずして、モルデカイに与えた。エステルはモルデカイにハマンの家を管理させた。

 ハマンに代わって、王妃の養父モルデカイがNO.2となりました。しかし、これではユダヤ人を救うことができません。エステルは王に懇願します。しかし王が命じた法令を取り消すことはできません。そこで王は、このように言いました。8章7-8節です。

8:7 アハシュエロス王は王妃エステルとユダヤ人モルデカイに言った、「ハマンがユダヤ人を殺そうとしたので、わたしはハマンの家をエステルに与え、またハマンを木に掛けさせた。
8:8 あなたがたは自分たちの思うままに王の名をもってユダヤ人についての書をつくり、王の指輪をもってそれに印を押すがよい。王の名をもって書き、王の指輪をもって印を押した書はだれも取り消すことができない」。

 つまり、法令を変えることはできないが、その法令の効力を失わせる法令は作ることができると言ったのです。王の言葉通り、モルデカイの命令が、王の名によって法令が出されました。8章10-12節です。

8:10 その書はアハシュエロス王の名をもって書かれ、王の指輪をもって印を押し、王の御用馬として、そのうまやに育った早馬に乗る急使によって送られた。
8:11 その中で、王はすべての町にいるユダヤ人に、彼らが相集まって自分たちの生命を保護し、自分たちを襲おうとする諸国、諸州のすべての武装した民を、その妻子もろともに滅ぼし、殺し、絶やし、かつその貨財を奪い取ることを許した。
8:12 ただしこの事をアハシュエロス王の諸州において、十二月すなわちアダルの月の十三日に、一日のうちに行うことを命じた。

 丸一日、ユダヤ人に敵対するものをすべて排除することができるということです。つまり、ユダヤ人は完全に許され、解放されることができたのです。

3、努力すること、ゆだねること
 8章15-17節を読みます。

8:15 モルデカイは青と白の朝服を着、大きな金の冠をいただき、紫色の細布の上着をまとって王の前から出て行った。スサの町中、声をあげて喜んだ。
8:16 ユダヤ人には光と喜びと楽しみと誉があった。
8:17 いずれの州でも、いずれの町でも、すべて王の命令と詔の伝達された所では、ユダヤ人は喜び楽しみ、酒宴を開いてこの日を祝日とした。そしてこの国の民のうち多くの者がユダヤ人となった。これはユダヤ人を恐れる心が彼らのうちに起ったからである。

 ここで喜んだユダヤ人たちは、なぜ喜んだのでしょうか。もちろん、同胞の命が助かったことは大きいことです。しかしそれだけでしょうか。
 エステルにせよ、モルデカイにせよ、捕囚された民の子孫であるユダヤ人たちは苦難な人生を歩まされてきました。エステルは王妃になりたかったわけではないでしょう。

 しかし、養父モルデカイの言葉を守り、神さまへの信頼によって挫けることなく生きてきたのです。彼らは、同胞すべてが殺されるという絶望のところまで追い込まれたのです。しかし、希望を捨てず、最後まで祈り続けました。

 エステルやモルデカイの働きは大きかったのですが、それではなく、ユダヤ人が一致して神さまを信頼し、努力し、祈り続けた結果なのです。その結果、自分たちの命を救うに終わらず、ユダヤ人が自分たちのことをユダヤ人と名乗ることができ、市民権を獲得することにまで至りました。捕囚されてきたときのユダヤ人ではなく、苦難の中、文字通り神の民となった神さまへの信頼が彼らを救ったのです。

 ですから、彼らは命を救われたことももちろんですが、それ以上にこの出来事を通して神さまがおられ、神さまのご栄光が現わされたことを喜んだのです。

 私たちの人生も同様ですね。
 誰も苦難・困難は迎えたくありません。しかし、意味のない苦難や困難は存在しないのです。その時に挫けず、努力し、神さまに委ねていく人は、苦しみを通して、自分でも想像しえない神さまのご栄光を見ることができるのです。

2024年2月4日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治

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