ショートメッセージ【イエス・キリスト①】

マタイ1章、ルカ2章
(キリスト誕生)

1、マタイの視点から
2、ルカの視点から
3、キリスト誕生

 新約聖書の学びに入り、“バプテスマのヨハネ”“マリヤ”“ヨセフ”を見てきました。本日から、イエス・キリストの前半部分を9回にわたって学びます。

1、マタイの視点から
 はじめにマタイによる福音書1章1節を読みます。

1:1 アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。

 というイスラエルの歴史に欠かせない二人の人物の記述から始まります。そして、確かにその系図はキリストにつながることを証明していくわけですが、注目するべきは、アブラハムからキリストまでのすべての人物が書かれているのではないということです。
 言い換えれば、マタイはこの福音書を記述するコンセプトをそこに示しているとも言えます。まず、おもしろいことに、マタイによる福音書1章5節を読みますと、

1:5 サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、

 と書かれていて、なんと、ラハブやルツといった女性の名前が書かれています。父系を伝えることが大切な系図に、2人の女性をわざわざ書き加えていると言えばよいでしょうか。ラハブは元遊女であり、ルツはモアブ人というイスラエルに敵対する国の出身者です。また、続けてマタイによる福音書1章6節を見ますと、

1:6 エッサイはダビデ王の父であった。ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、

 と書かれています。わざわざバテシバの事件を彷彿とさせるような書き方をして、名前は《ウリヤの妻》と書かれています。まるで、ウリヤの神さまとの関係を強調しているかのようです。
 これだけ見ると、血統の系図を推奨するイスラエル人を伝えているのではないことがわかります。ラハブやルツ、ウリヤは、言うまでもなく見本となる神さまとの信頼をもった人物でした。つまり著者マタイは、イスラエルの系図を使って神さまとの信頼の継承を示したのです。

 マタイは、ヨセフという人にまで、それが至ったことを伝えています。彼の評価は、1章19節に書かれています。
 マタイによる福音書1章19節を読みます。

1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。

 と神さまへの信頼と人間性のすばらしさを継承した人物であることを伝えています。どのような状況であったとしても、神さまへ信頼して生きることのできる人物のところにキリストは誕生したのです。

 主の御使いは、妻となるマリヤがご聖霊によって処女であるのにみごもったこと、“イエス”と名を付けること、民を罪から救ってくださる方であることをヨセフに伝えました。それをすべて受け入れたのです。
 まさにインマヌエル(神われらと共にいます。1章23節)を世界で一番初めに受け入れた一人でもありました。その後も、神さまの御使いの指示通りに行動し、東から来た博士から祝福を受けたときも、ヘロデ大王に殺されそうになった時も、神さまともにいたことが書かれています。

 そして、最も注目するべきは預言の成就という点です。1章22-23節です。

1:22 すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、
1:23 「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。

 2章での2歳以下の男の子たちが殺されることも預言の成就のため(2章15節、17節)であったと書かれています。まさに、イスラエルが継承してきた神さまへの信頼と聖書の言葉の成就した点を強調しています。

2、ルカの視点から
 一方、ルカによる福音書は視点が違います。ルカによる福音書1章1-4節を読みます。

1:1 わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、
1:2 御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、
1:3 テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。
1:4 すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります。

 これは、キリストの昇天後に、当時の権力者であったローマの高官であろう人物に宛てて書かれた手紙です。現在で言えば、裁判に提出する資料と言ったところでしょうか。ですから、キリストの誕生を細部まで説明する必要がありました。

 1章には、バプテスマのヨハネで学んだ、親類の年老いたエリサベツが身ごもることや、有名な御使いガブリエルとマリヤの会話などが詳しく書かれています。おそらく、直接マリヤに聞いた情報だと思います。そして、行った場所や時期、会話の内容などをしっかり書いています。
 先ほど見たマタイによる福音書に比べると、明らかに目的が違うことがお分かりいただけると思います。
 ルカによる福音書2章1-7節にはキリストの誕生が詳細に書かれています。

2:1 そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。
2:2 これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。
2:3 人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。
2:4 ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2:5 それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。
2:6 ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、
2:7 初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。

 そして有名な羊飼いたちと御使いたちが賛美し、キリストに会いに行くところも記述されています。
 ルカが、キリストに関する多くの証言や証拠を基に、この書簡を書いていることがお分かりいただけると思います。つまりルカは、実際に起こったことを、証拠をもって強調した弁証しています。

3、キリスト誕生
 以前、戀田寛正さんのメッセージで、旧約聖書時代と新約聖書時代の約400年の空白の期間やその背景を見てきました。多くのイスラエルの罪の問題や困難、苦難の絶頂期と言えばよいでしょうか。その時に、キリストは誕生したのです。

 マタイは、イスラエルが継承してきた神さまへの信頼と聖書の言葉の成就した点を強調していました。
 ルカは、実際に起こったことを、証拠をもって強調していました。
 それに、少し時代的な背景を加えますと、ローマ帝国下の政治によって多くの道や場所が開かれており、治安も安定的な状況であり、日常の会話言葉も世界的に通用する商業用語があり、世界的な行動ができる時代でもありました。

 キリストの誕生は聖書の示す通りであり、不思議なことですが実際に起こった証拠があり、さらに世界に向けてキリスト、すなわち、救い主の誕生を伝えることができる時代であったということです。

 日本において聖書の神さまを信じて信頼することは難しいと言われます。
 確かに時代や文化が大きく違う世界観の中にいますから当然とも思えます。しかし、少し見方を変えると、真実であるという事と、当時の出来事に基づいた史実であるのです。その史実を否定することは、いくら時代や文化が違うと主張しても、過去起きた出来事であるなら、できません。

 現存するキリスト教という雰囲気や文化から聖書を見るのではなく、実際に起こった史実として聖書を見るならば大きな人生の道標として、教訓として、人生の目的として大きな喜びを与えてくれるものとなるのです。ルカ2章に登場するあの羊飼いたちのように。
 最後にその箇所を読んで終わります。2章15-20節です。

2:15 御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。
2:16 そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。
2:17 彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。2:18 人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。
2:19 しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。
2:20 羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。

2024年6月30日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治

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