ショートメッセージ【エレミヤ①】

エレミヤ書1-6章
(神の民の回復のしるし~「あめんどうの枝」)

1、エレミヤの背景(1章)
2、エレミヤの召命(1章)
3、エレミヤの最初の5年(2-6章)

1、エレミヤの背景(1章)
 はじめに、エレミヤ書1章1-3節を読みます。

1:1 ベニヤミンの地アナトテの祭司のひとりである、ヒルキヤの子エレミヤの言葉。
1:2 アモンの子、ユダの王ヨシヤの時、すなわちその治世の十三年に、主の言葉がエレミヤに臨んだ。
1:3 その言葉はまたヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの時にも臨んで、ヨシヤの子、ユダの王ゼデキヤの十一年の終り、すなわちその年の五月にエルサレムの民が捕え移された時にまで及んだ。

 エレミヤは、ベニヤミン族のレビ人の町アナトテの祭司でありながら、神さまに預言者とて召された(選ばれた)ことが分かります。

 そして時代は、南ユダの三人の王、ヨシヤ、エホヤキム、ゼデキヤの時代であることが分かります。実際は五人の王がいましたが、そのうちの二人、エホアハズとエホヤキンは、在位が三ヵ月と短くここでは省略されています。

 預言者のイザヤが亡くなって少し後、ゼパニヤやナホム、ハバククと言った預言者と同じ時代で、アッスリヤの勢力が衰退し、バビロンが台頭してくる動乱の時代でした。

 エレミヤが活動した時代の五人の王のうち、ヨシヤ王だけは、ダビデの道に歩みました(つまり良い王さまでした)。しかし、南ユダ王国の社会では不正がはびこり、律法の戒めが守られず、未亡人などの弱者が虐げられていました。

 そのような状態にあっても指導者たちは、そのようなことを気にも留めませんでした。民は、神殿礼拝を継続してはいましたが、神殿の外では偶像を礼拝し、そのことへの問題意識もありませんでした。

 神さまとの契約を破る民に対して、神さまは裁きをもたらすために、バビロン帝国を神さまの“しもべ”として用いて、エルサレムを破滅させ、人々を捕囚として連れ去るとエレミヤは預言しました。
 預言は果たされて、その通りとなり(列王紀下24-25章)、エレミヤは、バビロンによって陥落したエルサレムと人々の捕囚をその目で見ることになります。

2、エレミヤの召命(1章)
 エレミヤ書1章4-6節を読みます。

1:4 主の言葉がわたしに臨んで言う、
1:5 「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。
1:6 その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。

 4節の《「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、》とは、神さまがエレミヤを自ら造られて選び、相応しい者としたということです。5節の《あなたを聖別し、》とは特別な神のご用のために取り分けられたということです。《あなたを立てて》とは、賜物のように与えられたということです。
 エレミヤは、神さまの特別な預言者だと言われています。

 これに対してエレミヤは、自らの弱さを表現しながらも6節で《ああ、主なる神よ、》と神さまのご主権を認めてこの神さまからの召し(選ばれて預言者の仕事を命じられる)を受け入れています。
 これに対して神さまは、神さまの恵みと神さまの力による助けを十分に保証する回答をされています。
 1章10節を読みます。

1:10 見よ、わたしはきょう、あなたを万民の上と、万国の上に立て、あなたに、あるいは抜き、あるいはこわし、あるいは滅ぼし、あるいは倒し、あるいは建て、あるいは植えさせる」。

 《あるいは抜き、あるいはこわし、あるいは滅ぼし、あるいは倒し、》というのは、整い茂った木を抜き、根まで滅ぼし(捕囚)、かたちがなくなるまで壊し、倒し = 粉々にするという意味で南ユダへの裁きのことが言われています。
 しかし、そのあとで《建て、植えさせる」。》と、神さまの救いと希望についても示されています。
 そしてこのあとに神さまからしるしも与えられます。
 1章11-14節を読みます。

