ショートメッセージ【マラキ④】

マラキ書4章、他
(「主の日」、「その日」)

1、マラキ書4章
2、律法の「祝福」と「のろい」
3、律法の「回復」 

 本日で、旧約聖書と旧約聖書に登場する人物は終わりです。そこで今夕は、マラキ書に暗示している「主の日」と「その日」に関連して、イスラエルの民に与えられた律法より「祝福」「のろい」「回復」3つのキーワードで旧約聖書を大まかに概観したいと思います。

1、マラキ書4章
 最初に4章のすべて1-6節まで読みます。

4:1 万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝も残さない。
4:2 しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。
4:3 また、あなたがたは悪人を踏みつけ、わたしが事を行う日に、彼らはあなたがたの足の裏の下にあって、灰のようになると、万軍の主は言われる。
4:4 あなたがたは、わがしもべモーセの律法、すなわちわたしがホレブで、イスラエル全体のために、彼に命じた定めとおきてとを覚えよ。
4:5 見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。
4:6 彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」。

 マラキ書には、「主の日」と書いていませんが「主の日」を思わせる内容が4ヵ所あります。1章11節、3章1-6節、3章16-18節、4章1-6節です。そして、その「日」を言及している箇所があります。3章2節、3章17節、4章1節、4章3節、4章5節です。
 これらは、終末の時を示しているとともに、恵みの時であるキリスト教会時代を意味していると思われるのです。

 「主の日」は、今まで学んできました旧約聖書では、イスラエルの民にとって、主なる神さまの直接的な介入を指す用語です。

 旧約聖書の結び(マラキ書)となる戒めは4章4節《わがしもべモーセの律法、すなわちわたしがホレブで、イスラエル全体のために、彼に命じた定めとおきてとを覚えよ。》です。要約しますと「モーセの律法を覚えなさい」です。

 旧約聖書の結びの預言は、4章5節《主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。》です。
 つまり、預言者エリヤが「主の日」の前に遣わされるのです。エリヤは400年後に「主の日」の裁きを取り上げ言及したバプテスマのヨハネにあって、救い主の訪れを告げる先駆けとなりました(マタイ3章1-12節、11章14節)。

 そして、最後に記された約束は、4章6節前半《彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。…》親と子の愛で、この愛は、新約聖書ルカによる福音書1章17節に引用されています。《彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」。》 預言者エリヤの使命は、信仰者の承継を繋ぐことでした。神さまのご自身の民に対する愛の約束への象徴的な言葉と言えます。(今日でも、信仰深いユダヤ教徒は、過越の祭でエリヤの到来を待つ信仰を表明しているそうです。)

 最後の言葉は、「のろい」で終わっています。4章6節後半《…これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」。》
 イエス様が、地上に肉をもって来られた当時、イスラエルは霊的に、政治的に、経済的に行き詰まり、希望がないと思っていました。

 もし、当時、主イエス様が来られていなかったなら、人類の悲惨な状態は、絶望しかなかったでしょう。
 このようにして、旧約は閉じられたのです。そして、おおよそ400年が経ち、私たちの主イエス・キリストが来て下さいました。

 父なる神さまは、救い主をこの世に遣わされるために、イスラエルの民を選ばれたとも言えます。そのイスラエルの民は、神さまの預言者を通じて何世紀もの間、退けたように、救い主が来られた時、同じやり方で救い主を退け、十字架にまで追いやりました。この時以来、イスラエルの民は、地上をさすらう家なき放浪者となりました。それは古代から現代を通じての悲劇でした。現在のイスラエル建国は、不思議なことであり、驚くべき奇跡なのです。

2、律法の「祝福」と「のろい」
 ここで、時代を遡り、神さまがイスラエルにどのような契約をお与えになられたかを見たいと思います。神さまがモーセを通して、イスラエルに与えられた契約に「祝福」と「のろい」があります。この契約は、契約を遵守した時の約束と、違反した時の罰則が書かれています。それは「祝福」と「のろい」です。
 申命記28章1-2節を読みます。

28:1 もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられるであろう。
28:2 もし、あなたがあなたの神、主の声に聞き従うならば、このもろもろの祝福はあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。

