「禅庭花(ぜんていか)」

 みなさん、こんにちは。「聖書からのワンポイント」の清水浩治です。今日のお話のタイトルは、禅庭花、花の名前で、ニッコウキスゲのことです。

 年齢を重ねる中で、突然、昔のことを思い出す時があります。子供の時に小中学校は地元の学校に通っていましたが、小学校の跡地に記念の公園ができていて、そこを通る時に昔の風景がよみがえります。その公園の中にある木に関する思い出ですが、自分が小学校を卒業する時に、風船に種を結び付けて、その木のそばで空に向けて飛ばしたのを覚えています。 

 当時、旅行の経験があまりない私は、修学旅行を大変楽しみにしていました。小学6年生の時に日光を訪れました。華厳の滝、竜頭の滝、戦場ヶ原、中禅寺湖、日光東照宮など、一泊二日で、観光スポットを回りました。

 訪ねた時期は春であったと思いますが、その時期に綺麗に咲いている花の記憶はありません。しかし、戦場ヶ原に自生する花で、ユリに似たニッコウキスゲという花が、夏に綺麗な黄色い花を咲かせることを知りました。

 ニッコウキスゲの名前のほうが一般的で、禅庭花という和名は、あまり知られていないのかもしれません。学名にはギリシャ語が使われていて、
Hemerocallis(ヘメロカリス)というそうです。この名前は、二つのギリシャ語からできていて、hemera(ヘメラ)、とkallos(カロス)で、ヘメラは日(一日の日)の意味で、カロスは、「美しい」、「良い」の意味があります。和名の禅庭花の名前の由来は、この花が自生する戦場ヶ原を中禅寺(お寺)の庭に見立てたことに因むそうです。

 私がこの花に注目したのは、花自体が綺麗であるのも事実ですが、花言葉が素敵であったのと、自分の誕生日の誕生花となっていたからであります。何も花言葉を信じているわけではありませんが、「日々新たに」と「心安らぐ人」でありました。

 禅庭花は、朝、花を咲かせると夕方にはしぼんでしまう一日花(いちにちばな)であるところから、「日々新たに」という花言葉が生まれたものと思います。すぐ花がしぼんでも、一日花は、次々と花が開く傾向があるようです。英語では、day lilyとあるように、やはりこの花のいのちは短いようです。

 この花言葉の「日々新たに」という言葉から連想される聖書の言葉があります。マタイの福音書6章のイエス・キリストの言葉であります。「あすのための心配は無用です。あすのことは、あすが心配します。労苦は、その日その日に、十分あります。」(マタイ6章 34節)

 「労苦は、その日その日に、十分あります」の労苦と訳されている言葉は、kakia(カキア)というギリシャ語で、悪意、敵意、不正、悪、問題などの様々な意味を持ちます。

 なぜ、あすの労苦、あすの問題を心配するのが意味のないことなのかは、この聖書箇所に説明があります。それは、今日一日の中で、心を用いなければならないことが少なからず存在するからです。あすの労苦、あすの問題を想像して恐れても、それらは明日起こらない可能性が高いのです。

 この課題に関連して、人が陥りやすい一つの傾向が存在します。それは、物事を悪い方向へ、悪い方向へと考えてしまう思考パターンです。私自身もその傾向があるのを自覚しています。特に、今回の新型コロナのように同じ状況が長く続いている場合、その傾向はさらに強くなるのではないでしょうか。負のスパイラルに陥ってしまう自分の心に対して、そうではないことを常に自分の心に言い続ける必要があります。もしこの聖書箇所の言葉を心に刻み込めるなら、心の重荷を軽くできるのではないでしょうか。この教えは、一日一日を大切に生きていくという指針であります。同時に、その一日の歩みにおいて、神の守りがあると信じることができたら、なんと心安らぐことでしょうか。

 今日の内容に一致する曲の歌詞を紹介して、終わりたいと思います。

「私は、明日のことは何もわからないけど、恐れはしない。
主イエスの言葉を信じ、まかせて、今日も歩きます、神の近くを。
明日がどんな日か、知っているお方に、全てをゆだねて私は生きる。」

 また、「聖書からのワンポイント」でお会いしましょう。お聴きいただき、ありがとうございます。

2022.2.11
ラジオ・ティーチング・ミニストリー「聖書からのワンポイント」
タイトル「禅庭花」        
牧師:清水浩治