ショートメッセージ【ある富んでいる青年の役人】
マタイによる福音書19章16-26節
マルコによる福音書10章17-27節
ルカによる福音書18章18-27節
(永遠のいのちについて)
1、この記事に至るまでの文脈から
2、金持ちは天国に行きにくい?
3、天国は神さまのもの
イエス様に「永遠のいのちを得るにはどうすればよいか」と尋ねた人物についての記事は、3つの福音書すべてに記されています。内容や人物の呼び方に多少の違いはありますが、おそらく同じ人物のことを指していると考えられます。そして、3つの福音書に共通して流れている大切なメッセージの本質には、大きな違いはありません。そこで本日は、この中から“マタイによる福音書”を中心に、御言葉をともに見ていきましょう。
1、この記事に至るまでの文脈から
マタイによる福音書19章16-20節を読みます。
19:16 すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。
19:17 イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。
19:18 彼は言った、「どのいましめですか」。イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。
19:19 父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。
19:20 この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。
この青年は本気で永遠のいのちを得たいと願っており、その方法をイエス様に聞いています。しかし、イエス様はすぐに答えず、「なぜわたしに聞くのか」と問い返されます。一見すると、青年の質問はまっすぐで誠実なものに思えますが、イエス様の応答からは、どこか距離を感じるようにも見えます。まるでイエス様は、この青年をすぐには受け入れておられないような印象を与えます。
その理由を理解しやすくするために、ここに至るまでの流れを少し説明します。マタイによる福音書は18章から「天の御国(天国)」に関する教えが中心になっていきます。その内容を簡単にまとめると、次のようになります:
・18章1-14節:天で一番偉いのは幼子のような心の人。(第一に素直に神さまを求める心)
・18章15-35節:兄弟同士互いに赦し合うことゆるし合うこと。(さばかない心)
・19章1-2節:イエス様、大勢の人をいやす。(愛を示す心)
・19章3-12節:離婚をしてはいけない。(神さまの秩序を優先する心)
・19章13-15節:幼子を受け入れるイエス様。(第一に素直に神さまを求める心)
さて、ここからが本日の中心となる箇所です。
この青年は、イエス様に「永遠のいのちを得るには、何をすればよいか」と尋ねています。つまり、いのちを得る“方法”を求めているのです。しかしイエス様は、その問いの奥にある、もっと大切なことである、神さまを素直に求める心や、神さまを深く愛し、従おうとする姿勢がこの青年には欠けていることを見抜いておられました。
そのため、イエス様はご自身が神の子であるということを、あえて彼にははっきりとは示されませんでした。
そして、イエス様は青年の問いに対して、彼の立場に合わせて律法(神さまがイスラエルに与えた法律)について説明されました。
青年は「それらは全部守ってきました」と答えます。けれども、それが本当ではないことは、ここまでの文脈を読むと明らかです。
しかし、青年本人はそれで十分だと思っているのです。
この問題は、決してこの青年一人のものではありません。むしろ、今日の私たち、とくに「自分はクリスチャンだ」と自認する人たちにとって、深く問いかけられる御言葉ではないでしょうか。
争わないこと、嘘をつかないこと、親切にすることなどはもちろん良いことです。しかし、それらを「外側だけで」行っているのが現実かもしれません。
この青年が「守っています」と言っているように、たとえ心から信頼していなくても、あるいは仕方なくでも、表面的には律法を守っているように見えることはできるのです。
でも神さまが見ておられるのは、その行動の「形」ではなく、そこにある「心」なのです。
2、金持ちは天国に行きにくい?
マタイによる福音書19章21-24節を読みます。
19:21 イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
19:22 この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。
19:23 それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。
19:24 また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
この青年が裕福な人物であったことが、聖書の記事から分かります。
イエス様は、彼に「持っている物をすべて手放して、貧しい人々に施しなさい」と言われました。しかし、青年はその言葉に従うことができませんでした。なぜなら、彼の心は、自分の財産、つまり自分にとって一番大切にしていたものに強く執着していたからです。
イエス様は、《富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい》と言われました。
財産や名声、その他、自分が欲する持ち物が多い人ほど、それらに心をとらわれやすくなるものです。
そして、そうした強いこだわりを持っている人は、表面的には律法を守ったり、他人に親切にしたりすることはできても、その行いを通して本当に神さまを信頼する心には至らないことが多いのです。
これは、現代の私たちにも当てはまることです。特に今の時代は、お金だけでなく、仕事や趣味、資格、社会的な立場など、多くの「こだわり」を持つ機会がたくさんあります。そうしたものに心を奪われてしまうと、神さまに心から従うことが難しくなってしまうのです。
3、天国は神さまのもの
マタイによる福音書19章25-29節を読みます。
19:25 弟子たちはこれを聞いて非常に驚いて言った、「では、だれが救われることができるのだろう」。
19:26 イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」。
19:27 そのとき、ペテロがイエスに答えて言った、「ごらんなさい、わたしたちはいっさいを捨てて、あなたに従いました。ついては、何がいただけるでしょうか」。
19:28 イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう。
19:29 おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。
弟子たちが驚いたのは、当時の常識では「お金持ちは神に祝福された人」と考えられていたからです。
そのような人でさえ神の国に入るのが難しいとすれば、いったい誰が救われるのか。
そう思ったのです。
たしかに表面的には、富や健康、良い家系に生まれたことなどが、神さまの祝福のように見えるかもしれません。
現代でも、生まれ育った環境や文化、健康状態などによって、人にはどうにもならない「ハンデ(不利な条件)」があると感じることがあるでしょう。しかしイエス様は、《「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」。》と言われました。
つまり、私たちがどんな状況にあっても、イエス様を信頼し、従っていく者には、“永遠のいのち”が与えられるという約束なのです。
そこには、生まれや環境による不利や差は関係ありません。
誰でも神さまの前では平等に、永遠のいのちを受け継ぐことができるのです。
今回のこの記事は、「自分が何を求めて生きているのか」「その価値は永遠に残るものなのか」という問いを、私たち一人ひとりに投げかけています。
私たちが心から求めるものが、永遠の視点でも価値あるものであるようにと、教えてくれているのではないでしょうか。
2025年11月9日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治

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