「人の意志とかかわりなく働く力」

 皆さん、こんにちは。「聖書からのワンポイント」の清水浩治です。今日のお話のタイトルは、「人の意志とかかわりなく働く力」であります。

 私は二十歳になる少し前、新聞に挟み込まれた英語会話教室のチラシを見て、初めて教会に足を運びました。実は、教会に行くのは「ためらいながら」でありました。信仰を目的に行くのではなく、行く目的があくまで英語会話の習得であったからであります。

 なぜそう思ったのかはわかりませんが、中学で英語を学ぶに際して、私は外国語を学ぶなら、それを話せないようでは学ぶ意味がない、と考えていました。(そうであるからと言って、英語専門の学校に習いに行ったわけでもありませんし、部活で、たぶん選択できたであろう「英語クラブ」に入ったわけでもありませんでした。)特別な努力をしたわけではありませんが、私が継続したのはラジオで流れていた英語番組の対話の部分を、何年も、何年も聴き続けることでした。

 英語ができるようになったことは、後にキリスト教の神学校の学びでアメリカ留学にも役立ちましたので、本人が知らない中での神の備えがあったということでしょうか。

 日本において、お正月に初詣に出かける人は多いですが、初詣に出かける途中でトイレに行きたくなり、近くにあった教会に入ってトイレを借りた人がいました。すぐ教会を後にするのは失礼だと思って、行われていた元旦礼拝に出席し、クリスチャンになったという方のお話を聞いたことがあります。本人が意図していないのに、一つの出来事から自分の意志とは異なる方向への展開が起こる事実もあるということです。

 私を導いたアメリカ人のジェイムス宣教師は、最初に教会に行った目的が、ボーイスカウトとの関連においてでありました。信仰を求めたわけでもなく、聖書を学んでみようと思ったわけでもありませんでした。アメリカという国ですから、やはりバックボーンにキリスト教の信仰が存在します。当時、ボーイスカウトにおいて、より高いポジッションに上がっていくためには、教会の会員であることが求められていたそうです。ですから、彼が考えたのは、心の中ではイエス・キリストへの信仰はないのに、教会へうわべだけ「信じます」と言い、教会員になろうとしたのでした。その策略は見事に成功しました。
そして、彼の生きていた時代において、第二次世界大戦という悲劇の時代へと突入していきます。通信兵として戦場に行くことになったミスター・ジェイムスは、野営地で開かれたチャペルの中で、一つの讃美歌の折り返しの部分が心に響いたと言っていました。

At the cross, at the cross where I first saw the light, and the burden of my heart rolled away, it was there by faith, I received my sight, and now I am happy all the day!

十字架において、十字架において私ははじめて光を見た。
そして、私の心の重荷は消え去った。そこにおいて、信仰により
私は心の目が開かれ、今、私は一日中幸せである。

 聖書の中で、光は神の聖さを表わします。また、一般的にも「希望の光」というように、光は希望を表わします。「世の光」という表現を聖書に見出しますが、罪に満ちた世に、希望として来てくださったキリストのことを指し示しています。

 この歌詞の言葉が心にとどまり、心から離れず、自分の心に語りかけてきた、と本人は証言しています。やがて彼は心が開かれ、偽りの口だけの信仰告白から、心を伴った真の告白へと導かれたのでした。

 私自身は、というと、聴きたくないと思っていた英語会話後のメッセージの中に、聖書を通して実在する天国の希望を知り、死に対する解決を得ることができました。私も、初詣の途中で教会のトイレを借りた人も、後に宣教師となったジェイムス氏も、自分の意志に反して、信仰を持つようになったのでした。時として、自分の意志に反して働く力を「神の導き」と呼んでいます。神は、頑迷で梃子でも動かない私たちの心を様々な方法で、導いてくださるのです。
「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものに
するのは主(、神)である。」箴言16章9節
お時間になりました。また来月のこの時間、「聖書からのワンポイント」でお会いしましょう。お聴きいただきありがとうございます。

2022.6.10
ラジオ・ティーチング・ミニストリー「聖書からのワンポイント」
タイトル「人の意志とかかわりなく働く力」
牧師:清水浩治

※光に関しての聖書箇所:ヨハネによる福音書3:19~21、8:12、12:35~36

ヨハネによる福音書3章19-21節
3:19 そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。
3:20 悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。
3:21 しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。

ヨハネによる福音書8章12節
8:12 イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。

ヨハネによる福音書
12:35 そこでイエスは彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなたがたと一緒にここにある。光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。
12:36 光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい」。イエスはこれらのことを話してから、そこを立ち去って、彼らから身をお隠しになった。