1:11 主の言葉がまたわたしに臨んで言う、「エレミヤよ、あなたは何を見るか」。わたしは答えた、「あめんどうの枝を見ます」。
1:12 主はわたしに言われた、「あなたの見たとおりだ。わたしは自分の言葉を行おうとして見張っているのだ」。
1:13 主の言葉がふたたびわたしに臨んで言う、「あなたは何を見るか」。わたしは答えた、「煮え立っているなべを見ます。北からこちらに向かっています」。
1:14 主はわたしに言われた、「災が北から起って、この地に住むすべての者の上に臨む」。

 ここの“しるし”は2つでした。
 1つは《あめんどうの枝》、これはアーモンドの枝です。
 アーモンドはヘブル語で「シャーケード」といい、見張るは「シャーカド」。
 神さまは、エレミヤが神さまと同じところに目を向けているという意味で《あなたの見たとおりだ。》と言って喜ばれるのです。
 なぜなら神さまは、神さまの約束された言葉を実現しようと、見張っているからです。神さまの関心は、神の民を滅ぼすことではなく、あくまでも神の民を回復させることにあるのです。

 《あめんどうの枝》は、神の民の回復のビジョンのしるしとして、エレミヤに与えられたものでした。

 もう1つのしるしは、13節の“北からこちらに向かう、煮え立っているなべ”でした。これは北からすみやかにやってくるバビロンによる破滅を現わしています。これは神さまの裁きの“しるし”です。
 裁く理由は、1章16節で《彼らがわたしを捨てて、すべての悪事を行ったゆえに、》と言われています。

3、エレミヤの最初の5年(2-6章)
 エレミヤが預言者に召されたのは、ヨシヤ王の治世13年のことでした。それは、ヨシヤ王が若干20歳で、宮清めをした1年後のことでした。
 そしてヨシヤ王の治世18年、エレミヤが預言を始めて5年後に、ヨシヤ王が律法の書を発見し、宗教改革を実施します。
 歴代志下34章1-5節を読みます。

34:1 ヨシヤは八歳のとき王となり、エルサレムで三十一年の間世を治めた。
34:2 彼は主の良しと見られることをなし、その父ダビデの道を歩んで、右にも左にも曲らなかった。
34:3 彼はまだ若かったが、その治世の第八年に父ダビデの神を求めることを始め、その十二年には高き所、アシラ像、刻んだ像、鋳た像などを除いて、ユダとエルサレムを清めることを始め、
34:4 もろもろのバアルの祭壇を、自分の前で打ちこわさせ、その上に立っていた香の祭壇を切り倒し、アシラ像、刻んだ像、鋳た像を打ち砕いて粉々にし、これらの像に犠牲をささげた者どもの墓の上にそれをまき散らし、
34:5 祭司らの骨をそのもろもろの祭壇の上で焼き、こうしてユダとエルサレムを清めた。

 続けて歴代志下34章30-32節を読みます。

34:30 そして王は主の宮に上って行った。ユダのすべての人々、エルサレムの住民、祭司、レビびと、およびすべての民は、老いた者も若い者もことごとく彼に従った。そこで王は主の宮で発見した契約の書の言葉を、ことごとく彼らの耳に読み聞かせ、
34:31 そして王は自分の所に立って、主の前に契約を立て、主に従って歩み、心をつくし、精神をつくして、その戒めと、あかしと定めとをまもり、この書にしるされた契約の言葉を行おうと言い、
34:32 エルサレムおよびベニヤミンの人々を皆これに加わらせた。エルサレムの住民は先祖の神であるその神の契約にしたがって行った。

 さらに歴代志下35章16-19節を読みます。

35:16 このようにその日、主の勤めの事がことごとく備わったので、ヨシヤ王の命に従って過越の祭を行い、主の祭壇に燔祭をささげた。
35:17 ここに来ていたイスラエルの人々は、そのとき過越の祭を行い、また七日の間、種入れぬパンの祭を行った。
35:18 預言者サムエルの日からこのかた、イスラエルでこのような過越の祭を行ったことはなかった。またイスラエルの諸王のうちには、ヨシヤが、祭司、レビびと、ならびにそこに来たユダとイスラエルのすべての人々、およびエルサレムの住民と共に行ったような過越の祭を行った者はひとりもなかった。
35:19 この過越の祭はヨシヤの治世の第十八年に行われた。

