「人の視点、神の視点」

 皆さん、こんにちは。「聖書からのワンポイント」の清水浩治です。今日のお話のタイトルは、「人の視点、神の視点」です。

 今年行われた日本シリーズで、球審の頭部に付けたカメラ映像を見ることができ、ピッチャーの投げたボールが、バッターからはどのように見えているのかがわかりました。

 私が初めてプロ野球を見て興味を持ったのは、小学校の5年生の頃だったと思います。記憶は定かではないところがあるのですが、入間市の中央公園の野球場に2軍の試合を見に行ったのが初めてでありました。

 その試合で勝ったチームの投手で西井という投手がいて、好投したのを覚えています。そして、この投手はすぐに一軍に昇格し、一軍の試合でも投げるようになりました。目の前で投げていた投手がテレビに映っているのを見て、そのチームに興味を持つと同時に、そのチームのファンになったのを覚えています。

 自分のひいきのチームの試合がテレビで放映されるとそのチームを応援しますが、好打者を含めてバッターが全然打てないと、何で打てないのかと思ってしまいます。

 今回の映像で、打てないのも無理はないと考えるようになりました。ファンとしてチームが勝ってほしいと思うのは当然ですが、プロの打者であっても、プロの投手のボールを打つことがどれほど難しいのかを理解できた気がいたします。ファンとしての自分の視点が現実と大きくかけ離れていた一例であります。様々な領域において、視点の違いから物事の捉え方に違いが生じたり、事実を正しく把握できなかったりするのです。

 今日注目したい聖書箇所で、キリストが人の陥りやすい富に対する考え方について述べているところが“ルカの福音書”の中にあります。キリストは、最初に「どんな貪欲にも注意して、良く警戒しなさい」と述べたうえで、たとえ話を始めます。そして、富に対して警戒しなければいけない理由は、「いくら豊かな人であっても、その人のいのちは財産にあるのではないから」でありました。

 この内容が示されている聖書箇所を読んでみましょう。
  
新約聖書 ルカの福音書 12章 15節~21節
12:15 そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
12:16 それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
12:17 そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
12:18 そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
12:19 そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
12:20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
12:21 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」

 ここでの大きな視点の差異は、豊かに富を蓄えて、富にのみ信頼を置いている人と、神が豊かな人であると定義する人の違いでありました。富にのみ注目していた金持ちは、人のいのちが神によって保たれている事実を理解していませんでした。その神の守りがなくなった時に、人の命が取られて富だけが残ってもそれはどうなるのか、というのが神の視点であります。

 次に別のパターンを、例を挙げて考えてみます。世の中には、自己卑下をしている人、自分には価値がないと考えている人、セルフイメージの低い人が存在します。世の中の判断基準が成果主義に基づいていたり、結果主義であったりする時に、目に見えるかたちで成果が見られない時、人の評価は、自己評価を含めて低くなってしまうのです。

 この課題に対して引用する聖書箇所は、旧約聖書のイザヤ書43章からでありますが、このところで神は人に対して《わたしの目には、あなたは高価で尊い(43:4)》と語っています。この箇所は、一義的には神が神の民であるイスラエルに対して語っているのですが、適用として、つまり私たちに当てはめることにおいて、神は人に対しその存在が高価で尊いと言っているのです。自分が自分を見る視点ではなく、神が私たちを見てくださる視点で、自身の価値を見出したいものです。神の視点から「あなたの存在は高価で尊い」のです。

 お時間になりました。また来月のこの時間に聖書からのワンポイントでお会いしましょう。お聴きいただき、ありがとうございます。

2022.11.11
ラジオ・ティーチング・ミニストリー「聖書からのワンポイント」
タイトル「人の視点、神の視点」
牧師:清水浩治