素直に読む【ヨハネの黙示録_19】
ヨハネの黙示録12章1-18節
「訴える者への勝利」
〈はじめに〉
今回のヨハネの黙示録12章ですが、11章最後の18節を読むと、ここで神さまが、一気に裁きに臨まれるかと思えば、そうではありません。その前に神さまのこれまでの御計画を総括するかのような幻がヨハネに示されます。
では、早速見ていきましょう。
〈本文〉
ヨハネの黙示録12章1節を読みます。
12:1 また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。
ヨハネの黙示録1章16節で、イエス様の顔が、太陽のように強く照り輝いていたと記されていました。
このひとりの女性は、太陽を衣のように着ていたのですから、これは、女性の内からの輝きではなく、外から与えられたものです(ガラテヤ人への手紙3章27節)。この太陽は、神さまの栄光の輝きを現していると思われます。とすれば、この女性は、神さまによって与えられる栄光の輝きを反映した者の姿、つまり神の民を現わしていると理解できます。
月を足の下に踏んでいる様子は、月を支配し、月に代わって立っていることの象徴でしょう。
闇の夜を照らす存在の月に替わって、闇の世界を照らす太陽を反映する光とされた者として立っている様子です。これは、エペソ人への手紙5章8節で言われている光の子となった姿です。
頭にある12の星の冠は、旧約のイスラエルの12部族と、新約における12使徒の象徴と考えられます。この神の民は、旧約から新約につながっているすべての神の民を指しているということです。
さらに、《冠をかぶっていた。》という表現は、神さまを愛するが故に、試練に耐えて(ヤコブの手紙1章12節)、死に至るまで忠実な“しもべ”であった(ヨハネの黙示録2章10節)証しが、その《冠》に表されています。
ヨハネの黙示録12章2節を読みます。
12:2 この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。
この女性は、“子”を宿していました。この女性の“子”は、黙示録12章5節で、《彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。》とあり、さらに、《神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。》とありますから、救い主イエス・キリストだと分かります。
子を宿し、苦しんでいた神の民は、救い主を待望しながら苦しんだ、旧約のイスラエルの象徴でしょう。そして、この女性の“子”、イエス様は十字架で贖いの御業を完了されて、よみがえられ後、天に引き上げられました。そのことが、ここで言われています。
12章3-6節を読みます。
12:3 また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。
12:4 その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。
12:5 女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。
12:6 女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。
12章3節の“龍”は、黙示録12章9節、20章2節で、《悪魔でありサタンである龍》といわれている“龍”のことでしょう。サタンは、神の民の回復のために、女の腹から生まれてくる“子”、イエス・キリストが生まれたら食い尽くそうと待ち構えていました。サタンは、常にキリストを破滅させることを狙っています。
創世記3章14-15節を読みます。
3:14 主なる神はへびに言われた、/「おまえは、この事を、したので、/すべての家畜、野のすべての獣のうち、/最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、/一生、ちりを食べるであろう。
3:15 わたしは恨みをおく、/おまえと女とのあいだに、/おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、/おまえは彼のかかとを砕くであろう」。
創世記3章に登場する蛇は、ヨハネの黙示録12章3-4節の《龍》であり、創世記3章15節の《女のすえ》は、ヨハネの黙示録12章5節の《男の子》、すなわち、イエス・キリストのことです。ここから始まるサタンとイエス様とのたたかいの歴史が聖書に記されています。
サタンは、イエス様がお生まれになったら、食い尽くそうと待ち構えていました。イエス様が、贖いの御業を完成しないようにたくらんでいたのです。それは、マタイによる福音書4章1-11節に記されている出来事、荒野の誘惑で具体的に示されています。
しかし、サタンは、イエス様の贖いの御業の完成を阻止することができませんでした。失敗したのです。それで今度は、女に目標を変えて、直接、神の民を迫害し攻撃しようと追いかけるのです。イエス様が完成された贖いの御業を無意味にするために、神の民の信仰を惑わして、教会から引き離そうとしているのです。
ヨハネの黙示録12章7-12節を読みます。
12:7 さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、
12:8 勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。
12:9 この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。
12:10 その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。
12:11 兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。
12:12 それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」。