 イスラエルが、神さまのお言葉に聞き従い、神さまの与えられた律法を守って生きるなら、神さまは大いなる「祝福」をイスラエルに注ぐという約束がここで提示されています。しかし、イスラエルが、神さまに聞き従わず、律法を守り行わないで、神さまに背いて生きるなら、契約違反の報いとして、「のろい」が及ぶともう一つの提示がされました。
 それが、申命記28章14-15節に書かれています。

28:14 きょう、わたしが命じるこのすべての言葉を離れて右または左に曲り、他の神々に従い、それに仕えてはならない。
28:15 しかし、あなたの神、主の声に聞き従わず、きょう、わたしが命じるすべての戒めと定めとを守り行わないならば、このもろもろののろいがあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。

 15節のあとの節には、具体的な「のろい」の内容が告げられます。そして、28章36-37節では、イスラエルの民、国家が神さまに従わない結果、どのようになるか。預言的な内容が告げられています。

28:36 主はあなたとあなたが立てた王とを携えて、あなたもあなたの先祖も知らない国に移されるであろう。あなたはそこで木や石で造ったほかの神々に仕えるであろう。
28:37 あなたは主があなたを追いやられるもろもろの民のなかで驚きとなり、ことわざとなり、笑い草となるであろう。

 カナンに定住したイスラエルの民は、次第に律法に背き、カナンの因習に染まり、他の神々の偶像を拝み始めました。その行為は、「姦淫」だと言われるほどの厳しい非難で、イスラエルの神との契約を破る罪でした。

 これまでも学んできました通り、神さまは何度も、預言者たちを遣わし、民を戒め、警告し、悔い改めをさせました。しかし、度重なる契約違反の罪のために、国は、北イスラエル王国と南ユダ王国のふたつに分裂してしまいました。そして、北のイスラエル王国はアッシリアに滅ぼされ、預言者エレミヤは、残ったユダ王国に対して、次のように預言しました。
 エレミヤ書25章8-11節を読みます。

25:8 それゆえ万軍の主はこう仰せられる、あなたがたがわたしの言葉に聞き従わないゆえ、
25:9 見よ、わたしは北の方のすべての種族と、わたしのしもべであるバビロンの王ネブカデレザルを呼び寄せて、この地とその民と、そのまわりの国々を攻め滅ぼさせ、これを忌みきらわれるものとし、人の笑いものとし、永遠のはずかしめとすると、主は言われる。
25:10 またわたしは喜びの声、楽しみの声、花婿の声、花嫁の声、ひきうすの音、ともしびの光を彼らの中に絶えさせる。
25:11 この地はみな滅ぼされて荒れ地となる。そしてその国々は七十年の間バビロンの王に仕える。

 神さまは、律法の契約を履行されたのです。神さまのお言葉に従わなかったイスラエルは、契約違反の罪のためにエルサレムはバビロン軍によって陥落し、ソロモンの第一神殿は破壊され、民はバビロンへ捕囚となって連れて行かれました。

3、律法の「回復」
 この絶望に、神さまはもうひとつの約束を果たされました。「回復」です。
 申命記30章1-4節を読みます。

30:1 わたしがあなたがたの前に述べたこのもろもろの祝福と、のろいの事があなたに臨み、あなたがあなたの神、主に追いやられたもろもろの国民のなかでこの事を心に考えて、
30:2 あなたもあなたの子供も共にあなたの神、主に立ち帰り、わたしが、きょう、命じるすべてのことにおいて、心をつくし、精神をつくして、主の声に聞き従うならば、
30:3 あなたの神、主はあなたを再び栄えさせ、あなたをあわれみ、あなたの神、主はあなたを散らされた国々から再び集められるであろう。
30:4 たといあなたが天のはてに追いやられても、あなたの神、主はそこからあなたを集め、そこからあなたを連れ帰られるであろう。

 バビロンに捕囚されたイスラエルの民は、神さまがイスラエルの度重なる罪のために、律法の「のろい」を下されたことを痛感しました。そして悔い改めて以来、イスラエルの民は、偶像崇拝を完全に止め、信仰を持っていた者たちは、この律法の「回復」に希望を抱き、帰還を持ち望んだのです。
 ダニエル書9章1-2節を読みます。

