ショートメッセージ【アブラハム③】

創世記15、16章
1、アブラムの信仰が認められた時
 最初に15章1節を見ます。 
15:1これらの事の後、主の言葉が幻のうちにアブラムに臨んだ、/「アブラムよ恐れてはならない、/わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは、/はなはだ大きいであろう」。

 《これらの事の後、》とは、前回の聖書箇所13-14章のことです。
 アブラムが、神さまの指示がないままエジプトに下り財産は得ましたが、その財産により、甥のロトとの別れとなってしまいました。その後、神さまのご指示に従っていないことを気づいたと推察できるアブラムは、神さまのご命令を優先し、約束の地で天幕生活を行います。そして、定住生活しているロトのピンチの時には、300人余りの従者引き連れて助けに行く、隣人を思う心や、その後、神さまに感謝して、神の使者と考えられるメルキゼデクから祝福を受け、また神に所有物の十分の一を献げる信仰者に成長したと言ってよいと思います。

 そして、《これらの事の後、》に神さまのことばがあります。彼が神を顧みる信仰を手に入れたことにより、神である主は、あなたの盾となって守られると教えています。神さまは、信仰をもつ者には、その信仰によって報いを与えてくださる方であることを教えています。聖書を読むとイスラエル人たちは、神への信仰や感謝が途絶えることが多く見受けられます。ですから、父祖であるアブラムの信仰を思い起こすように、著者モーセが教えているのでしょう。

 アブラムは2,3節で自分の後継ぎがいないことを主に訴えています。神に対して、どうして、大胆に意見しているかというと、13章15節で、《すべてあなたが見わたす地は、永久にあなたとあなたの子孫に与えます。》という主が約束をしている箇所があるからです。このままでは主ご自身の言葉通り、子孫にこの約束の地を相続出来ないと訴えているのです。それに対して主は4節で《この時、主の言葉が彼に臨んだ、「この者はあなたのあとつぎとなるべきではありません。あなたの身から出る者があとつぎとなるべきです」。》そして、5節で《そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」。》と約束してくれました。冷静に考えれば、まだ後継ぎができるかどうかの具体的な解決はしていません。しかし、6節を見ますと、《アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた》と書いてあります。

 アブラムは神さまのことばによって約束の地に行ったわけですが、必ずしも神さまの言葉だけを聞いて従っていたわけではありません。妻サライを売ろうとしたり、ロトとの別れがあったりと神のことばに従わないことが自分を苦しめることにもなりました。
 しかしその後は、改心したように神の言葉に従いました。その結果、アブラムは自分の常識や考え以上に、神のことばを信じるものへと変わったということです。イスラエル人にとっては、この信仰を学ぶためにアブラムという父祖が与えられたといっても過言ではないでしょう。
 現代も同じことが言えます。聖書のことばを優先できる人は、私たちの常識や考え以上に、神さまを信頼できることを教えてくれています。

2、神との契約
 そして、アブラムはその信仰によって、はじめて神さまと契約を交わすことになります。その契約とは、15章13節-16節に書いてあることです。

15:13 時に主はアブラムに言われた、「あなたはよく心にとめておきなさい。あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう。
15:14 しかし、わたしは彼らが仕えたその国民をさばきます。その後かれらは多くの財産を携えて出て来るでしょう。
15:15 あなたは安らかに先祖のもとに行きます。そして高齢に達して葬られるでしょう。
15:16 四代目になって彼らはここに帰って来るでしょう。アモリびとの悪がまだ満ちないからです」。

 その内容は、子孫たちの困難が伝えられました。アブラムの子孫が400年間寄留者となって奴隷となること、そして彼らは多くの財産とともにそこから出てくること、などです。
 意外ですが、アブラムとの契約はこれが初めてです。これまでは神の命令に従うだけでしたが、今回は契約です。神は、彼の信仰による命令ではなく、契約という形をとりました。これは信頼し合う仲であるからこそできるわけです。ノアという人も同じでした。水で滅ぼさないという虹の契約はノアという人の信仰の結果によって得たものです。アブラムも同じであるということです。

 契約内容はエジプトの川からユーフラテス川という広大な領土をあなたの子孫に与えるというものです。そんなにイスラエルは大きくないという方もいると思いますが、彼の子孫はこの後に出てくるイサクのほかにイシュマエルという人もいます。また直接的な子孫ではないにしろ、甥にあたるロトの子孫のモアブ人などもその地域に生活することになりますので、おおよその意味で間違っていないことになります。
 いろいろ話しましたが、本質は神を真の意味で信じるとは神さまと契約を結ぶことができるような関係を築くことであることがお分かりいただけるのではないでしょうか。

 あまりにもキリスト教が「信じれば救われる。」と言いすぎるために、神さまとの関係を軽視する信仰が現代目立っているように思えます。アブラムはある意味、世の中の常識や自分の経験を大切にする人です。それは別に問題ではありません。神の言葉は、自分の常識や経験を超えて真実で普遍的なものであることを教えられているのです。言い換えれば、神さまの言葉は、人知を超えたものですが、本質的・基本的・中心的であり、先天的なのです。
 アブラムは普通の人でした。王家の者や学者などの特別な地位にいた人ではありませんでした。その普通の人が、神の言葉を優先し実践すること、それを信仰者と呼ぶということを覚えるべきでしょう。何も特別な人ではないことをアブラムは教えてくれています。

3、人は間違いを繰り返す
 しっかり、神さまの言葉を信じるようになったアブラムですが、やはり、普通の人ですので、失敗を繰り返します。それが16章の記事です。創世記2:24には、《それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。》と書かれています。
 これは、神さまの秩序として男女は1対1で結婚生活を行わなければならないことを教えています。そのことはアブラムもわかっていたと思います。しかし、妻サライは自らの手でその秩序を乱すことをします。
 自分の女奴隷であるハガルによって自分の子どもとなる男の子を求めたのです。
 先ほど、アブラムは、何によって信仰者と認められたか覚えていますでしょうか。それは、私たちの常識や考え以上に、神の言葉を信頼することでした。しかし、サライはそのようには信じることができなかったということです。
 この時、アブラムは、サライに向かって「私とあなたから生まれるはず」であると導くことができたはずですね。ところが、哀しいことにサライの意見を受け入れて女奴隷と寝て、子どもが与えられることになります。それが、先ほど言っていたイシュマエルという男の子です。このことで女奴隷のハガルも追い出されそうになり、サライの行動は、実にいろいろな人に迷惑をかけることになります。アダムとエバも同様ですが、神の言葉以上に、自分の常識や考えを通すことは、神への不信感もですが、隣人を愛することにならないことを教えてくれています。残念ことですが、人類の歴史もその通りであると言えるかもしれません。

 神のあわれみでハガルもイシュマエルも助けられますが、私たちが覚えたいことは、神さまの約束を守るために、自己中心的になり、自分勝手な行動をすることがあります。
 結果、神さまのみ言葉から離れてしまっているのです。そこに、隣人愛はまったくありません。自分が基準ですから、妬みなど思いに駆られて、自分にできないことを助けてもらい、利用した相手を陥れることをしてしまう罪深さがあります。
 私たちは、ここで、それに気付いたならばより早く、改心することが教えられますね。

 イスラエル人が誇る民族の始祖であるアブラム(アブラハム)は決して初めから完璧な人でなかったことがよくわかります。少しずつ神さまが言われることを理解し関係を築き、そして近づいて行った人です。私たちもそのことをおぼえて、神さまのあわれみの中を歩む者でありたいと願います。あなたはいかがでしょうか。

2022年2月27日(日)
メッセンジャー:香川盛治師