素直に読む【ヨハネの黙示録_12】
ヨハネの黙示録5章1-14節
「巻物を受け取った子羊」
〈はじめに〉
4章では、ヨハネが幻として見た、天上の御座と御座にいます創造主なる神さまが、(霊的なものを含めて)すべての中心であること、私たちの信仰の歩みのすべては、4章の天上の礼拝につながっていくことを教えられました。
〈本文〉
今回は5章を見ていきます。子羊なるイエス様が本日の学びの中心です。
では、ヨハネの黙示録5章1節を読みます。
5:1 わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。
ヨハネは、御座におられるお方の右の手に巻物を見ました。それは、終わりの時の神さまの計画書です。
ヨハネは、ワクワクする思いで、巻物の内容が明らかにされることを待ち望んでいたと思います。おそらく、信じる者を救う神さまの愛に満ちたご計画であると確信していたことでしょう。しかし、まさかここで、神さまの怒りによる、地上でのすさまじい災害や患難であるとは予期していなかったでしょう。
巻物は封印されていました。それは、誰かが見ることのないようにするためではなく、封印が解かれることで、巻物に書かれてある内容が、ただちに実行される合図となるように。ということだったのだと考えられます。
5章2-4節を読みます。
5:2 また、ひとりの強い御使が、大声で、「その巻物を開き、封印をとくのにふさわしい者は、だれか」と呼ばわっているのを見た。
5:3 しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて、それを見ることのできる者は、ひとりもいなかった。
5:4 巻物を開いてそれを見るのにふさわしい者が見当らないので、わたしは激しく泣いていた。
ひとりの御使が大声で、《「その巻物を開き、封印をとくのにふさわしい者は、だれか」》の呼びかけに、誰も反応しませんでした。ヨハネは、内容が明かされることに大きな期待を持っていたので、無念さによって激しく泣いたのでしょう。
この封印は、解く者に解くタイミングを任されていました。神さまの定めておられる時と、状況とを見極めて、神さまのみ心のとおりに解く必要がありました。
御使いには、神さまの命令を受けて実行する力はありますが、封印を解くタイミングを見極める力はありませんでした。そのため誰も反応できなかったのでした。
5章5節を読みます。
5:5 すると、長老のひとりがわたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。
信仰者の代表である長老は、そのお方が《ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかた》、つまりイエス様こそ、この巻物の封印を解くに相応しいお方だと言います。
イエス様のことを良く理解しているヨハネでしたが、この時には、封印を解くに相応しいお方として、「あのイエス様がおられるではないか」と、思い浮かべることができなかったのです。それで、《長老のひとり》が、ヨハネに諭すように話したのです。
信仰のベテランであり、御霊に感じていた(4章2節)ヨハネも、ここは信仰を働かせることができませんでした。期待が大きかっただけに絶望もまた大きかったのでしょう。どんな時でも信仰を働かせることの難しさを教えられます。
私たちも、時に、一番大切なイエス様がどこかにいってしまいます。そういう弱さを持つ者であることを覚えます。
5章6-7節を読みます。
5:6 わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。それに七つの角と七つの目とがあった。これらの目は、全世界につかわされた、神の七つの霊である。
5:7 小羊は進み出て、御座にいますかたの右の手から、巻物を受けとった。
ヨハネはこの長老のひとりの言葉を聞いて、それまで見えなかった、ほふられた小羊であるイエス・キリストが立っておられるのを見ます。
アブラハムは、イサクを全焼のいけにえとしてささげるために、まさに屠(ほふ)ろうとした時、主の御使いの声で止められます。その時、目を上げて見ると、そこに雄羊がいることに目が留まりました。しかし、創世記22章を読むと、雄羊はおそらくその前からそこにいたと思われます。
ヨハネもここで霊の目が開かれて、真ん中にイエス様が立っておられるのを見ます。
《ほふられた》と言われて、犠牲として献げられ、その後よみがえられたことが示されているのは、イエス様が贖いの御業をなし終えて、勝利を得られた栄光の主であることの強調でしょう。
まさに、神さまの定めておられる時と、状況とを見極めて、神さまの御心のとおりに封印を解くことのできる間違いないお方であることが明かされています。
そして、イエス・キリストには、7つの角と7つの目があったと言います。角は力を示し、7は完全数です。つまりイエス様の全能の力をあらわします。また、7つの目は、《全世界につかわされた、神の七つの霊である。》と説明されています。イエス様が聖霊を全地に遣わされ、また、すべてを見通される全知なるお方であることを示しています。だからこそ、この巻物の封印を解くに相応しいと言われているのです。
そして、7 節でヨハネは、小羊なるイエス様が進み出て、御座におられる御方の右の手から巻物を受け取られた光景をはっきりと見ました。確かにイエス様の手に巻物が渡りました。あとは、イエス様が封印を解かれるばかりとなったのです。
