素直に読む【ヨハネの黙示録_15】

ヨハネの黙示録8章1-13
「七つのラッパ ~さばきは、神の怒りにゆだねる~」

〈はじめに〉

 6章で、第6 の封印のところまで進んできました。
 前回の7章では、ここまでの患難を通して救われることができた者を、神さまがどのような保護の下に置いてくださるのかを見ました。それによって、神さまの怒りが、単なる人間の不信仰さや愚かさへの報復ではないことを知りました。
 今日はいよいよ、もはや誰もとどめることのできない第7の封印が解かれます。

〈本文〉
 ヨハネの黙示録8章1節を読みます。

8:1 小羊が第七の封印を解いた時、半時間ばかり天に静けさがあった。

 そこでは御使いたち、長老たち、4つの生き物と、白い衣を着た数えきれない大群衆が、天をも震わせるほどの大声で主をたたえて礼拝していました。それが、一瞬にして息をのむような沈黙に飲み込まれたのです。この沈黙の時は一体何を意味するのでしょうか。

 旧約の預言者たちも、神さまが裁きを行われる前の静けさへの言及から始めています。
 ハバクク書2章20節とゼパニヤ書1章7節を見てみましょう。

ハバクク書
2:20 しかし、主はその聖なる宮にいます、全地はそのみ前に沈黙せよ。

ゼパニヤ書
主なる神の前に沈黙せよ。主の日は近づき、主はすでに犠牲を備え、その招いた者を聖別されたからである。
(他参照:ゼパニヤ書2章13節)

 黙示録でも、今から宣べられる神さまの恐ろしい裁きを読み、また聞く者がその心備えをできるように静けさが導入されています。
 この静けさ故、あらわされる裁きは一層強く引き立つのです。

 神さまは人々に苦しみを与えることが本心ではありません。しかし、罪を赦すことのできない義なる方でもあるので、裁きを全うされて、罪の世界を終わらせようとされる強い意思も働くのです。それでもこの苦しみを通しても、たとえ何人かでも神さまに立ち返って欲しいと心から望まれています(参照:エゼキエル書33章11節)。この静けさはそのためでもあるのでしょう。

 さらにもう1つ沈黙の理由として、この後ラッパを受け取った天使とは別の御使いが、香とともに聖徒たちの祈りを祭壇の上にささげることが記されています。聖徒たちの祈りを聞かれる神さまの御心が、沈黙の時となってあらわれたとも考えられます。

 罪の世界を終わらせようとされる神さまの強い意気込みと、何とか一人でも多くの人を救い上げたいと願っておられる愛のお心と、聖徒たちの祈りに込められた思いを受けとめようとされるお心が交じり合った沈黙だったのでしょう。
 ヨハネの黙示録8章2-4節を読みます。

8:2 それからわたしは、神のみまえに立っている七人の御使を見た。そして、七つのラッパが彼らに与えられた。
8:3 また、別の御使が出てきて、金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈に加えて、御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった。
8:4 香の煙は、御使の手から、聖徒たちの祈と共に神のみまえに立ちのぼった。

 七人の御使に、七つのラッパが与えられます。そして、ラッパの御使いとは別の御使いが、香炉(香を焚くための器)を手に持って祭壇の前に立ちます。これから香を焚いて、その香りを神さまの下に上らせるためです。ここでは、香と聖徒たちの祈りとは別に記されていますが、黙示録5章8節では、《この香は聖徒の祈である。》と記されています。

 神さまは、信仰者の祈りに耳を傾けてくださいます。その祈りはすべて神さまの耳に良しとされる完全なものではありません。しかし、大祭司なるイエス様がとりなしてくださっているので(へブル7章25節)、聖別され、父なる神の下に届くことを確信できるのです。
 また、ご聖霊も、ご聖霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、とりなして下さっています(ローマ8章26節)。
 この祈りは、天使が手助けをしてくれていて、神さまの御心さえ動かす祈りなのです。
 ヘブル人への手紙1章14節を読みます。

1:14 御使たちはすべて仕える霊であって、救を受け継ぐべき人々に奉仕するため、つかわされたものではないか。

 ヨハネの黙示録8章5節を読みます。

8:5 御使はその香炉をとり、これに祭壇の火を満たして、地に投げつけた。すると、多くの雷鳴と、もろもろの声と、いなずまと、地震とが起った。

 こうして信仰者たちの祈りとして、香が焚かれた後、この天使は、香の祭壇に残っている香の残り火を、香炉に満たして、それをそのまま地に投げつけたのです。すると、多くの雷鳴と、もろもろの声と、いなずまと、地震が起こったと言います。

 これは、これから起きることへの合図なのでしょう。香の残り火が投げつけられたというのは、聖徒たちの積み上げた祈りに対する神さまの裁きと言えるでしょう。理不尽な目にあい、迫害されてもなお、悪をもって悪を返さず、裁きは、主なる神さまにお委ねしたその信仰者たちの祈り、「主よ、あなたさまが正しく裁いてください」と積み上げられた祈りが、地に投げつけられ、主の裁きとなってこれからそれが地上で実行されるのです。
 黙示録8章6-13節を続けて読みます。

