素直に読む【ヨハネの黙示録_17】

ヨハネの黙示録10章1-11節
「口に甘く、腹に苦い」

〈はじめに〉
 前回は、第7 の封印が解かれ、その封印が細分化された7つのラッパのうちの第6のラッパが鳴らされた結果を見ました。
 そして、いよいよ第7 のラッパが鳴ろうとする時に、一つの挿入話として、今回の10章があります。

〈本文〉
 ヨハネの黙示録10章1節を読みます。

10:1 わたしは、もうひとりの強い御使が、雲に包まれて、天から降りて来るのを見た。その頭に、にじをいただき、その顔は太陽のようで、その足は火の柱のようであった。

 考えられないほどの大きな御使いが、ヨハネの前に現れます。しかも、その御使いは、《雲に包まれて、天から降りて来るのを見た。その頭に、にじをいただき、その顔は太陽のよう》だったのです。
 この御使いが、神さまやイエス様に、非常に近い御使いであるということを悟ることができます。

 すでに見たヨハネの黙示録4章では、神さまの、御座の周りに緑玉(りょくぎょく)のように見える虹が現れていました。
 この虹は、神さまの輝きによるもので、この御使いの虹は神さまの虹を反映したものにちがいありません。

 《顔は太陽のよう》というのは、神さまの光が闇の世界をも照らし出すように、神さまからの宣言を逃れる者は誰一人いないことを示しています。さらに、《火の柱のよう》にそびえ立つ両足は、神さまの支配の下に置かれないものは何一つないことを説明されているのです。

 想像もつかない巨大な御使いを通して、すべてが神さまのご支配にあることを、わかりやすく伝えています。その対象は、ヨハネの黙示録9章で見た、悔い改める機会をどれだけ与えられても、ますます心を頑なにして占いや偶像に走る人々です。
 10章2-3節を読みます。

10:2 彼は、開かれた小さな巻物を手に持っていた。そして、右足を海の上に、左足を地の上に踏みおろして、
10:3 ししがほえるように大声で叫んだ。彼が叫ぶと、七つの雷がおのおのその声を発した。

 2-3節の御使いのメッセージは、頑なな者も、また救われた者も含めたすべての存在に聞かれるべきメッセージです。
 10章4節を読みます。

10:4 七つの雷が声を発した時、わたしはそれを書きとめようとした。すると、天から声があって、「七つの雷の語ったことを封印せよ。それを書きとめるな」と言うのを聞いた。

 ヨハネは、この御使いによって引き起こされた、7つの雷が語ることを書き留めようとしますが、それを禁じられます。

 私たちは、神さまが決めておられる未来について、そのすべてを知り、書き記すことは、許されていません。知る必要がないということでしょう。
 10章5-7節を読みます。

10:5 それから、海と地の上に立っているのをわたしが見たあの御使は、天にむけて右手を上げ、
10:6 天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを造り、世々限りなく生きておられるかたをさして誓った、「もう時がない。
10:7 第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、神の奥義は成就される」。

 5節では、御使いは天に向けて右手を上げ、創造主なる神さまを指して誓う、という形をとって、神さまの言葉として厳かに宣厳します。それが6-7節の内容です。
 6節の《もう時がない。》とは、この世界の終わりの時がすぐそこに来ている。今まで忍耐に忍耐を重ね、一人も滅びずに、永遠の御国に迎え入れることができるように。とされてきた神さまが、それもあとわずかだと言われているのです。
 それは、「今だ、悔い改めないかたくなな民に対しての残された機会はあとわずかだ。」との宣言、そして、救われた者に対しては、神さまの完全な裁きと、神の国の到来はもうすぐだからという宣言となります。
 10章8-11節を読みます。

10:8 すると、前に天から聞えてきた声が、またわたしに語って言った、「さあ行って、海と地との上に立っている御使の手に開かれている巻物を、受け取りなさい」。
10:9 そこで、わたしはその御使のもとに行って、「その小さな巻物を下さい」と言った。すると、彼は言った、「取って、それを食べてしまいなさい。あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い」。
10:10 わたしは御使の手からその小さな巻物を受け取って食べてしまった。すると、わたしの口には蜜のように甘かったが、それを食べたら、腹が苦くなった。
10:11 その時、「あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない」と言う声がした。

 ヨハネは8-11節で、この御使いの促すままに巻物を受け取り食べます。この巻物は、口には蜜のように甘く、しかし一方で、腹には苦いものでした。
 詩編119篇103節を読みます。

119:103 あなたのみ言葉はいかにわがあごに/甘いことでしょう。蜜にまさってわが口に甘いのです。

 この詩篇の表現にもあるように、御言葉の持つ最も優れた霊の栄養が語られています。信仰者の霊的活動のために、なくてはならない栄養分が、御言葉によって与えられるのです。
 しかし、《腹が苦くなった。》という、もう一つの側面もあります。
 これまで見てきたように、人の本性はどこまでも頑なです。御言葉が伝えられても、頑なな人間の心は、なかなか開かれません。その働きは容易なものではなく、当然、苦い結果となることが多いでしょう。
 この地上に置かれている信仰者は、最後の最後までその苦さを味わうことになると教えられています。