そしてこれは、全人類が、例外なく関係していく出来事なのです。それが、イエス様の手に委ねられました。
ヨハネだけではなく、御座の周りにいた四つの生き物と長老たちも、今にも封印が解かれて神さまのご計画が、はじまるように思ったのでしょう。そして彼らは、イエス様の前にひれ伏したのです。
5章8節を読みます。
5:8 巻物を受けとった時、四つの生き物と二十四人の長老とは、おのおの、立琴と、香の満ちている金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒の祈である。
全被造物の代表として、また、贖われた者の代表として四つの生き物と二十四人の長老は、この小羊の前にひれ伏さずにはおれなかったのです。
特に二十四人の長老たちは、手に《立琴と、香の満ちている金の鉢を》手に持っていました。この香は聖徒の祈りであることが説明されています。
地上における信仰者のさまざまな戦いに対する助けへの願い、また助けられたことへの感謝や喜びとともに、主を讃えるすべての祈りが込められているものなのでしょう。
長老たちは、すべての信仰者の賛美と祈りをそこに携えていたのです。
5章9-10節を読みます。
5:9 彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、
5:10 わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。
彼らは、イエス様が彼ら(また私たち)を贖ってくださっただけではなく、この巻物の封印を解くのにふさわしいお方として立たれていることを讃えています。イエス様が、神さまの全権を受けられた栄光の主となられたことを讃える賛美として新しい歌が歌われているのです。
10節での《御国の民とし》というところを直訳すれば、「王国にし」となります。
イエス様の血は、全人類に及び、贖い取られた魂を神さまに仕える者としてくださいます。そして、王国として人々を支配していく祭司の身分が与えられると言われています。
この王国はもはや、この世に影響されず、支配もされません。ただ神さまからの祝福と交わりを直接受けるのです。
5章11-13節を読みます。
5:11 さらに見ていると、御座と生き物と長老たちとのまわりに、多くの御使たちの声が上がるのを聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍もあって、
5:12 大声で叫んでいた、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。
5:13 またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、「御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」。
さらに見ていたヨハネは、天上に《万の幾万倍、千の幾千倍》という御使いの集団が現れ、大声で歌い叫んでいるのを聞きます。これは、イエス様が封印を解かれるという出来事が天上、地上、地の下すべての世界の中で最も重要な出来事だと示していると考えられます。なぜなら封印が解かれれば、今あるすべての世界が完全になくなり、神さまと人との関係が再出発するからです。これより優先される出来事は他にはないのです。
神さまに仕え、人に仕えている天使たちにとって、ほふられた小羊の出番は、いよいよ待ちに待ったその時でした。それで小羊を賛美せずにはいられなかったのです。さらに天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたものが一斉に歌い出したのです。
5章14節を読みます。
5:14 四つの生き物はアァメンと唱え、長老たちはひれ伏して礼拝した。
〈今回の学び〉
私たちはここで、ヨハネとおなじようにイエス様が巻物の封印を解くことのできるお方として、たしかにそれを受け取られたことを見なければなりません。
それはイエス様が、私たちの贖いだけでなく、今あるすべての世界を完全になくし、神さまと人との関係を再出発させるお方であることを理解することです。
私たちは、そのような御方を主として従っていることに目を向けるようにと教えられています。
イエス様は、これまでの天と地が無くなり、全く新しくされた御国の中に私たちを招き入れる準備をしてくださっているのです。そして、このようなお方に対して、私たちは、四つの生き物や二十四人の長老、おびただしい数の御使いたちのように、イエス様の前にひれ伏して、心からの賛美をしているのかを問われています。
イエス様は、罪にまみれて、無価値で枯れ果てている存在の私たちを拾い上げ、罪をぬぐって真っ白にしてくださったお方です。それだけではなく、イエス様は、私たちもイエス様と同じように復活する約束、死への勝利を与えてくださったお方です。その上、万物をご支配され、動かされるお方、そしてイエス様の王国を支配させてくださるお方なのです。
この地上に置かれながらも御国に引き上げられ、信仰を完成してくださるその時を仰ぎ見て、イエス様の御前にひれ伏し、イエス様をたたえる信仰者こそが幸いであることを教えられるのです。
2024年5月17日
尚徳牧師の素直に読む【ヨハネの黙示録_12】
タイトル:「巻物を受け取った子羊」
牧師:香川尚徳