ショートメッセージ【イエス・キリスト②】

マタイによる福音書2章、ルカによる福音書2章
(キリストの子ども時代)

1、マタイの視点から
2、ルカの視点から
3、12歳のイエスから

1、マタイの視点から
 マタイによる福音書は、1章1節の《アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。》というイスラエルの歴史に欠かせない二人の人物の記述から始まります。
 前回、お話ししたように、マタイによる福音書は、イスラエルが継承してきた神さまへの信頼と聖書の言葉が成就した点を強調した手紙です。
 その点を重視して、本日のマタイ2章を見てみると、4つ旧約聖書に書かれてある預言が成就したことが書かれています。マタイによる福音書は、預言の成就も重点に置き、神さまとその言葉の真実性を伝える大きな点であることが言えます。
 預言成就の一つ目は、ヘロデ王が祭司長や律法学者にキリストはどこで生まれるのかと聞いた時のことです。マタイによる福音書2章5-6節です。

2:5 彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、
2:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。

 ミカ書5章2節を引用。

 これを聞いて、ヘロデ王はキリストを暗殺しようと考えます。皮肉なことにキリストを排除するどころか、キリストの誕生を擁護することになろうとは思っていなかったでしょう。
 二つ目に、東からきた博士たちが帰った後に主の使いが言ったことばです。
 続いてマタイによる福音書2章13-15節です。

2:13 彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。
2:14 そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、
2:15 ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。

 ホセア書11章1節の引用

 またしてもヘロデ王の行動に対して、旧約聖書の預言が成就しているという事は皮肉ですし、神さまがすべてを支配していることを強調することにもなっているわけです。
 三つ目に、ヘロデ王がベツレヘム付近の2歳以下の男の子を殺す記事についても預言されていたことがわかります。マタイよる福音書2章16-18節です。

2:16 さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。
2:17 こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。
2:18 「叫び泣く大いなる悲しみの声が/ラマで聞えた。ラケルはその子らのためになげいた。子らがもはやいないので、慰められることさえ願わなかった」。

 エレミヤ書31章15節の引用

 悲しい事件ですが、ヘロデ王が神さまにある王であること否定するものでもあります。
 最後の四つ目に、イエス様はナザレで人としての大半の人生を過ごすことになることも預言されています。マタイによる福音書2章19-23節です。

2:19 さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、
2:20 「立って、幼な子とその母を連れて、イスラエルの地に行け。幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。
2:21 そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。
2:22 しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、
2:23 ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。

 イザヤ書11章、イザヤ書53章の引用

 ナザレ(נצרת / ナツラット)の語源は若枝、新芽(נֵצֶר / ネツァール)と言われています。
 例えばイザヤ11章で言えば1節に、《エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、》というキリストの人格とその語源からつけられた地名のナザレ(マリヤとヨセフの出身地)が語呂合わせで預言の成就と言われます。
 これまでの神さまと神さまのことばのお導きは正しく、イエス様がまさしくキリストであることを弁明し強調しているのです。

2、ルカの視点から
 一方、ルカによる福音書は視点が違います。1章1-4節です。

1:1 わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、
1:2 御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、
1:3 テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。
1:4 すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります。

 これは現在で言えば、裁判の陳述書(当事者本人または証人の言い分を書面にして裁判所に提出するもの。[広辞苑 第七版])と言ったところでしょうか。
 ルカが、多くの証言や証拠を基にこの書簡を書いていることがお分かりいただけると思います。つまりルカは、実際に起こったことを、証言や証拠をもって論証しています。

 それらを念頭に置いて、本日のルカ2章22節から見てみますと理解しやすくなります。

 まず、律法に従って幼子を主にささげる儀礼をするためにエルサレムに行きました。そこで、シメオンとアンナという人物に会っています。2人とも神さまを信頼する人物であり、有名な人物であったことがわかります。彼らの言動からキリストを弁明しています。
 ルカによる福音書2章23-32節と38節を読んでみましょう。

2:23 それは主の律法に「母の胎を初めて開く男の子はみな、主に聖別された者と、となえられねばならない」と書いてあるとおり、幼な子を主にささげるためであり、
2:24 また同じ主の律法に、「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定めてあるのに従って、犠牲をささげるためであった。
2:25 その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。
2:26 そして主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。
2:27 この人が御霊に感じて宮にはいった。すると律法に定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れてはいってきたので、
2:28 シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、
2:29 「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに/この僕を安らかに去らせてくださいます、
2:30 わたしの目が今あなたの救を見たのですから。
2:31 この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、
2:32 異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。

2:38 この老女も、ちょうどそのとき近寄ってきて、神に感謝をささげ、そしてこの幼な子のことを、エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた。

3、12歳のイエスから
 2章42節で12歳のイエス様の記事があります。43節に《少年イエス》と書いていますが、当時のユダや文化では、少年時代最後となります。ユダヤ人は、13歳で“律法の子”となり、会堂(シナゴーグ)の一員となり成人と見なされるようになるそうです。

 毎年エルサレムに来ていたイエス様ですが、この年だけは両親と離れてエルサレムの宮の中にいました。両親は、三日間必死で探して宮でイエス様を見つけるのでした。そこでの出来事です。ルカによる福音書2章41-42節と46-51節です。

2:41 さて、イエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムへ上っていた。
2:42 イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。
2:43 ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。

2:46 そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
2:47 聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。
2:48 両親はこれを見て驚き、そして母が彼に言った、「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです」。
2:49 するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。
2:50 しかし、両親はその語られた言葉を悟ることができなかった。
2:51 それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた。

 イエス様は、律法を話し合うことができるようになってからは、当然キリストとして律法によって生き、宮で、律法を問答するのは当然であると両親に伝えましたが、自分の子どもが、自発的に宮で律法について話し合っている姿は、考えも及ばないことが理解できます。
 これらの記事から分かることは、キリストは普通の人間としてお暮しになる中、大きな危機や困難を神さまによって守られました。そして、神さまへの信頼と良い人格に恵まれた父母によって成長しました。その結果、次のルカによる福音書2章52節に書かれているように、

2:52 イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。

 のです。
 人の成長には、両親の愛情が大切だと言われます。
 それは今日の個所を読んでも納得できます。しかし、もう一方で、神さまに愛されるということを覚えなければなりません。

 マタイは、旧約聖書にあるキリストの預言のことを多く書いていると印象が強いですが、言い換えれば聖書によって人は導かれていることを強調しているということです。このことを知って聖書の記事を見本として生きることが神さまに愛される秘訣です。 
 そして、ルカを見ると、未熟でわからない中であってもヨセフやマリヤのように神さまを信頼して生きている中に良い人格が育ち、良い子育てをすることができた事を覚えなければなりません。
 これは当然、子育てだけではありません。今の自分が成長するため、人を成長させるため、また、これからの自分と隣人の祝福のために欠かせないことだと聖書は教えているのです。

2024年7月7日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治

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