 預言者エゼキエルの書に同様のことが示されています。
 エゼキエル書3章1-11節を読んでみましょう。

3:1 彼はわたしに言われた。「人の子よ、あなたに与えられたものを食べなさい。この巻物を食べ、行ってイスラエルの家に語りなさい」。
3:2 そこでわたしが口を開くと、彼はわたしにその巻物を食べさせた。
3:3 そして彼はわたしに言われた、「人の子よ、わたしがあなたに与えるこの巻物を食べ、これであなたの腹を満たしなさい」。わたしがそれを食べると、それはわたしの口に甘いこと蜜のようであった。
3:4 彼はまたわたしに言われた、「人の子よ、イスラエルの家に行って、わたしの言葉を語りなさい。
3:5 わたしはあなたを、異国語を用い、舌の重い民につかわすのでなく、イスラエルの家につかわすのである。
3:6 すなわちあなたがその言葉を知らない、異国語の舌の重い多くの民につかわすのではない。もしわたしがあなたをそのような民につかわしたら、彼らはあなたに聞いたであろう。
3:7 しかしイスラエルの家はあなたに聞くのを好まない。彼らはわたしに聞くのを好まないからである。イスラエルの家はすべて厚顔でまた強情である。
3:8 見よ、わたしはあなたの顔を彼らの顔に向かって堅くし、あなたの額を彼らの額に向かって堅くした。
3:9 わたしはあなたの額を岩よりも堅いダイヤモンドのようにした。ゆえに彼らを恐れてはならない。彼らの顔をはばかってはならない。彼らは反逆の家である」。
3:10 また彼はわたしに言われた、「人の子よ、わたしがあなたに語るすべての言葉をあなたの心におさめ、あなたの耳に聞きなさい。
3:11 そして捕囚の人々、あなたの民の人々の所へ行って、彼らが聞いても、彼らが拒んでも、『主なる神はこう言われる』と彼らに言いなさい」。

 巻物は、エゼキエルにとって蜜のように甘いものでした。しかし、3章7節を読みますと、イスラエルの家は、《厚顔で》(顔の面が厚く)、《強情である。》とあります。そして、エゼキエルは、神さまの言葉を好まない人たちに御言葉を語るように言われています。

〈まとめ〉
 この世界はやがて終わり、そして、永遠の御国に移行する時が来るとことを、巨大な御使いを通してすべての人に見えるかたちで神さまが宣言されています。
 それは、ヨハネが書き留めるなと言われたように、私たちは、具体的にはわかりません。

 ここで明らかなのは、悔い改めない頑なな人々にとって、残された時間が、わずかだということです。
 また、救われた者には神さまの完全な裁きと、神の国の到来を告げる合図となります。
 さらに、この宣言は、一人でも救いに導こうと忍耐をされてきた神さまが、いよいよさばきの時と、ご自身に言い聞かせるようにこの世界を終わらせる神さまの決意とも取れます。

 この時のヨハネにとっては、今にも終わりの時が来るかのように感じとられたと思います。しかし、それから2000年近く経った今も、この世界は続いています。
 だからといって、まだまだと、構えていても良いということではありません。

 ここで神さまは、私たちが確かなことだけを見ていくようにと示されています。
 いつ何年の何月何日に患難時代に入り、終末を迎えるのかを正確に私たちが知ることは、ヨハネからも私たちからも隠されました。私たちが見るべきはそこではなく、確かなことだけを見るようにと言われています。
 それは、この世が終わり、永遠の時へと移る時が必ず来ること、その時には、私たちの内に、完全に罪がなくなり、それに相応しい肉体をもって御国に迎え入れられて永遠に生きるということです。
 そこで、先ず私たちがすべきことは、永遠の命に生き続けるために神さまの御言葉を食べ続けることです。すなわち聖書を読み理解していくことです。

 それだけではなく、神さまは終末までに、1人でも多く救われてほしい。と願っておられるので、私たちは、キリストの証人としてイエス・キリストを指し示し続けていくのです。
 それには、どこまでも頑なな人と対峙し、腹に苦く感じる時も甘んじる覚悟が必要です。
 もう一度、ヨハネの黙示録10章10節を読んで終わります。

10:10 わたしは御使の手からその小さな巻物を受け取って食べてしまった。すると、わたしの口には蜜のように甘かったが、それを食べたら、腹が苦くなった。

2024年10月18日
尚徳牧師の素直に読む【ヨハネの黙示録_17】
タイトル:「口に甘く、腹に苦い」
牧師:香川尚徳