9:1 メデアびとアハシュエロスの子ダリヨスが、カルデヤびとの王となったその元年、
9:2 すなわちその治世の第一年に、われダニエルは主が預言者エレミヤに臨んで告げられたその言葉により、エルサレムの荒廃の終るまでに経ねばならぬ年の数は七十年であることを、文書によって悟った。

 預言者ダニエルは、エレミヤの預言を知り、エルサレムの荒廃期間が70年間であると解ると、民の犯した罪を告白して悔い改めました。しかし、民が帰りたいと願っても解放されません。

 そこで神さまは、契約を履行するために働かれました。それは、当時の権力者ペルシャ王クロスを用いて勅令を出させ、イスラエルの帰還を可能にさせたのです。クロス王は異邦人でしたが、イスラエルの神さまを敬う王でした。
 歴代志下36章22-23節を読みます。

36:22 ペルシャ王クロスの元年に当り、主はエレミヤの口によって伝えた主の言葉を成就するため、ペルシャ王クロスの霊を感動されたので、王はあまねく国中にふれ示し、またそれを書き示して言った、
36:23 「ペルシャの王クロスはこう言う、『天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに賜わって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。あなたがたのうち、その民である者は皆、その神、主の助けを得て上って行きなさい』」。

 そして、バビロン捕囚から70年後、イスラエルは律法と預言の約束を胸に、イスラエルに帰還し、エルサレムに第二神殿を再建しました。
 また、預言者エゼキエルは、バビロン捕囚の時代に民たちへ告げています。エゼキエル37章24節-28節です。

37:24 わがしもべダビデは彼らの王となる。彼らすべての者のために、ひとりの牧者が立つ。彼らはわがおきてに歩み、わが定めを守って行う。
37:25 彼らはわがしもべヤコブに、わたしが与えた地に住む。これはあなたがたの先祖の住んだ所である。そこに彼らと、その子らと、その子孫とが永遠に住み、わがしもべダビデが、永遠に彼らの君となる。
37:26 わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。これは彼らの永遠の契約となる。わたしは彼らを祝福し、彼らをふやし、わが聖所を永遠に彼らの中に置く。
37:27 わがすみかは彼らと共にあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわが民となる。
37:28 そしてわが聖所が永遠に、彼らのうちにあるようになるとき、諸国民は主なるわたしが、イスラエルを聖別する者であることを悟る」。

 神の民にとって、私たち主イエス・キリストを愛する者にとって、完全な「回復」と言えます。
 
 旧約聖書を読むと、民は幾度も神さまに「祝福」と「回復」を受けましたが背いてきました。教会時代もそうです。教皇の覇権争い、私利私欲、聖職者の堕落、免罪符、信徒不在の過度な神学論争。

 “悔い改め”と“福音”、“救い”に立った教会時代ではない時代がありました。これから先、今の時代を振り返ると現在もそうかもしれません。

 なぜ、このように人びとは神さまの前で、同じことを繰り返すのでしょう。なぜ、短絡的にものごとを結論づけて忍耐できないのでしょう。

 私たちは、神さまと顔を合わせることができているでしょうか。主と向き合い、主と深い交わりをし、主の言われることに従い、自分自身と向き合っているでしょうか。

 他者と比べて幸せ度合いを測り、自分の思い通りに生きようとしていませんか。そして、ご自身に罪の性質が備わってしまっているということを理解していますでしょうか。また、主なる神さまを避けていないでしょうか。それが、マラキの預言のはじまりでした。
 神さまに向き合っていないから、神の愛を疑い、いい加減な「いけにえ」をささげていたのです。

 旧約聖書時代から学べることは、聖書の神さまは目で見ることができませんから、とても難しいのですが多くあります。その見えない神さまはご存在され、私たち人間をしっかり見ておられ、人の営む歴史にご介入されていることです。

 神さまを求める者である私たちは、教会形成において、神さまとの交わりの質を上げることが必要です。主を畏れ、主と交わるというところに、質を上げる鍵があります。主である神さまを本気で愛して、本気で取り組むということです。

2024年4月21日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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※当教会は、信仰の有無や長さに関係なく、
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