次回の礼拝2月27日(日)礼拝18:00~【アブラハム③】

次回の礼拝のご案内です。
メッセージは、創世記15-16章
アブラハム③
1、アブラムの信仰が認められた時
2、神との契約
3、人は間違いを繰り返す
◆メッセンジャー:香川盛治師

2月27日(日)の礼拝メッセージでは、
アブラハムの神への信仰を見ていきます。

その「信仰」ですが、広辞苑第七版では、
≪信じたっとぶこと。宗教活動の意識的側面をいい、儀礼と相俟あいまって宗教の体系を構成し、集団性および共通性を有する。「―を捨てる」「―心」≫
と、あります。

 一方、新キリスト教辞典では、多くの解説がありますが、
 「信仰」の定義として≪これは,人間の知性の状態としての「信仰」の定義である。その目的は,宗教的信仰またはキリスト教的信仰に限定することなく,一般的に「信仰」という言葉によって表示されている知性の状態を分析して,それを明らかにすることである。≫
 続いて
 ≪「信仰」とは、厳密な意味では,十分な理由または証拠に基づいて,出来事や事物や人物を真実であるとか信頼できると、確信していることを意味する。≫

 広辞苑では、「信じたっとぶこと」として、宗教活動の意識的側面とあります。つまり、信じる対象に対して自分が何をしているか意識的にわかる心の働き。としています。

 キリスト教辞典では、宗教的信仰またはキリスト教信仰に限定せずに、信仰の知性の状態を分析して明らかにする。また、十分な理由や証拠に基づいて、出来事、事物、人物を完全に信頼できること。としています。

 広辞苑とは違う解説です。

 仲間のクリスチャンより非難承知で簡単に説明しますと、組織の中で、「下位の者」が「上位の者」から指示される内容を信頼し、心と行動がともなっているか。と言う意味です。
 例えば、ある会社の社長が、部下の営業部長に「〇〇〇業界の意識調査して、〇〇%の潜在需要があるなら、それに合ったプロモーションを行い営業を強化しなさい。」と指示があった時、素直に社長を信頼して指示に従うか否かです。

 聖書では、信仰の対象が天地万物の創造主であり、すべての命の源である神さまへ信頼して生活しているか。
 さらに言えば、神さまの御心を理解しようとしているか。と言えます。
 信仰は、信仰の対象を完全に信頼して歩むことです。

 信頼の態度を評価されるのは、神さまです。
 信頼を勝ち取るのは、自己満足ではありません。
 信頼を勝ち取りたい相手の考えや性格を無視して、自分の考えが基準で良い事をしても評価はされないでしょう。

 次回は、そのアブラハムの信仰(神さまへの信頼)を具体的に見ていきます。
 次回も面白いですよ。聞いていて楽しくもあり、人生の勘違いや思い込みを気づかされ、とても勉強になります。

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