 エレミヤは2章でイスラエルの二つの悪について預言しています。
 エレミヤ書2章13節を読みます。

2:13 「それは、わたしの民が/二つの悪しき事を行ったからである。すなわち生ける水の源であるわたしを捨てて、自分で水ためを掘った。それは、こわれた水ためで、水を入れておくことのできないものだ。

 しかし、それでも神さまは、あり得ない呼びかけをしています。
 エレミヤ書3章1節を読みます。

3:1 もし人がその妻を離婚し、女が彼のもとを去って、他人の妻となるなら、その人はふたたび彼女に帰るであろうか。その地は大いに汚れないであろうか。あなたは多くの恋人と姦淫を行った。しかもわたしに帰ろうというのか」と主は言われる。

 人が不貞の妻に離縁状を書いて去らせた場合、どんな理由があっても再び妻としてめとることができないと律法で定められていました(申命記24章1-4節)。
 その妻は、《身を汚した》からです。
 エレミヤ書3章14-18節を読みます。

3:14 主は言われる、背信の子らよ、帰れ。わたしはあなたがたの夫だからである。町からひとり、氏族からふたりを取って、あなたがたをシオンへ連れて行こう。
3:15 わたしは自分の心にかなう牧者たちをあなたがたに与える。彼らは知識と悟りとをもってあなたがたを養う。
3:16 主は言われる、あなたがたが地に増して多くなるとき、その日には、人々はかさねて「主の契約の箱」と言わず、これを思い出さず、これを覚えず、これを尋ねず、これを作らない。
3:17 そのときエルサレムは主のみ位ととなえられ、万国の民はここに集まる。すなわち主の名のもとにエルサレムに集まり、かさねて、かたくなに自分の悪い心に従うことはしない。
3:18 その日には、ユダの家はイスラエルの家と一緒になり、北の地から出て、わたしがあなたがたの先祖たちに嗣業として与えた地に共に来る。

 神さまは、背信の子らよ、帰れと呼びかけています。
 神さまは、律法の定めを破ってまでも、離縁状を突き付けざるを得なかった背信の子、北イスラエルに、いつまでも怒ったままではないから、帰るように呼びかけています。
 エレミヤ3章11節読みます。

3:11 主はまたわたしに言われた、「背信のイスラエルは不信のユダよりも自分の罪の少ないことを示した。

 南ユダ王国は、その北イスラエル王国を見ていながらも不貞に走ったので、さらに悪いと言われています。北イスラエル王国自体が、神さまへの背信により滅びてしまったことを知りながら、南ユダ王国は何も反省しなかったからです。

 エレミヤ3章14-18節では、「全イスラエル」(北イスラエル王国と南ユダ王国)の回復の約束があります。

 約束は、背信の子イスラエルとユダが、エルサレムに帰り、そして、あらゆる民族もそこに集められるという約束です。この約束はやがてくる《その日》、イエス・キリストが再び来られて、メシヤ王国が誕生する時に実現します。そのことが預言されています。

 背信の子らをどこまでも愛し、回復させて異邦人とともに救う、神さまの驚くべきご計画が預言されているのです。

 エレミヤ書第4章では、北イスラエル王国と南ユダ王国に対する悔い改めの呼びかけと、北からの大いなる災いが、預言され、5章18節には神さまが、《しかし、その時でも、わたしはことごとくあなたを滅ぼさない》と、愛の裏切りに対する怒りの中でも、南ユダ王国への大いなる愛による“ためらい”が見えます。

 6章では、続いて神さまのさばきが宣べられる中で、神さまを尋ね求めることによって、神さまを見出し、神さまの憩いを得る道を選ぶように示されています(6章16節)。

 聖歌419番「あなたのもてるなやみは」の2節の歌詞は、

 滅びの淵につながる あなたの罪をば
 救いの主(ぬし)の御前に 告白できたか
 主は赦し給う 主は赦し給う
 どんな罪でも 主は赦し給う

 神さまは、背き続ける背信の子らを愛し続け、立ち返るならば、ただちに赦してくださるお方です。そして神さまにある希望の中に招き入れてくださいます。
 現代に生きる私たちにも例外ではありません。

2023年10月8日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川尚徳

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