8:6 そこで、七つのラッパを持っている七人の御使が、それを吹く用意をした。
8:7 第一の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、血のまじった雹と火とがあらわれて、地上に降ってきた。そして、地の三分の一が焼け、木の三分の一が焼け、また、すべての青草も焼けてしまった。
8:8 第二の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えさかっている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして、海の三分の一は血となり、
8:9 海の中の造られた生き物の三分の一は死に、舟の三分の一がこわされてしまった。
8:10 第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。
8:11 この星の名は「苦よもぎ」と言い、水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ。
8:12 第四の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一とが打たれて、これらのものの三分の一は暗くなり、昼の三分の一は明るくなくなり、夜も同じようになった。
8:13 また、わたしが見ていると、一羽のわしが中空を飛び、大きな声でこう言うのを聞いた、「ああ、わざわいだ、わざわいだ、地に住む人々は、わざわいだ。なお三人の御使がラッパを吹き鳴らそうとしている」。

 いよいよ時が来て、第7の封印が解かれると、それが7つに分けられた患難として、7つのラッパの合図を持って展開されます。第1から第4までは非常に簡潔に記されています。
 内容は簡潔ですが、それは非常に恐ろしいものでした。

 第1は、血の混じった雹と火が降り、地の3分の1、木の3 分の1、すべての青草が焼けたと言います。第2 は、火の山のようなものが海に投げ込まれ、海の生き物と舟の3分の1が消滅したと言います。第3は、たいまつのように燃えている大きな星が、川の3分の1とその水源との上に落ち、水の3分の1が苦くなったので、そのために多くの人が死にます。第4は、太陽と月と星の3分の1が打たれて、昼も夜も明るさが3分の2になったと言います。
 これらの4つの患難により、地球がもはや人の住む環境として適さなくなり始めているのです。

 一つひとつが、どのような自然現象と合致するか、歴史上の出来事と見比べて細かく詮索する必要はないと思います。ここでも、神さまのさばきは、まず3分の1に向けられ、3分の2を残されるのです。残された3分の2に尚、悔い改めのチャンスを残されています。
 さらに、3人の御使いが、3つの患難を用意して、ラッパを吹き鳴らそうとしています。それは次回の9章です。

〈まとめ〉
 2つ取り上げます。

 1つ目は、神さまは、義であり愛なるあわれみのお方。

 本日は、裁きの前の神さまの沈黙に注目しました。
 神さまは、おことば1つで天と地をたちまちに創造されたお方です。
 悪魔が活躍する罪の世界を一瞬で終わらせることも簡単にお出来になるでしょう。
 しかし、愛なる神さまは、一人でも多くの人を救い上げたいと願っておられるのです。本日学んだ沈黙には、神さまの義を全うして罪を終わらせようとされる働きの中にありながらも、何とかして1人でも救いたいとの憐れみの思いが詰まっています。また、それは、昔からの聖徒らの祈りを聴きあげて、それに応えることでもありました。
 マタイによる福音書9章13節を読みます。

9:13 『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。

 マタイによる福音書9章13節は、ホセア書6章6節からの引用です。
 そのホセア書6章6節を見てみましょう。

6:6 わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。

 旧約の時代、神さまへの礼拝に動物の犠牲は欠かせないものでした。

 この時、パリサイ人たちは、律法を守るためのたくさんの決まりをつくり、それを当てはめて生活することが、神さまへの犠牲をささげることだと信じていました。
 決まりから外れた人をさばくことも、神さまが喜ばれる神さまへの犠牲だと信じていたのです。

 マタイによる福音書9章13節でイエス様は、パリサイ人たちに次のように言われました。
 「人をさばくのではなく、あわれみこそが神さまの喜ばれる犠牲なのですよ。」と教えようとされたのです。
 神であるイエス様は、非常に深い憐れみをもったお方です。ただ罪の世界と罪人をさばくだけでなく、一人の人でも多く救いたいとの切なる願いをお持ちだからこそ、神さまは、イエス様に、巻物の7つの封印の解き方とタイミングをお任せになられたのでしょう。

 さばくのは、義であり愛であるあわれみの神、イエス様であること、私たち人が人をさばくことなど到底できないということを覚えたいのです。

 2つ目は、神さまは祈りを聞かれるお方
 私たちの祈りは、ご聖霊のとりなし、大祭司であるイエス様のとりなしを経て、最後は御使いの手で取りなされ、神さまの前にかぐわしい香りとしてささげられていることを見ました。
 神さまは、私たちの不完全な祈りを、また、その祈りを通した交わりを非常に大事にされているのです。
 その交わりを通して、神さまは、私たちが神さまの御心を知り、また、祈りが果たされたことをいつも知れるようにしてくださっています。

 そして、本日の箇所でも見たとおり、神さまは、1人1人の祈りに応えて正しく裁きを全うしてくださるのです。
 だから、私たちはさばくことを考えるのではなく、主の前に祈りましょう。

2024年8月16日
尚徳牧師の素直に読む【ヨハネの黙示録_15】
タイトル:「七つのラッパ ~さばきは、神の怒りにゆだねる~」
牧師:香川尚徳