ここで、隙あらばと、天上の支配権を得ようとしたサタンとその部下に対して、神さまはミカエルと御使いたちを送り戦いが起こります。
戦いに敗れたサタンとその部下は、ここで完全に天上から追放されたのです。12章10~12節で、天上では神さま側の勝利宣言があります。
ここには、患難が始まる前、携挙によって引き上げられたイエス様を信じた者たち(教会)、今、信じている私たちも共にいて、その勝利宣言と大いなる喜びに加えられることになるのです。
そして、サタンやその部下たちが追放された地上には、空中に引き上げられたクリスチャンたちの後に、患難期が始まってから信仰を持った神の民がいます。
そこで、《しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」。》と言われているのです。
ヨハネの黙示録12章13-18節を読みます。
12:13 龍は、自分が地上に投げ落されたと知ると、男子を産んだ女を追いかけた。
12:14 しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。
12:15 へびは女の後に水を川のように、口から吐き出して、女をおし流そうとした。
12:16 しかし、地は女を助けた。すなわち、地はその口を開いて、龍が口から吐き出した川を飲みほした。
12:17 龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。
12:18 そして、海の砂の上に立った。
12章13~17節に登場する《女》は、神の民をあらわしていますから、男の子を生んだ後の神の民は、イエス・キリストをわが主として信じた者たち、つまり教会のことです。
サタンは、教会を攻撃します。いや、イエス様が天に上げられたのち、教会を攻撃し続けてきました。しかし、神さまは教会を守られ、今もこれからも教会である私たち信仰者の集まりは守られ続けます。サタンは決して教会を滅ぼすことはできないのです。
そこで、サタンは、《女の残りの子ら、》つまり教会ではなくて、一人ひとりの信仰者に狙いを変えて攻撃をしようとします。
この《女の残りの子ら、》と言われている信仰者は、次の黙示録13章を含む文脈から、この患難期を通して、イエス・キリストを信じ、その信仰が試されている信仰者を指していると考えられます。
また、現在の私たち信仰者一人一人とみることもできます。
イエス様のお体である教会と確実につながっている一人ひとりの信仰者は、神さまの守りの中で、サタンの攻撃から守られます。
しかし、もう一方で、私たちの心に留めておかなければならないのが、サタンは、この世で一人の信仰者に誘惑をかけ、「お前は罪人だ」と訴えたり、あるいは、落胆させたりして、御言葉や教会から引き離そうとする攻撃が続いていることです。
〈まとめ〉
天地万物の創造主であられる神さまによって、“人”が創造された創世記のはじめから、神さまであるイエス様とイエス様にある信仰者に対するサタンの攻撃が続いていることを、その戦いの歴史こそが、神さまとその信仰者の歩みであることをヨハネの見た幻を通して教えられています。
そして、神さまはそのサタンを滅ぼすことがおできになるのに、そうはなさらず、救われても尚、肉の内に闇の部分を残している信仰者にサタンを用いて働きかけをさせ、逆境が生じる中で私たちの信仰を育てようとされています。
信仰の歩みとサタンはどうにも切り離せないのです。
今回の箇所でも、天上での戦いにサタンに勝利された後、地上に投げ落とされたサタンが、患難の地上にある信仰者たちに攻撃することを許しておられます。その中で神さまは、その信仰者を守りながらも、必要に応じてサタンの攻撃を許し、その激しい戦いにあっても、神さまのみに、信頼を置いて歩むように導いておられます。
神さまは、サタンの誘惑によって神さまに背いたアダム以降、神さまに背く罪の性質を受け継ぐ私たちが、神さまの御前に回復することだけを考えて世界を、歴史を動かしてこられました。それをいよいよ完成させようとされている。その神さまの思いを受けとめて、回復された神の民として御前に立ちなさいと言われているようです。
すでにイエス様を主として信じ受け入れて、教会として天に引き上げられている私たちは、今日の箇所の勝利宣言を天上での当事者として経験するのです。
この勝利宣言は、救われても尚、その信仰が中途半端だとサタンに訴えられそうな不安を抱く私たちをも、神さまはすべてを知った上で、私たちの信仰を受け入れてくださっているのだということを確信できる宣言です。
ヨハネの黙示録12章の記事は、私たちを訴え続けた、サタンがせめられ、天上から投げ落とされて、サタンへの完全なる勝利を確信できる福音(喜びの知らせ)と言えるでしょう。
ペテロの第一手紙5章8-9節を読みます。
5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。
5:9 この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。
このように、現実の信仰生活においては、サタンは、恐ろしい存在であり、甘く見ることはできません。5章9節でペテロが言っているように、堅く信仰にたって、抵抗することがなければ、足元をすくわれるかもしれません。しかし、必要な時は、逃れ場を用意してくださり、養ってくださる神さまの守り、神さまの御手の中に置いていただいているという霊的事実(神さまとの関係)をしっかりと見つめていれば、そこから落とされることは決してありません。
そのためにも、教会が必要です。1人の信仰者ではなくて教会になる必要があるのです。
ヘブル人への手紙10章25節に、
10:25 ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。
と、あるように、神さまは、集まるものたちを天上で勝利宣言を聞くまで確実に守り導いてくださいます。
2024年12月20日
香川尚徳牧師の素直に読む【ヨハネの黙示録_19】
タイトル:「訴える者への勝利」
牧師:香川尚徳
ラファエロ・サンティ「サタンを打ち倒すミカエル」(1518)